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日本人の物語00189【飛鳥】38代天智天皇

 天智天皇7(668)年1月3日。7年間もの空位期間を経て、中大兄皇子はようやく即位しました。天智天皇です。
 日本書紀には、このとき「皇太子に弟の大海人皇子を立てた」との記述がありますが、疑問視されています。というのも、もし本当に大海人皇子が皇太子になったのなら、後述の壬申の乱は起きるはずがなかったですし、何よりこの記述は日本書紀の「天智天皇」のチャプターには記されておらず、「天武天皇」のチャプターにしか記載されていないのです。
 さて、大海人皇子の側室に、額田王という女性歌人がいました。本稿に既に2度登場していますね。(私は初めてこの名前を見たときに、とても女性には思えませんでした。なぜ女性なのに「おおきみ」と呼ぶのでしょう。)大海人皇子は、額田王との間に娘・十市皇女(とおちのひめみこ:653?~678)を設けています。
 ところが、天智天皇が額田王に横恋慕し、大海人皇子に
「譲ってくれ」
と要求します。譲ってくれと言っても、二人の関係を考えればほぼ強制的なものだったでしょう。
 額田王がやむなく天智天皇の宮に入った後、額田王が大海人皇子に送った歌が万葉集に所収されています。
「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる」
 これは禁じられた恋を詠んだものです。こっそりと野原で待ち合わせ、相手が袖を振っているのを見て野守(警備員のようなものでしょう)が見ているか心配だというのです。
 それに対する大海人皇子からの返歌がこちらです。
「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも」
 妹(いも)というのは、恋しい女性を意味する言葉であって、血のつながった妹(いもうと)を意味するものではありません。兄の元へ去った額田王をもし憎く思うならば、なぜ人妻に恋することがあるだろうか……ということは、つまり額田王が兄の側室となった後も、まだ逢瀬を重ねていたということでしょうか。
 このような額田王をめぐる三角関係が原因かどうかは分かりませんが、天智天皇と大海人皇子の仲は徐々に険悪になっていきます。
 あるとき、天智天皇が琵琶湖に面した高殿で酒宴を催したところ、なぜか激昂した大海人皇子が槍で床を刺し貫きました。
 天智天皇は激怒して大海人皇子を殺そうとしますが、その場にいた中臣鎌足に止められます。
 原因は分かりませんが、槍で兄を威嚇するとは、余程憤懣(ふんまん)が溜まっていたのでしょう。

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