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『方法序説』を一緒に読みませんか?①心の決めたままに

てつがくの本を毎月一冊決めて、読みながらエッセイを書く。
今回から、フランスの哲学者ルネ・デカルトの『方法序説(le Discours de la méthode)』を読み始める。

企画趣旨は下のマガジンから。

方法序説を改めて

大学で哲学を学ぶ時、読まされる定番の本がある。
きっと大学によって異なると思うが、私のいたところでは、プラトン『ソクラテスの弁明』、アウグスティヌス『告白』、カント『啓蒙とは何か』、そしてデカルト『方法序説』だった。

Podcast「てつがくの時間」の企画を決めている時、相方の仰木君から、

「次はデカルトがいいと思います」

と言われた時、このnoteでは改めて『方法序説』を読むことになるのだな、と思った。以前持っていた版で読むことも考えたが、今回は試しに原著を開いてみることにした。

読んだことのない本を読むのは学びになるが、昔読んだ本をもう一度手に取るのもまた良い。原著となればまた見え方も違う。

当時は読み飛ばしていたところ、あまり共感できなかったところ、などがもう少し入ってくることもある。あるいは、その逆もある。

きっと、哲学書の読書というのは、一回読んだから終わりというものでもないのだろう。

デカルトという人物は、今から400年ほど前にフランスで活躍した哲学者だ。

日本で言えば、現在大河ドラマで準主役になっている豊臣秀吉の晩年の頃に生まれ、江戸時代の初期に亡くなっている。
当時のヨーロッパは戦乱続きで、特に教会(カトリック)の教えに疑問を抱くプロテスタントという派閥が台頭して、分断が進んでいた。教会を支持する勢力と、プロテスタントを支持する勢力が血を血で洗う戦争に突入したのだ。

とはいえ時代背景を詳しく語り始めると、それだけで終わってしまうので、この辺りにとどめたい。要するに、戦乱の絶えない、「危機の時代」だったと言える。

デカルトはそんな時代背景の中で、新しい時代の哲学を模索した。そんな試行錯誤を、今でいうエッセイのような形で発表したのが、『方法序説』である。
もとは、別の本の序文だったというが、『方法序説』が有名になって、ほぼ独立してしまったらしい。

自分がどういう道を歩き、どんなふうに考えたか。
あくまで、自分の経験を語る、という仕方でデカルトは語り始める。だから、これは哲学的な旅行記だと言えるだろう。そう思って読めば、(特に前半部は)読みやすくなるはずだ。

(略)わたしがここで意図しているのは、各人が自分の理性をよく働かせるために従うべき方法を教えることではない。ただ、自分がどのように理性をうまく働かせようとしてきたかを見てもらいたいだけなのだ。

ルネ・デカルト『方法序説』第一部(拙訳)

第1部「外の世界への旅」

『方法序説』は6部構成になっている。

序文だったので、もとからこのように分かれていたわけではないらしい。だが、デカルト自身が「もしこの序説が一気に読むには長すぎると感じられるようなら、6部に分けることが可能だ」と書いているので、どの本でも6部構成だ。

今回紹介する第1部と第2部は、それぞれ「外面」と「内面」の旅だと読むことができる。ついでに言うと、第2部で始まる内面への旅は、第3部・第4部まで続いていく。

千里の道も一歩から

それでは、デカルトが『方法序説』の旅へと赴くきっかけはなんだったのか。端的に、彼は一体何を求めていたのか。

あまりダイレクトには書かれていないのだが、自分の人生の道を定めるため、と言えるだろうか。哲学者である以上、求めるのはこの世界の「真理」かもしれないが、彼はむしろ、「どのような道を進むか」を重視しているように読める。

話は少しそれるが、『方法序説』を読んでいて気付かされるのは、デカルトという人間が自信はたっぷりありつつも、謙虚に振る舞うということだ。

先ほど引用した箇所についても、自分には何かを教える資格はないが、うまく進んでいると思うから、ただそれを紹介するだけ、という身の引き方を見せる。第2部でも、世界を変革する気はないのだ、とかなりのページを使って語っている。

