日本人の物語00741【鎌倉末期】滅亡の原因 最新の研究
鎌倉幕府が滅亡した原因について
①悪党の横行
②惣領と庶子の対立
③御家人の不満
の3点を述べました。
ところが最近の研究では、これらの滅亡原因はいずれも否定されているといいます。中世史学者の呉座勇一氏は、著書『戦争の日本中世史』の中で次のように述べています。
「今まで多くの研究者が、鎌倉幕府滅亡の原因を考察し、色々な仮説を提示してきた。しかし皮肉なことに、研究が進めば進むほど、それらの仮説が成り立たないことが明らかになっていき、『分からない』という悲しい結論に陥ってしまったのである」
具体的にどういうことなのか、見ていきましょう。
①悪党の横行
鎌倉後期に悪党が横行し、彼らが倒幕運動の担い手となった……という論理なのですが、最近の研究によると、時代が下るにつれて鎌倉幕府による地方の土地支配は強くなっているというのです。というのも、地頭請や下地中分が増えてきたということは、すなわち荘園領主が地頭に譲歩せざるを得ない状況に追い込まれているわけで、幕府に任命された地頭の権限が強くなっているわけです。
一方、悪党とは幕府の後ろ盾を持たずに荘園を侵略していった新興武士のことです。
幕府の権力基盤が強くなっているのに、あえて幕府に反旗を翻す悪党が勢力を伸ばした理由がよく分からないのです。
②惣領と庶子の対立
惣領だけが土地を相続することができ、庶子は何も得られないことに不満を持ち、倒幕運動に身を投じたという論理ですが、実際には
「惣領が幕府方につき、庶子が倒幕方についた」
という構図が見られません。むしろ惣領が倒幕方についたケースが多くみられることから、この見方は否定されています。
③御家人の不満
北条一族が守護職や荘園を独占していることに不満を持った御家人が倒幕を志したというストーリーですが、実際には莫大な荘園を所有し優遇されていた足利・新田が裏切ったことが原因で幕府は滅亡したわけですから、この見方も成り立ちません。
結局、鎌倉幕府というのは何の前兆もなく、後醍醐天皇と足利尊氏によって突然滅亡させられてしまうわけで、特段の必然性が感じられないというのです。歴史というのは案外そういうものなのかもしれません。
