日本人の物語00125【人代前期】人代前期総括
さて、神功皇后69(269)年4月17日に神功皇后が崩御し、応神天皇元(270)年1月1日にホムダワケが応神天皇として即位することになるのですが、そこから先の話は「人代後期」として取り扱うことにしたいと思います。
日本書紀によると、仲哀天皇が死去したのは200年で、その次の応神天皇が即位するのは270年。70年の間を神功皇后が支配していたというのです。元々日本書紀の年号など誰も信じていないのですが、それにしても随分間があいていますね。応神天皇というのは、本当に仲哀天皇の子なのか、怪しく見えてしまいます。腰に石を巻いて出産を遅らせたというのもいかにも怪しいエピソードですね。
実際には仲哀天皇が崩御した際には、神功皇后は妊娠などしていなかったのではないでしょうか。応神天皇が産まれた日が、計算上仲哀天皇の子である可能性が極めて希薄な日であったため、「遅らせたから妊娠期間が通常より長かった」という話を後付けで考えたということも考えられます。
などと疑い出すとキリがないですし、そもそも仲哀天皇や神功皇后の実在性自体が疑問なのですが、いずれにせよ、仲哀天皇と応神天皇との間で皇位が途切れ、別の王朝となっている可能性は十分考えられます。
そういう事情もあって、本稿では人代の前期と後期の境目をここに置いたのです。
さて、神話を描いてきたわけですが、一体歴代天皇のうち何人目からが実在の人物なのでしょう。
・初代神武天皇にもモデルがいたはずだとする説
・欠史八代までは架空であり、10代崇神天皇から実在とする説
・15代応神天皇から実在とする説
・26代継体天皇から実在とする説
などなど、学説は様々なのですが、いずれにせよ少なくとも5世紀には天皇が倭国を治めていたわけで、5世紀から王朝が交代せずに現代までずっと途切れずに続いているのは日本だけです。たとえ最初の十数代が架空の天皇だったとしても、この凄さは少しも揺らぐことはありません。
宮内庁は神話時代の天皇の実像が明らかになることを恐れて、なかなか歴代天皇陵の発掘調査を認めないようですが、そのせいで古墳時代の研究がなかなか思うように進んでいません。
将来、古墳発掘が進めば神話の元となった歴史が明らかになる日が来るかもしれませんね。これにて、人代前期の稿を閉じたいと思います。