おそらく、当時、大胆なことを言えば、教会によって裁判にかけられる可能性があったからだろう。「大変な時代だなあ」と他人事で終わらせられない気もする。
教会も異端審問もないけれど、今も、(SNS上で)「火刑」はあるからだ。色々とエクスキューズしつつ、ことを進めてしまうデカルトには同情するし、共感してしまう部分もある。

もちろん、「真理」ではなく「方法」を、というのには、デカルトなりの考えもある。

デカルトは、すべての人に「良識(bon sens)」が備わっていると考えていた。これは「理性(raison)」ともいうもので、「正しく判断し、真偽を区別する(bien juger, et distinguer le vrais d'avec le faux)」、いわば「真理」を認識する能力のことだ。

当時は宗教戦争や科学革命、異端審問と「真理」が行方不明になる時代だったが、デカルトはむしろ楽観的だったと言える。では、なぜこのような争い事が絶えないかと言えば、それは、理性(良識)を使用する「方法」が間違っているからだ。道をただせば、おのずと真理に至る。だから、道をただそう、というわけだ。

良識はこの世界の中でもっとも公平に分配されているものだ。(略)わたしたちの意見がそれぞれ異なっているのは、ある人が別の人よりも理性的だ、ということのせいではない。わたしたちが自分たちの考えをそれぞれの道に従って導き、全く同じ物事を考慮するということがない、ただそれだけが理由なのだ。というのも、良き精神をもちあわせていることでは不十分で、それをどう使うかが重要なのである。もっとも偉大な精神はもっとも素晴らしい徳を手に入れることができる一方で、もっともひどい悪徳にも開かれている。ひどくゆっくりと歩くことしかできない人であっても、正しい道を常に外れることなく歩めば、走ってはいても道を踏みはずしてしまいがちな人よりも、より先へ、より遠くへ行くことができるのだ。

デカルト『方法序説』第1部(拙訳)

いずれにせよ、(本心はともかく)デカルトは、真理というより、どういう道を進むのか、それを見極めるために旅に出る。

書を捨てよ、旅に出よう

まず、デカルトは正しい道をゆくために、学問の世界を目指す。ちょうどラ・フレーシュ学院という学校に通っていた時のことである。

子どもの頃からわたしは学問を糧にしてきた。学問のやり方を通して、人生で役にたつことはすべて、はっきり、しっかりと認識することができると言い聞かせられてきたので、わたしは学ぶ意欲を大いに掻き立てられていた。

ラ・フレーシュ学院はフランスを代表するエリート校。デカルトの期待する教育はそこにあるはずだった。だが、『方法序説』では、「書物による学問」への失望が描かれる。

デカルトが引き合いに出すのは、古典、詩学、数学、神学、哲学、その他の学問。その一つ一つについて説明する必要はないだろう。彼は基本的にそれらすべてに愛着を持っているのだが、どれも確実な道を教えてはくれなかった。

だから、先生たちに従わなくてもいい歳になるとすぐに、わたしは書物の学問をすっかり離れた。自分自身の内で、あるいは世界という大きな書物の中で見つけることができる知以外は探し求めることはしないと心に決め、わたしは残りの青春を使って、旅して、宮廷と軍隊を見に行き、さまざまな気質と状況の人々と付きあい、さまざまな経験を集め、運命に与えられた出逢いの中で自分を試し、そして多くの場合、出会った物事についてなんらかの利益を引き出そうと反省してみることにつとめた。

デカルト『方法序説』第1部(拙訳)

書物を通した学問に失望したデカルトは、旅に出る。
哲学者のイメージとは異なり、デカルトは貴族の子として剣を腕前が達者だったらしい。だから彼にとって旅とは、戦乱絶えない時代にあって、「腕試し」をするという意味合いもあったようだ。「宮廷と軍隊」をみるというのもまた、そういう意味がある。

ところが、旅先にも確かなものは見出せなかった。
とはいえ、無意味な旅ではなかった。さまざまな人がいて、さまざまな習慣がある。それを知ったデカルトにとって先で得られたものは、「自分が前例や習慣によって納得してきたものをあまりに固く信用しないこと」だった。

このように世界という書物のなかでの学びに数年を費やした後で、ある日、今度は自分自身の内で学ぼう、自分の辿るべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決意した。もし自分の国や書物の学問を遠ざからなかったら、このことはこれほどうまくはいかなかっただろう。

