自分の正しさに溺れた時、人は思考を止める
俺は、自分の考えに自信を持って生きてる。
でもそれは、逆説的に──
自分の考えを常に疑い続けてるってことでもある。
自分の考えを言葉にして主張するなら、
「それって本当に正しいのか?」って、自分に問い続ける義務がある。
俺はそう思ってる。
ただ、こうも思う。
自分の考えを言葉にして発信することで、
それを受け取った相手に「圧」を与えてしまってる可能性がある、と。
もちろん、それも俺は自覚してる。
俺は、読み手に「共感してほしい」訳でもなければ、
感情論者を論破したいわけでもない。
俺がnoteを書くのは、
「誰かに勝ちたい」とか「誰かを変えたい」からじゃない。
ただ、自分がこう思ってる、こう生きたい、そうありたい。
“俺の在り方”を言葉にしてるだけ。
だから、議論がしたいわけでもない。
手放しに賛同してほしいわけでもない。
むしろ──
「あんたはどう思うの?」
「どう生きていくの?」
俺は、ただそれを各々で考えてくれりゃ、それでいいと思ってる。
でも、だからと言って他人の考えを頭ごなしに否定する気もしない。
自分なりに考え抜いたであろう他者の意見には、真摯に向き合う。
それが、思考する人間としての礼儀だと思ってる。
俺が本当に恐れてるのは、
自分の考えが“間違っていた”ってことじゃない。
「俺は100%正しい」って思い込んで、
自分に対する問いを止めてしまうこと。
それが一番怖い。
このnoteを読んで、「ああ、俺もそう思う」って思ってもらえたら嬉しい。
でも、「それは違う」と思ってもらっても構わない。
俺はあくまで、
「俺はこう思う」っていう“俺自身の在り方”を語ってるだけだ。
最後に一言:
「考えを語ることは、支配じゃない。
それは、問い続ける“在り方”の表明だ。」
