日本人の物語00757【鎌倉末期】護良親王の逃避行 玉置の庄司
護良親王の側近のうち、未だ合流できていなかった村上義光(むらかみよしみつ:?~1333)という信濃の武士がいました。義光は護良親王の後を追っているうちに、芋瀬の庄司と行き会いました。芋瀬の庄司が錦の御旗を持っていることを訝しんだ義光が問いただすと、芋瀬の庄司はその経緯を説明します。
事情を聞いた義光は、
「恐れ多くも天子様の皇子が朝敵を討ち滅ぼそうとしているところに行き会って、貴様のような下賤の者が旗を奪うとは何事か」
と激怒し、庄司から旗を奪い返すとともに、庄司に仕えていた大男をつかんで投げ飛ばしてしまいます。その怪力ぶりに恐れをなした庄司は抵抗をやめました。
悠々と護良親王一行に追いついてきた村上義光が旗を返すと、護良親王はひどく喜んで、
「赤松の忠節、平賀の智略、村上の武勇という三人の傑物がいれば、どうして天下を治められないことがあろうか」
と喜びました。進んで捕虜になろうとした赤松則祐、側近よりも旗を渡そうと合理的に判断した平賀国綱、一人で大男を振り回した村上義光の三人を、護良親王は特に高く評価したわけです。
『太平記』に記されたこのセリフは、後に後醍醐天皇と対立して天下を狙おうとする護良親王の野心を示した伏線かもしれません。
村上義光と合流した一行は、次に玉置(奈良県十津川村玉置川)を通ります。玉置の庄司もまた幕府びいきですので、果たして無事に通してもらえるかどうか分かりません。護良親王は、配下の片岡八郎(かたおかはちろう:?~1332)・矢田彦七(やだひこしち)を送り込み、玉置の庄司の状況を偵察にいくこととしました。
いざ偵察に行ってみると、玉置の庄司は配下の者どもを武装させ、まさに護良親王を討とうと準備しているところでした。二人は急ぎ帰ってこのことを護良親王に伝えようとしますが、庄司の放った兵たちが二人に襲いかかります。
片岡八郎は後ろから放たれた矢に当たって致命傷を負い、矢田彦七に
「俺はここで討ち死にするが、お前は早く帰って宮様を逃がしてくれ」
と言い残し絶命しました。矢田彦七は辛くも追っ手から逃れ、護良親王は事の次第を報告し、一行は中津川(奈良県野迫川村)の峠に逃亡することとなりました。
しかし中津川に敵の追っ手が迫り、護良親王は追い詰められてしまいます。
