男子校という欠落

これは、とある男の話。

昼下がりの東武亀戸線。
2両編成の地元の人しか使わない車両は、家族連れや学生達で意外と多くの人が乗っている。
ローカル線特有の、似た雰囲気を纏う乗客同士が醸し出すゆるやかな空気の中で、女子高生の会話が起きていた時のことだった。何を喋っていたかは聞いていない。大事なのは内容ではなく、状況だ。気づいたことがあった。

私は

女子同士の会話を聞いたことがない。


こんにちは。
リップグリップ岩永です。

皆さんは、他人の「会話」聞いていますか?
日常の街中でも、創作物のワンシーンでも構いません。他人の「会話」を聞いていますか?
それは、内容の重要さを聞いているのでしょうか。それとも言葉は「誰が話しているか」を聞いているのでしょうか。

断言します。もう会話というものは内容などどうでもいいのです。
大事なのは「誰が話しているか」。そして、「どんな声で話しているか」です。
他人同士の会話というキャッチボールを見て、そのテクニックに興味はありません。ボールも全く見ていません。投げている、獲っている人間を見てます。
SNS時代、なんでも文字になる時代で、会話における価値になるのは「声」です。声優さんの声が良いとかそういうのじゃなくて、「」の「」です。なんでこんなことにこだわるのか、には理由があります。


私は神奈川の男子校に通っていた。
男子校」、サンスクリット語では「ナラク(奈落)」とも呼ばれ、仏教の言葉では等活地獄と黒縄地獄の間に位置する、前世で取り返しのつかない罪を犯した者が集められる場所のこと。
私がこの地獄にいた頃、同じ地獄の階層に集う亡者どもは知恵を奪われ、満足に言葉を話すことが出来ず、「らんらんるー」「えーりん」「シジミがとぅるるで頑張ってる」という意味不明な会話で地獄の責め苦を耐え忍んでいた。

この地獄は珍しく、とある時期が来ると救済が訪れる。私は過酷な試験を経て「大学」という施設に通うことになった。そして男子校のことを忘れていたある時、自分のとある欠落に気が付いたのだ。

「女子同士の会話を聞く」というのは、「金輪際経験できない一生の欠落である」と。

よくある男子校出身の悩みで、「女性と上手く喋ることができない」というのがあるが、それはいつか解決し得る問題だ。努力や環境でなんとかなる。
一方で、「女子同士の会話を聞く」ということはできない。「女性」ではなく、「女子」だ。「社会」と「他」を認識する前であり、「個」という自我が芽生えたヒトを「子」と呼ぶことにした時の「女子」。
わかりやすく言うならば、「大人」や「仕事」などの「公」を意識していないような「女子」である。
私はガキは嫌いだし、タイプとしては大人びた人間が好きだ。男女問わず、考えが成熟している人が好きだ。
私はこの社会で生きることで身に降りかかる「穢れ」や「疲れ」を好意的に捉えているが、そういった、生きる上で「必要なもの」を知らない、前向きで良く言えば無邪気、悪く言えば我儘で世間知らずな純粋な人間。そういった彼ら彼女らには、確かに輝きがある。
その輝きは自分のような穢れた人間、疲れた大人とは交わるべきではない。なんというか、「作画」が違うのだ。掲載される漫画のタイプが違うという意味で、住む世界が違う。世界観が違う。

そういった穢れなき人と交わることがないと気づいた時、私はもう2度と、そして人生で一度も女子同士の会話を聞くことがないんだと痛感した。

別に何も損はない。しかし、冒頭のような電車などでふとその音を耳にした時、青春をテーマにした好みじゃないジャンルの聞いたことないJ-POPが脳内に流れ出す感覚がある。「失ワレタ遠イ記憶」が目の奥から溢れて視界を埋め尽くす。

これ、難しいのが、子役の声ではないし、アイドルの声でもないし、声優の声でもダメだということだ。この声の中にある「プロ化」された、芯のあるテクニカルな媚びの部分が、私を正気にさせてしまう。「良い声」じゃダメである、出来るだけ聞き取れず、蝉の音がノイズとして入っているような、雑踏の中でする技術のない女子の会話を聞いてみたい。

