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日本人の物語00136【人代後期】20代安康天皇

 さて、政敵を倒した穴穂皇子は、允恭天皇42(453)年1月14日に即位します。安康天皇です。
 しかし安康天皇はどうも天皇の器ではなかったようです。
 安康天皇には、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ:後の雄略天皇)という弟がいました。安康天皇は大泊瀬皇子の嫁探しをしてあげることになりました。なかなか弟思いですね。
 ところが、大泊瀬皇子は気性が荒いことで有名で、気に入らないことがあるとすぐに相手を殺してしまう人物だそうです。みんな大泊瀬皇子を恐れて結婚に承諾してくれません。
 そこで安康天皇は、允恭天皇の弟に当たる(つまり安康天皇にとっては叔父に当たる)大草香皇子(おおくさかのみこ)に対して働きかけることにしました。安康天皇元(454)年2月1日、大草香皇子のもとに、家臣の根使主(ねのおみ)という男を派遣し、
「あなたの妹・幡梭皇女(はたびのひめみこ)を弟の妻にいただきたい」
と伝えたのです。
 大草香皇子は喜び、結納として押木の玉鬘(おしきのたまかづら)を根使主に預けました。押木の玉鬘とは、木の枝の形をした金属製の冠のことでしょう。ところがあろうことか、根使主は押木の玉鬘を横領してしまい、安康天皇には「大草香皇子が断った」と虚偽の報告をします。しかも、「断るに当たって、太刀をつかんで威嚇してきた」と作り話までしたのです。
 これに安康天皇は激怒し、大草香皇子を攻め滅ぼしてしまいました。しかも、大草香皇子の未亡人である中蒂姫(なかしひめ)を無理やり強奪し、安康天皇2(455)年1月17日に皇后にしてしまいます。配下の者の讒言(ざんげん)を信じて叔父を滅ぼしてしまったわけで、この事件が安康天皇の寿命を縮めることとなります。
 さて、安康天皇3(456)年8月9日、悲劇が起こります。
 安康天皇は中蒂姫を皇后とし、その連れ子である眉輪王(まよわのみこ)を引き取って育てていました。眉輪王はまだ7歳です。
 安康天皇はその日、寝所で寝転びながら中蒂姫に
「眉輪王が大人になって、私が父を殺したことを知ったら復讐心を抱くのではないかと心配しているのだ」
と話しました。
 ところが、このとき眉輪王は床下で遊んでいました。父の死の真相を知った眉輪王は、中蒂姫の膝で眠っている安康天皇を、太刀で刺して殺害してしまいます。僅か3年半の治世でした。
 天皇が殺害されるのは、仲哀天皇に続いて2人目ということになります。しかし仲哀天皇の場合はアマテラスに呪い殺されたのに対し、今回は人間による殺人ですから、前代未聞の出来事です。

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