日本人の物語00301【平安中期】承平天慶の乱 ムカデ退治*
藤原秀郷が初登場したところで、瀬田橋のムカデを退治したという秀郷の有名な伝説を紹介しておきましょう。
瀬田橋とは琵琶湖に架けられた橋のことで、今も滋賀県大津市にあります。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱において戦場となった場所です。
秀郷がそこを一人で渡っていると、橋の上に大蛇が寝そべっていました。目がギラギラと輝き、口には鉄の牙が揃い、今にも炎を吐きそうな紅の舌を持つ怪物です。通常の人間なら肝をつぶしてしまいそうなところですが、秀郷は何ら臆することなくその大蛇を踏み越えて橋を渡っていきました。
橋を渡り終えた秀郷のもとに、女がやって来ました。女は
「私は先程の大蛇で、竜神の娘です。あなたほどの勇気ある方を初めてお見掛けしました。どうか我々一族を苦しめている三上山(滋賀県野洲市)のムカデを退治していただけないでしょうか」
と懇願しました。これを承諾した秀郷は、娘に連れられ瀬田橋の上に戻りますが、そこへ大ムカデが襲って来ます。
このとき秀郷は矢を3本持っていました。1本目、2本目と次々にムカデの眉間の真ん中に命中しましたが、ムカデはビクともしません。秀郷は3本目の矢の先に唾を吐きかけて、さらにその矢を全く同じ眉間の真ん中目がけて放つと、この矢が眉間から喉元まで射抜いて、ムカデは暴れながら倒れました。
喜んだ娘は秀郷を竜宮へと招待します。竜神に贅を尽くして歓待された秀郷は、最後に娘から
・米の尽きることのない俵
・使っても尽きることのない巻絹
・赤銅の釣鐘
などの宝物を受け取ります。
二度と米俵に困らない生活を送れるようになった秀郷は、「俵藤太(田原藤太)」と呼ばれるようになりました。そして秀郷は
「鐘は寺に置くべきものだ」
と言って、赤銅の釣鐘を園城寺(滋賀県大津市)に奉納しました。
その後、この鐘は園城寺と延暦寺の戦いのとき、延暦寺の乱暴な僧兵・武蔵坊弁慶に割られてしまいましたが、ある日小さな蛇がやって来て鐘の破片を尻尾で叩いたところ、鐘は元通りになったといいます。蛇は竜神の使いだったのでしょう。
この鐘は今も園城寺に安置されており、弁慶が割ったという傷跡を見ることができます。



