文章に魂があるかは、“AIかどうか”じゃなくて “誰のために書いたか”で決まる。
最近、Xでも note でも
「AIで記事を書くのはズルい」だの
「AI使って有料記事は邪道」だの、
そんな声をやたら見かける。
でも俺は、ずっとこう思ってる。
AIを使うのが悪なんじゃない。
“意図のない文章”を書いてることこそ罪だ。
■ AI丸投げで記事を作るやつ
それはそれで自由だ。
他人の稼ぎ方にケチつける気なんて俺にはない。
ただ──
読者はすぐ気づく。
「あぁ、これAIの文章だな」
「書き手の体温がゼロ。魂がどこにもない。」
中身が空っぽの文章は
読者の心を動かさない。
だから勝手に淘汰されていくだけだ。
それだけの話。
■ でも、AIの時代はもう止められない
AIが文章を作る世界は不可逆だ。
否定し続けてる価値観の方がもう古い。
とはいえ、
AIが“どうしても絶対に勝てない領域”がある。
迷い
過ち
揺れ
弱さ
本音
罪悪感
未熟さ
人間特有のユーモア
感情の震え
そして──
他人の過ちを赦すこと。
これは絶対に機械にはできない。
■ ぐちゃぐちゃの文章にも美しさはある
むしろ俺は、
整理されてない“生の文章”が好きだ。
「あぁ、この人は今、自分の中の混乱を
どうにか言語化しようとしてるんだな。」
言葉の裏側にある“人間の匂い”。
この揺れは、AIでは絶対に作れない。
不器用な文章ほど美しい時がある。
それが人間の書く文章だ。
■ ただし──読み手の時間を無駄にするな
ここだけは絶対だ。
今の世の中は、
Netflix、YouTube、TikTok、サブスク…
“時間の奪い合い”になっている。
そんな中で、
あなたの文章を読んでくれる人がいる。
読んだあとに、
「で、結局何が言いたいの?」
「あ、これ時間の無駄だったな。」
これだけは絶対に起こしちゃいけない。
書き手は、読者の人生の一部を預かってる。
AIを使うかどうかじゃない。
問題は、そこだ。
■ 書き手が向き合うべきは道具じゃない。
“誰に向けて書いているか”だ。
自分の中の感情をそのままぶつけたい。
自分の揺れごと受け取ってほしい。
心の中の混乱を見てほしい。
そんな文章は、
AIを使う必要なんて一切ない。
ぐちゃぐちゃでいい。
その方がいい。
逆に、
読み手に正確に伝えたい、
読み手の時間を無駄にさせたくない、
誤解なく情報を届けたい、
そう思うなら、
AIを使ったっていい。
ただ、それだけ。
■ 俺の答え
俺はこれからも
AIを使うかどうかじゃなくて、
「この文章は、誰のために書いているのか?」
ここだけを見て書いていく。
魂がある文章かどうかは、
AIかどうかじゃない。
“誰のために書いたか”で決まる。
それが全てだ。
