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無料の客|掌編小説集「ゆうぐれドキ」#5

「あの、無料で食べられるものってあります?」

 痩せた男は店に入るなり食券機を素通りし、カウンターから身を乗り出してそう尋ねた。

「無料?」と、僕は聞き返した。午後三時のうどん屋には僕と彼の二人きり。

「お金なしで食べられるものなんですけど」と、彼は控えめな口調で繰り返す。一見すると童顔だが、よく見ると汚らしい産毛が赤っぽい顔を覆っている。

「ない、と思うんですが」

 彼は僕の声なんか全く聞こえていないような素振りで、カウンターの卓上調味料や天かす、刻みネギを指差す。仕草が癪に触る。

「無料、ですよね?」

「それはうどんを注文した人用の……」

「あ、うどんはいらないんです、うどんは」

 彼はあらぬ誤解を解くみたいに早口で言った。

「あと、替え玉が無料、なんですよね?」

「え? まあ……」

「じゃあ、替え玉一つ」

 なんだか頭が痛くなってきた。彼はズボンのポケットの中からぐしゃぐしゃのビニール袋を取り出して僕の前に広げてみせた。ビニールの内側には黒ずんだ何かがあれこれとこびりついている。

「ここに替え玉とお醤油と……あと天かすを」

「あの、無理です」

「あっ、替え玉とお醤油と天かすを……」

「だから、無理です」

「はい?」

「帰ってください」

「でも、無料……」

 僕は会話を打ち切って厨房に引っ込み、夕方に向けての仕込み作業に戻った。彼はしばらくの間、カウンターからこちらを覗き込んで何かゴニョゴニョ言っていたが、無視を決め込んでいると彼は寂しそうな顔をしてトボトボと店の外へ出ていった。

 まったく、面の皮が厚いヤツにはシカトが一番だな。やれやれ。

〈了〉

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