修道院の食堂に描かれた人類の至宝
盛期ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチがミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に隣接するドメニコ会の修道院の食堂に15世紀末にイエスと弟子たちの最後の晩餐を三年の歳月をかけて描いた壁画。1980年、修道院と教会、ダ・ヴィンチの最後の晩餐がユネスコの世界文化遺産に登録。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエSanta Maria delle Grazie教会は、ミラノ公爵ルドヴィコ・イル・モーロの命により、一族の霊廟として1492年から1493年にかけて建て変えられた。それより半世紀ほど前に、スフォルツァ家のミラノ公フランチェスコが聖母マリア礼拝堂があった場所に、ドメニコ会の修道院と教会を建設させていた。


「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」 弟子たちは互いに顔を見合わせ、イエスが誰のことを言っているのか分からなかった。
(ヨハネによる福音書13:21-22)

「主よ、それは誰のことですか。」 イエスは答えられた。「わたしがパン切れを浸して与える者だ。」 イエスはパンを浸して、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。パンを食べ終えると、サタンが彼の中に入った。イエスは彼に言われた。「しようとしていることを、急いでやりなさい。」食卓にいただれも、イエスがなぜ彼にこう言われたのか分からなかった。(ヨハネによる福音書13:25-28)

聖ペテロが聖ヨハネに耳打ちをしている。ダヴィンチ・コード以来、女性っぽい使徒聖ヨハネは、マグダラの聖女マリアでは?と言われているが、ダ・ヴィンチはイエスが愛した弟子の一人聖ヨハネを自らの嗜好を投影させて両性具有風に描いたのだろう?

最後の晩餐の壁画がある修道院は、第二次世界大戦末期に爆撃を受け、建物は戦後すぐに修再築された。壁画の劣化も激しく、1978年から1999年まで大修復作業が行われた。
修復前にも撮影取材で訪れたことがある。修復前は、壁画がある旧食堂も暗く、何より壁画自体が燻(くす)んでいて12人の弟子たちが区別ができないほどだった。修復後、壁画は明るくなり、ダ・ヴィンチ特有のスフマート(煙のようなぼかし)が明瞭になり明るくなった。 ダ・ヴィンチの時代までの壁画の多くは、漆喰の壁に速やかに描くフレスコ画が主流だったが、制作に熟思型のダ・ヴィンチはあえて石膏面にテンペラで描く方法を選んだことが劣化の原因では?とされている。

イエスから離れたグループの聖マタイ、聖タダイ、聖シモンは、イエスの言葉が聞こえなかったのか?何を言われたのか?確認しあっているのか?


ミラノ公ルドヴィコは、15世紀末に教会の全面改修を当時の建築界の巨匠ブラマンテに依頼したが、実際に完成したのは主祭壇のある後陣のみであった。15世紀末の改築で、旧聖具室、小回廊、おそらく食堂などもブラマンテの手によるものとされている。ルネサンス建築の傑作の一つ。


サンタ・マリア・グラツィエ教会の最後の晩餐予約サイト。