デカルト『方法序説』第1部(拙訳)

第2部「内面への旅」

自分の手で

その時、わたしはドイツにいた。いまもまだ終わりの見えない戦争の機会が私を呼び寄せたのだ。皇帝の戴冠式から軍隊へと戻る時、冬が始まったため、とある兵営で足止めを喰らった。そこには気を散らす会話もなく、幸運なことに心を乱す心配事も苦しみもなかったので、わたしは日がな一日ひとりで暖炉で温められた部屋に閉じこもり、好きなだけ考え事に没頭していたのだった。

デカルト『方法序説』第2部(拙訳)

旅文学のように第2部は始まるが、ここからはデカルトの「内面への旅」が描かれていく。

デカルトの思考はまず、(経緯はわからないが)「いくつもの部分からなる、複数の棟梁の手による建築物よりも、一人の棟梁がつくったものほど完成されたものはない」という話から始まる。建築や都市は、誰か一人の設計者によってつくられるほうが美しい、とデカルトはいう。

少し含みのある言い方をしてしまうのは、私自身は「そうとも限らないな」と思うからである。

美しいということを、「整然としている」と同義に考えれば、ひょっとしたら、デカルトが正しいのかもしれない。だが、九龍城砦やカスバのカオティックな面白さもある。あるいは、デカルトがこれから話を進めようとしている学問についていうなら、さまざまな人の視点が重なっていくことで、一人の頭では考えられないことにも至ることができる。異形に見えて、それが「完成」に近づくということもある。

だが、デカルトも自分の力で、世の中の学問や宗教を改造してしまおうと思っているわけではない。それは分不相応だ、と。あくまで、自分の道は自分で定める、ただそれだけ。一人の人間の設計で物事が決められてしまう不気味さを思えば、(身分制度に毒された考え方に見えても)バランス感覚に優れていると私は思う。もちろん、先ほども述べたように、時代の状況もあって、彼なりのエクスキューズの可能性はあるのだが。

四つの規則

では、どのように一からやり直すのか。手がかりが無くしては、何をすることもできない。

デカルトはまず、学問の中でも基礎的と言われる分野に注目する。それは、論理をどのように積み上げていくのか研究する論理学、そして数学である。

ちなみにデカルトは数学を「幾何解析(l'analyse des géométres)」と「代数学(l'algèbre)」にわけている。この時代、図形や測量に関わる幾何学と、計算法に関わる代数学は別の学問だった(二つを一つにしたのは他でもないデカルトなのだ)。もう少し補足すると、幾何学は古代から連綿と続く古い学問だったが、代数学は比較的新しく、中東のイスラーム文化圏で作り上げられたものだった。

この三つの基礎は、デカルトにとって、どれも満足のいくものではなかった。論理学は何か知っていることの説明には使えるが、未知の解明には向かない。幾何学は図形にしか使えず、代数学は記号の操作に気を取られている。

そこでデカルトはこうした基礎的な学問の中から、四つの規則を導き出す。

第一に、はっきりと正しいと認識したこと以外は、絶対に正しいと判断しないこと。(略)
第二に、難しい問題は、可能な限り、また、もっともうまく解決するのに必要なだけ細かく、それぞれ分割すること。
第三に、最も単純で、最も認識しやすい対象から始めて、より複雑なものの認識へと少しずつレベルをあげていくように、自分の思考を順序だてて進めていくこと。(略)
最後に、どんな場合でも、何も見落としがないと確信できるほど、一つ一つもれなく数え上げ、広範囲にわたって見直しを行うこと。

デカルト『方法序説』第2部(拙訳)

かなり実践的な規則である。まるで試験勉強の時に言われることだが、確実性を求めるなら、確かにここまでやって然るべきなのだろう。

デカルトはこのような「石橋を叩いて渡る」方法を心に決め、まずは数学の問題に向き合う。その結果、成功を得ることができたので、次は、哲学に対しても同じ方法を適用してみようと心に決めた。だが、そのためには「成熟」が必要だと彼は考えた。当時23歳。もう少し、彼には経験と吟味が必要だった。

(つづく)

※間違いがありましたら、すみません。また訳文は読みやすさを重視してダイナミックなものになっていますのでご了承ください。

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