日本人の物語00502【平安末期】一ノ谷の戦い 通盛と小宰相
清盛の甥に当たる平通盛(たいらのみちもり:1153~1184)は、重傷を負って死を覚悟し、どこか静かな場所で自害しようと東に向かっていたところを、敵に見つかり討たれてしまいました。
この通盛の妻が、宮中一の美人と謳われた小宰相(こざいしょう:1164~1184)です。小宰相は元々、上西門院統子内親王に仕えていました。
二人の出会いのきっかけは、法勝寺で行われた花見でした。たまたま花見に参加していた通盛は、統子内親王に随行していた小宰相に一目惚れして、和歌や恋文をしきりに贈って口説こうとしました。しかし小宰相は一切返事をせず、たまたま通盛の恋文を目にした統子内親王が
「気の強い女は幸せになれませんよ」
と説いたことから、小宰相は初めて返事をしたためました。こうして通盛は小宰相を3年かけて口説き落とし、遂に妻としたのでした。
一ノ谷の戦いを前に、通盛は小宰相から身籠もっている旨を告げられます。通盛はひどく喜びましたが、まさにその翌日に討ち死にしてしまうのです。
瀬戸内海を逃げる船の中で、小宰相は夫が討たれたと聞いてはいたものの、「誤報かもしれない」と一縷の望みを託して夫の帰りを待ち続けていました。そこに、通盛の従者を務めた滝口時員(たきぐちときかず)がやって来て、通盛の最期の様子を詳しく報告しました。それを聞いた小宰相は返事もできずに泣き伏し、夜が明けるまで起き上がることすらできなかったといいます。
寿永3(1184)年2月14日、平家は態勢を立て直すため、屋島(香川県高松市)へとやって来ました。屋島到着の夜、小宰相は乳母に
「もう夫は亡きものと覚悟しました。悲しみは増すばかりで、亡き人の恋しさに苦しむよりも海の底へ入ろうと思い定めました。どうか夫と私の菩提を弔ってください」
と頼みました。乳母は涙を抑えて
「子のためにも、尼になってでも生きるべきです」
と必死に止め、小宰相もその場では説得に応じ、
「もし身投げするならば、事前にあなたに相談することにしましょう」
と言って思いとどまったように見えたのですが、やがて乳母がうたた寝すると、小宰相は起き上がり、念仏を唱えるや否や海に身を投げました。
舵取りがこれを見つけて、皆で海上を探してようやく小宰相の体を引き揚げましたが、時遅く既に死んでいました。
皆は小宰相の亡骸に通盛の遺品の鎧を着せ、泣く泣く小宰相を海に沈めて葬りました。
乳母もまた後を追おうとしましたが、皆に止められ、やむなく出家して通盛と小宰相の菩提を弔ったといいます。
