傲慢な支配人|掌編小説集「ゆうぐれどき」#1
厨房の床に茶色くでカサコソする虫が現れた。支配人がシェフに怒鳴る。
「おいゴキブリがいるぞ」
シェフは神妙な表情で、
「いや……違う気が……足が四対ですし……」
「あ、なんだって?」
「ゴキブリって本来は足が三対、六本なんで……」
確かにその虫は四対、八本の足を持っていた。
「ゴキブリではないのか」
「ええ、まあ……」
すると同じ虫がコンロの下からゾロゾロ出てくる。
「おいまた出たぞ!」
「ええ、ですね……」
「虫だぞ!」
「はい。ただ……ゴキブリでは、ないですし……」
支配人は何か厳しく注意しようとしたが、シェフが妙に冷静なのでなんだか調子が狂ってしまう。
「しかし、こういうのはよくないんじゃないか?」
「と……いいますと?」
「その、君たちの仕事に差し障るんじゃないか?」
虫は床に転がる野菜の切れ端を悠々と食んでいる。
「いえ、特に……」
支配人はなんだか自分が酷い勘違いをしているのではという気がしてきた。
「そうか。その、特に問題はないんだな?」
「ええ、まあ」と、シェフは気まずそうに苦笑する。
「パエリアまだですー?」
若いバイトが威勢の良い声を厨房に投げかける。シェフは曖昧に頷き、皿に盛ったパエリアを持ち上げた。支配人は気づく、その中にひっくり返ったあの虫が紛れていることに。
「おい、ちょっと待て!」
「はい、えっと……」
「それはなんだ!」
シェフは漠然と自分の手のパエリアを眺める。確かにあの虫はその視界に入ったはずだ。すると、シェフは気の抜けた微笑みで、
「あはは、自信作なんで」
と、言いながらお客に出してしまった。店はいつも以上に繁盛している。支配人は事務室に戻って考え込んだ。もう少し、謙虚になってみるか……。
〈了〉
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