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日本人の物語01010【南北朝前期】第三次京都合戦 一騎討ち

この連載について後悔していることは、年齢表記について満年齢か数え年かを統一せずに書いてしまったことです。数え年に統一したいのですが、今から統一するのは大変そうです。暇な日にまとめてやろうかな。

 尊氏らが予想したとおり、桃井は四条で待ち構えていました。師直はあまり深入りせず、むしろ桃井をおびき出そうと考え、なかなか攻撃を開始せずにいました。一方、桃井も師直の考えに気づいてか、なかなか手を出そうとせず、しばらく両軍のにらみ合いが続きます。
 そんな中、桃井軍の中から背丈2メートルを超える目の血走った男が進み出てきました。この男は大音量で、
「戦に臨む者は皆、討ち死にを辞さない気持ちで臨んでおるだろう。しかし今日の合戦では私が特に死を恐れなかったと言われるはずだ。私は清和源氏の末裔で、秋山光政(あきやまみつまさ)と申す。皇族の出ではあるが、武士の身となって既に数代であり、弓矢の道で高い名を挙げたい。私は九郎判官(義経)の兵法を残らず受け継いでいる。仁木、細川、高家の中に我こそはとお思いの人は、ここで私と太刀合わせをしようではないか」
 さて、師直軍の中にも名の知られた兵はいましたが、なかなか名乗り出る者がいません。顔を見合わせていると、やっと安保直実が出てきて名乗りを挙げました。
「私は執事(高師直)の家臣で安保直実という者だ。幼い頃から東国に住まいして、日夜、獣を追ったり川の魚を捕ったりして、兵法書は全く知らない。しかし勇者の心得は知っている。元弘、建武以後300以上の合戦で活躍してきた。私の手並みを見てみよ」
 秋山と安保、二人が徐々に近づいていくのを、両軍の兵は固唾をのんで見守りました。
 近づいたところで、先に斬りかかったのは秋山でした。安保はこれを太刀で受け流し、逆に体を開いて斬りかかりますが秋山はこれを棒で打ち流します。三度斬り合ったところで、秋山の棒は根元近くで斬り折られ、安保の太刀もまた鍔元から打ち折られてしまいました。
 これを観戦していた高師直は、
「安保直実は太刀を手にしているときは相当な腕利きだが、力はない。武器を失った今となっては、大いに不利だぞ。安保を討たせるな。秋山を射落とせ」
と命令しました。そうして、師直軍の屈強な精鋭7、8人が河原の前に並び、雨の降るように激しく矢を射かけます。秋山は折れた棒を使って飛んでくる矢を23本も打ち落としました。
 一騎討ちを中断させられた安保直実は、秋山を討つどころか、味方の矢を防ぐためにあえて正面に立ち塞がりました。秋山のような名人が、矢によって射殺されるのを惜しんだのでしょう。実にすばらしい武士道精神です。
 結局、秋山と安保の一騎討ちは勝負がつかないまま、双方が退くこととなりました。それからしばらくの間、神社の絵馬や扇の絵において、秋山と安保の一騎討ちを描くことがひどく流行したといいます。それほどまでに、京の市民たちの間でこの戦いは語り継がれたのです。

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