日本人の物語01307【室町/義持期】貞成の冤罪②不倫疑惑
冤罪シリーズ第2弾です。これまた、全く火のないところに煙を立てられてしまった事件です。
兄の毒殺という噂を流され苦しんでいた伏見宮貞成王に、第二の冤罪が降りかかります。
応永25(1418)年7月。称光天皇の女房・新内侍こと五辻朝子(いつつじあさこ)の妊娠が判明しました。ところが称光天皇は
「自分の子ではない。貞成の子ではないか」
と主張し始めました。天皇の父・後小松上皇もまた、これを信じて義持に調査を依頼してしまいます。
7月2日にこれを聞かされた貞成王は仰天しました。日記には
「虚名、恐るべし恐るべし」(デマは恐ろしい)
「讒口、無力の次第」(讒言に遭ったがどうしようもない)
「是非も無き次第」
といった驚きの言葉が何度も記されています。
7月14日に入ってきた続報は、貞成王をさらに恐れさせました。義持が広橋兼宣に対し、
「新内侍は今年の正月頃、伏見の香雲庵という寺に籠もっていた。このとき貞成王がたびたび新内侍を呼んで酒宴を開いていたと聞いている。懐妊はちょうどその頃なので、貞成王は言い逃れできないのではないか」
と語ったというのです。貞成王は日記に
「迷惑仰天、比類なし」
と記しつつ、義持に対して身の潔白を訴える書状を書きました。
・新内侍という女性には、生まれてこの方会ったこともない。
・香雲庵の主に問い合わせたところ、新内侍は20日間の寺籠もりを行っており、門外には一切出ていないとの証言があった。
というものです。
この詳細な書状を受けて、義持は再調査を開始しました。そして貞成王が新内侍との酒宴の際に呼んだとされる猿楽師から「貞成王の御前で上演したことはない」との証言を得て、義持は貞成王の無実を確信します。
9月2日になって、全ては中納言・松木宗宣(まつきむねのぶ:1372~1428)の讒言であることが明らかになりました。宗宣は称光天皇の生母・日野西資子(ひのにしすけこ:1384~1440)との密通が発覚しそうになったので、慌てて別のスキャンダルを投じることで天皇の目を他に向けさせようとしたようです。
つくづく貞成王は運のない人物です。
このあたり、貞成王の日記がかなり詳細に残っていて非常に面白いです。しかしこの人の日記が本当に面白いのは6代将軍義教の時代になってからなんですよね。
