見出し画像

日本人の物語00986【南北朝前期】師泰の非道

高師直・師泰兄弟の話ですが、こんなに有名な兄弟なのにどちらが兄なのか分かっていないとは驚きです。

 高師直の兄(一説には弟)である高師泰にもまた、同様の不遜なエピソードがあります。太平記にしか記載のない話なので、恐らく後世の創作と思われますが、一応紹介しておきましょう。
 師泰は東山(京都市東山区)に山荘を造ろうと考え、その土地の持ち主が誰なのか調べました。持ち主は北野神社の神主である菅有登(すがありなり)とのことだったので、師泰はすぐに使者を派遣して
「この地をいただきたい」
と申し入れました。菅有登の回答は、
「土地をお譲りすることは承知しましたが、ここには当家の父祖代々の墓や五輪塔があるので、それらをよそに移すまでお待ちいただきたい」
とのことでしたが、師泰はこれを聞いて腹を立て、
「何だ、出し渋りおって。すぐにその墓を掘り崩して捨てよ」
と言って、人夫を数百人やって山木を切り崩してしまいます。少し待つだけで手に入るというのに、何とも理不尽な話です。
 師泰の家臣らが草木を切り捨てて地ならしをすると、五輪塔の下に苔に朽ちた屍や、石碑の断片や、草の茂った塚が出て来ました。人々は
「さまよう魂や霊はどこをさまようことになるのだろうか。哀れなことだ」
と話し合いました。
 さらに、ならされた土地の上に誰のいたずらか、
「無き人の しるしの卒塔婆 掘り棄てて 墓なかりける 家作りかな」
と、師泰を非難する歌が記されていました。師泰はこれを見て、
「きっと菅の仕業だろう。刺し殺せ」
と指示して、家臣に菅有登を殺させてしまいます。こうして、北野神社の神主として名の知られた菅有登は、何らの落ち度もないのに非道にも殺害されてしまいました。
 さらに、この山荘の造営が始まった後、大蔵重藤(おおくらしげふじ)と古見源左衛門(ふるみげんざえもん)という二人の侍がたまたま通りかかりました。二人は、人夫達が汗水垂らして休む暇もなくこき使われているのを見て、
「何と痛々しい。いくら卑しい人夫であっても、これ程に痛めつけなくてもよかろう」
と言って通り過ぎました。これを聞いた師泰は激怒して、
「人夫をいたわりたいなら、お前らこそ働け」
と言って、わざわざ通り過ぎた二人を呼び返して、一日中厳しくこき使ったといいます。
 このように、太平記では高師直・師泰兄弟はいずれも悪役として名を轟かせているのです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集