エッセイ|思い出話|伝説のドリンカーは、社畜だった。
大学時代、私は一時社畜になった。
大学2年生のころ、友達の紹介である居酒屋でバイトをすることになった。
人生初めてのバイト。
右も左もわからない中上京し、東京人に謎の恐怖感を抱きながら、大学生活を送っていた私が、東京で働く。
両親は喜んでくれた。
大変なこともあるだろうけど、頑張ってね!
そう背中を押してくれた。
本当だったらバイトなんてしたくない。けど周りがはじめてるから、なんとなく焦って始めてみるのである。志望動機が不純。
そして迎えるバイト初日。
ショートパンツと少しタイトめなユニフォームを渡された。
え?これ着るんか?これ着て人前で動くんか?
自分に自信がない、しかもダイエットという言葉を最近覚えた私にとって苦行だった。
自分から見たらこの太い足、この太い腕、この立派なお腹。
こんなのみたら、食欲失せるよなぁって思いながら、わたしは従順にユニフォームに袖を通していた。
社畜の爆誕である。
その日から私の社畜ライフは始まった。
最初は慣れるのに必死だったが、週3の勤務から週5勤務へ。そしてなんと週7勤務フルタイムへと進化した。
いつしか、あー明日大学だったなぁ。だるいなあなんて、バイトが本職みたいな思考回路になっていた。
私のポジションは主にホールだったのだが、ドリンカーへと昇格し、後輩を教える立場になっていった。
「いらっしゃいませ〜ご新規3名様です!」
ホールのスタッフが法螺貝を鳴らし、敵陣が攻めて来たことを伝える。
わたしはすかさずドリンカーの持ち場へと移動し、遠くのテーブルへ耳を傾ける。
「…ビールと、ファジー…ブ…と、…のロック…」
すかさずわたしは、生ビールジョッキを手に取り、ビールサーバーにセットする。そして、片手でファジーネーブルを作る準備。リキュールとオレンジジュースをノールックで棚から出し、グラスに氷を入れる。
「生ビール1、ファジー1、霧島ロック1です!」
最後聞き取れなかったロックは霧島ね。桐島部活辞めるってよ。なんてブツブツ言いながら、出来上がった生ビールから手を離し、霧島ロックを作り始める。霧島のボトルの場所は見なくてもわかる。
「3卓あがったよーっ!」
オーダーをとってからわずか10秒で、飲み物はお客様の元へ。
「え!早すぎ!もう来たの?」
ふふふ。早いだろう早いだろう。この地獄耳がこんなところで役に立つとは。驚くが良い驚くが良い。
と、そんなこんなでわたしは
伝説のドリンカーと呼ばれるようになってしまった。
お客様からも伝説のドリンカーと呼ばれ、スタッフからも伝説のドリンカーと呼ばれ、店長からも今日はドリンカー固定ねと、持ち場を任されるようになった。
いつしか私はアルバイターではなく、ドリンカーとしてバイトに行くようになった。
週7ドリンカーである。
今思い返すと、あの時わたしは毎日が楽しかった。素早くドリンクを作り、オーダー伝票が出て来る前にドリンク台にドリンクを提供する。
ゲーム感覚でバイトをして、日々自分の記録を塗り替えようと努力した。
居酒屋なので夜遅くまでの営業がたまにしんどく感じた日もあるが、なぜかとても高揚感を感じていた。
「湯船って最近マジ社畜だよねえ〜ウケる〜」
社畜??社畜って何?
そこでわたしは初めて自分が社畜であるということを知った。
社畜という言葉を初めて知ったその夜、わたしは次の日のシフト表を確認し、しっかりとバイトの準備をして眠りについた。
今まさに、#なんのはなしですか と私はカッと目を開き、この記事を終わりにする。
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大学時代は思い返せばいろんなことがある。
振り返ると未熟だなと感じることも、頭悪すぎるて!と時空を超えて震えることもある。しかし、腹を抱えて笑ったあの時、意味のわからないまま突き進んだ日々もある。
尊い。
そんな日々を得て私は社会人として、社会に揉まれながら仕事をし続けている。
たまに振り返る大学時代はむず痒くも愛しくて、高校生には必ず大学へ行くことをおすすめしたい。
大丈夫。私も奨学金を背負って社会に出ているから。
