月影の武者
_______ 透明な潮騒、傀儡の夜
徳田源十朗は困惑のただ中にあった。
剛毅にして果敢な出立ちどおり、武勇の誉れは高く、此度の奇襲も満場一致で首肯され、主君より命を授かった。
夜陰に乗じて敵将を討ち取るという策謀であった。しかし予期されたように敵将の陣はたやすく見定められなかった。松明のまばゆさだけでない、どれもこれもが標的に映し出されるふうに仕組まれていたのである。
向かい側には源十朗に加担すべく、捨て身の撹乱兵たちが突撃の合図を待ちわびていた。
昨夜の斥候の報せでは斯様な情況ではなかった。
勝機ありと見込んだのだが、裏をかかれた限り、ためらうより他に構えはなく、漏洩はどこで為されたのか、味方に諜報が紛れていたのか、果ては日頃よりの反目、快く思っていない側近にまんまとはめられた、などという疑念を猛烈に働かせる始末。
やがて源十朗は配下の者に低い声で意を伝えた。
「もっとも燃え盛っている松明こそ本命と見た。却ってひっそり夜気に包まれておる姿は至当すぎようぞ」
独断ではあったが、奇襲の道理はすでに霧散し、討ち死にを選びとるより仕方のない場面を引きつけたともいえる。
鬨を衝くまでもなく、源十朗は夏の虫のごとく赤々とした松明に吸い寄せられ、目に入るすべての動きに対し剣を浴びせかけた、いや叩きつけたのだった。
忘我の境地であった。
撹乱兵の勢いも相まって敵方の周章ぶりは、突風にあおられたすすきの穂を想起させ、次々と刃の下へ戦意喪失者を横たわらせた。
実のところ、源十朗は悲願の首級を手にした攻防も経緯も失念していた。
正気に返ったときには血まみれの布切れを抱え、独り戦場から遠のいていた。
そこが山間から相当隔たった土地なのは、血の香りに寄り添ってくる潮の匂いを覚えたからで、どうやら一山越えたと、武士の面目を守りきれたのだと、深く安堵した。
広々とした白砂を踏みしめるやわらかな感触が、寄せては返す波の音と折り重なり、ひとときの平穏を得たけれど、独り浜辺をさまよっている影を足もとに見いだした刹那、不吉な念が月光とともに源十朗を冷ややかに照りつけた。
「影とな」
敵将の御身が話頭にのぼるとき、その明晰な知能もさることながら、恐ろしく警戒心の強い研ぎすまされた神経も取り沙汰された。
左頬に小豆大ほどのほくろを授かったことを幸いに、幾人とも知れぬ影武者を周囲はむろん、鷹狩りの折や宴の幕内などにも、周到にすげ替えては用心を怠らない。
似た風貌とつけぼくろさえあれば、敵将は人前に姿を見せることなく、奥深い寝屋で好色に耽り、高いびきで天下泰平の夢に遊べよう。
源十朗は月明かりから逃れる足取りで、己の身と首級の隠れ場所を物色した。
甲斐あって小さな洞穴を波打ち際に見出し、辺りを慎重にうかがいそっと影を忍ばせた。
これで人目から消えることができたと、さらに胸をなでおろせるはずであったが、暗黒の洞穴は視界を奪い去り、真偽をただすのが難儀となってしまった。
ただ、布をほどき首をなで頬に指先が触れ、直ぐさまそれがほくろであるのを感じとった。
血の気はもちろん、蝋人形のような冷めた塊に意思を通わすこと自体、戯れに思えたけれど、闇に覆われ失われた感覚は、何かしらの弾力を望んでいた。
源十朗の長く熱い夜はここから始まった。
灯火を求めずとも敵将である証左を得て、小躍りしたい気分は思いのほか、蔦がからまった森に封じこめられたような不安に鎮められ、やがて疑心の暗雲にすっかり閉ざされてしまったのである。
もう体温を失っている生首のほくろに、微熱すら感じないにもかかわらず、源十朗は卑猥な手つきでその証しに触れ続けていた。
めぐるものは生暖かい反芻だけであった。
当惑は真贋に帰結されるべきであったのだが、いつしか想いは、いかなる理由で隠遁の態を選択したのかという、現実に舞い戻っていた。
「でかしたぞ、源十朗」
「さすがは徳田どの、あっぱれでござる」
主君はじめ居並ぶ要職はもちろん、親族縁者の賛嘆を耳にした途端、あとは嘲笑の的であり続けるという荷車が走りだした。
夜襲の案に賛同した面々の心根が小憎らしいくらいよく分かる。
おめおめと偽物を小脇に携えている格好を見とがめられたなら、どれほど恥じ入らなくてはならないのか。
源十朗は死線から脱し得た喜びを糊塗せんが為、自らの名誉に拘泥してしまい、どうあっても生き延びた身が情けなく思われるのだった。
一刻も早くこの首を始末しなければ・・・そして敗走の汚名をぬぐうには・・・いや、己だけの力で首を打ったのではあるまい。
壮絶な斬り合いが一方的な戦果として、また散る火花を消滅させ、記憶を葬り去ったのは紛れもなくあの刹那、敵将だと信じて疑わなかった功名心であり、極点にまで舞い上がった勇猛という怯えであった。
この心持ちにいたる夜は決して短くはない。
ふらふらと洞穴を抜け出たのは、黎明を告げられる寸前であったように思われた。
まずは血まみれの布を波にさらわせ、同様に生首も海中に放り投げようと、弱々しい力をふりしぼろうと努めた。
そのときである。
「貴様には出来まい」
信じがたいことだが、両の手にはさまれた首がそう口を開いた。
腰を抜かさんばかりの場面であったけれど、源十朗は金縛りの様子と見え、微動だにしないからだに逆に操られるふうにして、首を砂のうえに置き、兜を脱ぎ捨てると、物の怪に憑かれた顔つきのまま、剣をゆっくり抜き、切っ先から棟に左手を滑らせて両肩に乗せ、そのまま一息に胴体より己の首を斬り落とした。
源十朗の歪んだ表情が波間に消えゆくのを待っていたのか、砂上の首級は高貴な目配せを月影にしめし、虚脱したはずの胴体に生命を与えた。
両腕がのび、あろうことか生々しく血糊を垂れ流している斬り口へと、あたかも人形の首をすげ替えるごとくおさめてしまった。
それからおもむろに兜と頬当てを被り、あきらかに人目を意識したまなざしで左右を見据えた。
夜明けにはまだ猶予があった。
鎧武者はそれをよく心得ており、源十朗は知り得なかった。

























