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日本人の物語00518【平安末期】平安末期総括

 さて、やっと平家滅亡まで描いてきました。ここで5年に渡った「治承・寿永の乱」を総括しておきたいと思います。
 絶大な権力を握った平氏政権は、一体なぜ滅びたのでしょう。言い換えると、平氏政権に不満を持つ武士がなぜこんなにも大勢集まることとなったのでしょう。
 これまで、ドラマや小説では「源氏に恩顧のある武士たちが、恩返しのために打倒平家を唱えて結集した」とか、「根回しなき福原遷都や後白河幽閉といった清盛の専横ぶりに武士たちの不満が溜まった」といった描かれ方が多かったように思います。しかし、当時の武士というのは損得勘定で動くのが通常であり、当初源氏方についていたからといって、平家全盛の世において源氏に肩入れし続けるとは思えませんし、また、清盛が頭角を現す以前から武士たちはロクな扱いを受けていなかったのであって、清盛によって特にひどい扱いを受けたとは思えません。
 多くの武士がアンチ平家に回った原因は、もっと他のところにあるように思われます。
 思うに、清盛が天下を取ったことによってこれまでの公家と武家を明確に区別するルールが破られ、全ての武士が
「戦で勝てば天下を取れる」
という新しいルールを意識するようになったのではないでしょうか。
 平家と関わりが深く重用してもらっている武士は別として、多くの武士は大した収入を得られず苦しい生活を強いられていますから、現状に大きな変革をもたらしてくれる何かを期待するようになります。そこに
「戦に勝てば大きな利益を得られる」
という新しいルールが誕生したわけですから、当然大きな戦を期待するようになるでしょう。
 しかも、恩賞というのは敗者から取り上げて勝者に与えるものです。平家方について反乱を鎮圧したとしても、敗者から取り上げる土地は大した面積ではないので大した恩賞はもらえませんし、大幅な地位向上は見込めません。むしろ立場の弱い側、源氏方に与した上で勝利した方が、平家の絶大なる土地を取り上げて勝者に与えられるので、大きな恩賞が期待できるというわけです。
 頼朝が挙兵したとき、当初は平家方に与していた武士たちが、頼朝が一定の兵力を擁すると雪崩を打ったように源氏方についたのは、そのためでしょう。
 保元・平治の乱によって貴族から武士に実権が移ったものの、今度は治承・寿永の乱によって武士内部での(平家から源氏への)権力交代が起きました。ここからは源氏の全盛期が始まります。

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