日本人の物語00376【平安後期】後三年の役 勿来の関*
義家が後三年の役に介入した際のエピソードがいくつかあります。まず有名なのは、勿来の関で詠まれた和歌でしょう。
源義家がこの鎮圧に当たるべく陸奥に向かったとき、勿来の関(なこそのせき)において桜が散っているのを見て
「吹く風を なこその関と 思へども 道もせにちる 山桜かな」
と詠んだというのです。
勿来とは「来る勿(なか)れ」=「来るな」という意味の珍しい地名です。なぜこのような地名なのか不思議ですが、古くから賊を防ぐための関所が置かれ、賊が攻め入って来ないよう「来るな」という名を付けたのかもしれません。歌の意味は、
「勿来の関というくらいだから、吹く風も来ないでほしいと思うのに、道を塞ぐほどに桜が散っている」
といったところでしょうか。
この勿来の関は白河の関(福島県白河市)、鼠ヶ関(ねずがせき:山形県鶴岡市)と並んで奥州に入るための関所の一つで、義家の歌を始め、様々な和歌で取り上げられ、有名な歌枕の一つとなっています。
これほどに有名な歌枕なのに、平安時代には関所が廃止されてしまい、何と場所が不明なのです。
江戸時代になって磐城平藩の領内にある関田村(福島県いわき市)という場所が「ここが勿来の関だろう」と定められ、観光地化されました。根拠は不確かでしたが、そのまま長年に渡って知名度が高まって行きました。
明治時代に鉄道ができて「勿来駅」が開設され、大正時代には窪田村が町制に移行することとなり「勿来町」という名に改称しました。現在は福島県いわき市勿来という地名になっています。勿来の関の真の場所が不明であるにもかかわらず、正式な地名となってしまったのです。
現在、勿来の関公園と勿来駅前の2ヶ所に源義家の像が建立されています。勿来の関公園には義家が弓や鞍を掛けて休息したという「義家公弓掛けの松」や「鞍懸けの松」があります。
また、勿来の関公園内に建てられた「いわき市勿来関文学歴史館」には、勿来の関について詠まれた様々な和歌が展示されています。勿来を詠んだ歌はざっと百首以上はあるので、十分に見応えある博物館となっています。


