日本人の物語00407【平安後期】為朝伝説 由布岳の大蛇退治
さて、せっかく源為朝が初登場したところで、その伝説について紹介しておきましょう。伝説の多くは、平安時代に作られたものなのか、江戸時代の小説『椿説弓張月』で初出のものなのか、区別がつかないため、ごった煮の状態で紹介することとなります。
まず、13歳の為朝が九州に追放されるきっかけとなった事件について、小説『椿説弓張月』は次のように記しています。
崇徳上皇が為朝に目をかけていることを苦々しく思った信西は、為朝の弓の腕前に疑問を抱き、
「その弓の腕を見せてみよ」
と迫りました。これを聞いた左大臣・藤原頼長は、崇徳上皇の御前で為朝の技を見せる機会を作りました。
弓の名手と評判の武士が2人呼ばれ、為朝に対して矢を射かけました。すると為朝は、その2本の矢を素手でつかみました。さらに次なる2本の矢が飛んできましたが、為朝は1本を袖で受け止め、もう1本を口で咥えて噛み折ってしまいます。これを見た信西は腰を抜かしてしまい、家臣らに助けられながら慌てて退出していきました。信西は周囲から大いに嘲笑されることとなりました。
為義は、為朝が信西ほどの実力者に恥をかかせてしまったことを懸念し、
「しばらく都から離れていた方が良い」
と判断しました。そうして、「九州に追放」という名目で為朝を逃がしたのでした。
為朝は中津(大分県中津市)に上陸し、父の指示に従って尾張権守季遠(おわりごんのかみすえとお)という人物を頼りました。季遠の館に住んだ為朝は、毎日20kmも離れた由布岳(大分県由布市)に行って狩りをしていたといいます。
そこで、生涯の盟友・紀平治(きへいじ)と知り合うことになります。
為朝は、由布岳で飼いならした狼とともに狩りに興じていたのですが、ある日突然、狼の様子がおかしくなり、為朝に襲いかかってきました。紀平治がすかさず狼の首を斬りますが、その首は宙を飛んでいって、何かにかぶり付きました。見ると、そこに身を隠していたのは恐ろしい大蛇でした。狼は為朝に襲いかかったように見えて、守ろうとしてくれていたのでした。
為朝と紀平治は、この大蛇を見事退治しました。
ちなみに由布岳には、為朝が一刀両断にしたという「一刀岩」や、笛を立てかけたという「笛立岩」があり、観光の呼び物となっています。
