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日本人の物語01481【室町/西国/大乱前夜】今参局憤死

琵琶湖の沖ノ島への流罪というのは、ずいぶん京から近いなあという印象ですが、室町時代当時のことですから生活が不便そうな島ではありますね。

 越前長禄合戦と並行して京で起こった出来事をまとめていきます。
 長禄元(1457)年12月5日に、幕府はまたもや分一徳政令を発布しました。これ以降も財政難になると幕府は分一徳政令を濫用します。
 長禄2(1458)年11月には、義政は高倉亭に見事な山水を完成させたにもかかわらず、飽きてしまったのか、その2日後に将軍御所を室町第に移す旨を決定しました。どうも財政難の原因は義政の建築好きにあったような気がしてなりません。
 その義政を悲劇が襲いました。長禄3(1459)年1月9日、正室富子が産んだ男子が産まれてすぐに死去したのです。そしてその直後から、
「赤子が死んだのは今参局が呪詛したことが原因だ」
との噂が広まりました。
 当時将軍御所では、義政を幼い頃から育ててきた今参局の派閥と、正室富子を擁立して一刻も早い嫡子出産を願う日野重子の派閥とが対立していました。今参局としては、富子の出産は義政・富子夫妻の絆を深めてしまうものであり、それは自らの権威失墜を意味します。よって、今参局が男児の死を願ったとしても意外なことではありません。一方、この汚名はそうした事情を逆手にとった日野重子の作戦だった可能性もあります。
 今参局は裁判にかけられ、琵琶湖の沖ノ島(滋賀県近江八幡市)に流罪となりました。
 しかし重子は単なる流罪では納得しませんでした。1月19日、今参局は琵琶湖への配流の途中、日野重子らが送った刺客に襲撃されます。今参局は
「女だからといって自害できぬものではない。大舘家を辱めぬために自害する」
と言って、殺される前に自害しました。さすがは武家の娘です。警護していた者たちは
「何たる女丈夫よ」
と言って感涙したといいます。ちなみに大河ドラマ『花の乱』では今参局をかたせ梨乃が演じていたのですが、この場面のために起用されたのかと思うほどの迫力ある演技でした。
 義政の側近のうち、法令に基づく権限を与えられた言わばオモテの権力者は管領・細川勝元や政所執事・伊勢貞親なのですが、今参局や日野重子は将軍の乳母や母であり、言わばウラの権力者でした。そうしたウラの権力者の抗争が噴き出したのが、この今参局の憤死事件だったといえるでしょう。
 さて、財政難にもかかわらず義政の庭園好きは治らず、8月21日に幕府は「京都七口関」と呼ばれる関所を新設し、役人や寺院がそれ以外の場所に勝手に関所を設けることを禁止しました。民衆は当初、これで余計な通行税を取られることがなくなると喜びましたが、京都七口関が常設されたことは重い負担となりました。後の文明12(1480)年9月の土一揆は京都七口関の廃止を訴えて行われたものなので、結局は民衆から恨まれたものとみられます。

今参局の自害シーンは、大河を見てたはずなのに突然ヤクザ映画を見ているかのような錯覚に襲われました。

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