日本人の物語00423【平安後期】平治の乱 鴨川の戦い
平治元(1159)年12月26日。上皇・天皇を失った信頼陣営に対し、平氏方が攻撃を開始しました。
さて、鴨川を挟んで清盛率いる平氏軍と義朝率いる源氏軍とが対峙しました。しかし、平氏軍の中には源頼政が混ざっています。
義朝は頼政に呼びかけます。
「なぜ源氏でありながら平氏方につくのか。我が源氏の武名が汚れる」
頼政は答えます。
「お前こそ日本一の不覚人、信頼につくとは我が源氏の恥だ」
これには義朝も返す言葉がなかったでしょう。確かに、信頼などとつるんだのが義朝の運の尽きでした。
両軍の戦闘が始まりました。鬨(とき)の声が鳴ると、信頼は恐怖で顔面蒼白になったといいます。また、馬に乗ろうとして反対側に落ちたとも伝えられています。何とも情けない大将です。
源氏軍の中で最強の戦闘力を誇るのが悪源太義平です。義平はわずか17騎で平重盛の500騎に立ち向かいますが、そのあまりの勢いに、500騎は恐れをなして逃亡してしまいます。逃げる重盛と追いついた義平とが一騎討ちとなりますが、なかなか決着がつきません。
必死に戦う義朝のもとに「信頼が逃亡した」との知らせが届きました。味方軍のトップがいなくなってしまったわけですが、義朝にとっては想定の範囲内です。義朝の答えは、
「あれほどの臆病者がいては戦もできない。放っておけ」
というものでした。
そうこうしているうちに、重盛との一騎打ちをしていた義平が次々と平氏軍を打ち破って総大将の清盛に近づいてきました。清盛は、
「勇気を出して防ぐものがいないから、敵がここまで近づいたのだ。それなら清盛がお相手しよう」
と言って、義平軍と真正面からぶつかり合いました。
個々の戦闘力でいえば義平軍は圧倒的な力量ですが、義平軍が戦い続けて疲労が溜まっているのに対し、清盛軍はこれまで戦闘に参加していなかったため全力を投入できました。義平軍はだんだん押されていきます。さすがに耐えきれなくなった義平は、「馬の息を整えさせる」と言って一旦退却することとしました。
この義平軍の退却で源氏軍は勢いを失い、敗れて散り散りになって逃亡していきました。