女子にこだわっているが、男子の会話でももちろん素晴らしい。ただ、男子の会話は私も聞いたことがあるから懐かしいだけだ。「聞いたことがない」ものを聞きたいという点で、女子同士の会話を聞きたいと思っている。例えばそこの中に男子がいても構わない。
欲を出して1番聞きたいのを言わせてもらえるなら、制服を着た男子2女子1で、その女子がギターケースとかを背負ってたりしたらもうスタジオを予約して収録してあげたい。ミキサーとして私を入れて欲しい。会話の時のボリュームをMAXにして、隣の部屋で永遠にキューを出していたい。
男子1女子2とかで勉強している集団も、ずっと近くにいて欲しい。その3人が使う暗記用の赤い下敷きになって、ずっと3人の会話を聞いていたい。勉強なんてしなくていい、君たちはとにかく会話をし続けるべきだ。

そんな「女子同士の会話が聞きたい」という思いは、いつしか僕を怪物にしたと思う。今僕が1番強く思っているのは、「女子のくしゃみが聞きたい」ということだ。

寿命20年ぐらい失っても良いから、どうにかならないだろうか。
女子のくしゃみというのは、「社会」にはない。
くしゃみというものは年齢とともに汚くなる。この社会で空気を吸えば吸うほど、酸素とともにストレスと道徳や常識に肺と気管は汚れ、出てくるくしゃみは溜め息や疲れとともに溢れ大きな音を立てる。プライドの分だけその音はでかくなり、隠す気持ちや抑える気持ちがなくなっていく。「くちゅん」という、ヒヨドリのさえずりのようなくしゃみは、私が生きている社会では失われた音なのだ。
そもそも女性のくしゃみというものを聞ける機会もない。メディアではカットされる。バラエティでも聞けないし、ドラマやアニメでもくしゃみなんてNGだ。だからこそ、Vtuberへの「くしゃみ助かる」は我々のような地獄卒の亡者が本気でタイピングした「くしゃみ助かる」なのだ。
本音は「くしゃみしてくださってありがとうございます。赤色のスパチャをさせていただきたいほどの感謝や感動その他伝えきれない思いはあれど、ここでスパチャをしてしまうことでVtuberさんの生のくしゃみが金銭につながる営利目的のプロのくしゃみになってしまっては我々の本来の目的である「こぼれ出た」感が失われてしまうことを避けるため、ここではスパチャではなく一言この言葉を持って感謝と応援の挨拶とさせていただきます。『くしゃみ助かる』」なのだ。
木漏れ日のようなくしゃみ。湧き水のようなくしゃみ。それを聞くことは、もう人生でないのかもしれない。
これを聞きに行こうとすればそれはもう犯罪だともわかっている。だから私は諦めた。ただ次の世代、未来の世代に私と同じ想いをしてほしくない。失ってから気づいてももう遅いのだ。


少年よ。若い君よ。
街中でイヤホンをするな。
君が学校に通う通学路。同じ時間帯にいる隣人に耳を傾けろ。
微かに聞こえる音に耳を澄ませ、神経を研ぎ澄ませ。
君が生きている今は、女子の会話を聞いてもいい今だ。
君は聞こえる女子の会話を全身で感じろ。
音を止めてはいけない。声をかけてはいけない。君のいる場所はコンサートホール。君に出来ることは目を閉じてその音を魂に刻むことだ。
目からの情報を断ち、ただその音の全てを聴け。君が聞いているどんなロックやポップよりも、君がまだ良さに気づいていないどんなクラシックよりも、その女子の会話が奏でる音は高貴で神聖で荘厳なのだ。


少年よ。若い君よ。
勉強の手を止めて、模擬試験を受けに予備校に行け。部活の足を止めて、模擬試験を受けに予備校に行け。
その静寂を破る女子のくしゃみを聴け。顔も知らない、誰がしたかもわからないくしゃみに身を震わせろ。
その音の元を辿ってはならない。近づいて関係を生んではならない。顔も知らない女子のくしゃみだからこそ、その音が、音の形のまま、君の中で鳴り続ける。
君は若い。若さは希望だ。だが、満足してはならない。満足は希望では無い。渇望こそ希望だ。
恋愛してはならない。満たされてはならない。だが、失う必要はない。希望を持ち続けるために、今得られる宝物をその手にするのは君が今しかできないことだ。
君は若い。未完成だ。未完成は希望だ。君は栄える王国ではなく、草原と砂漠だ。その大地に降り注ぐ木漏れ日が女子の会話、吹き渡る風が女子のくしゃみだ。
満たされるな。恋愛はするな。身体を重ねるな。ムカつくから絶対にモテるな。
君はただ、希望に燃える若木であれ。年老い、もう戻れない私が身を震わせるほど欲した、女子の会話とくしゃみを手にしろ。それだけで、君は私よりも満たされている。私よりも豊かでいれる。金や名声ではなく、心の豊かさを得れる。



くしゃみ聞きたいです。誰か可愛いくしゃみが聞ける動画教えてください。

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