その先の景色へ。MF柴田壮介【Voice】
昨年に引き続き、アンカーとしてチームを引っ張るMF柴田壮介選手。10代でのJ1デビュー、そしてJ3での苦闘を経て、いわきFCへの完全移籍を決断。今シーズン、コネクターという大役を担う背番号8のこれまでと現在地、そして未来への展望を聞きました。
▼プロフィール
柴田 壮介(しばた そうすけ)
2001年神奈川県出身 湘南ベルマーレU-15→湘南ベルマーレU-18→湘南ベルマーレ→カターレ富山(期限付き移籍)→ヴァンラーレ八戸(期限付き移籍)
2024年いわきFC加入
■プレーの軸はボール奪取
2月に行われた明治安田J2・J3百年構想リーグ・地域リーグラウンドEAST-B第1節・北海道コンサドーレ札幌戦。
前半15分のことでした。柴田壮介選手はセンターサークル付近でボールを奪い、FW西谷亮選手に預けます。西谷選手はゴール前へスルーパス。抜け出した柴田選手がボールを受け、ゴール左隅に冷静に流し込みました。
見事な開幕戦の決勝点。このゴールによって、いわきFCは2022年のJリーグ参入後初となる開幕戦勝利を手繰り寄せました。自身の成長を証明したゴールを振り返り、柴田選手はこう語ります。
「奪った後、前に出ていくというのはチームとしても個人としても狙っていたこと。それを形にできました。前線からのプレスでマンツーマン気味にポジションを崩してボールを奪い、そこから前に出ていく。この形は自分にとってベストな得点パターンだと思っています。
アンカーというポジション上、なかなか得点機会は巡ってきませんが、狙っていた形で取れてよかった。後ろの選手たちがリスクを負ってラインを上げてくれるからこそ、迷いなく前に出られる。DF3人のおかげです」
攻守の全局面に関わり、精度の高いプレーとバランス感覚が求められるのが、いわきFCにおけるアンカーというポジションです。
「すべての局面で役割があり、攻守ともに精度が求められます。その中で自分のプレーの軸はボールを奪うこと。いわきの守備は特に1対1で人に強く行くので、マーカーにボールが入った時、どれだけタイトに奪いに行けるかを一番に考えています。
でももちろん、それだけではダメ。後ろと前をつなぐこと、そして最終局面で身体を張って守ることも大切な仕事。一つの突出した武器を持つよりも、ボール奪取を軸にして総合的なレベルの高さで勝負していきたいです」
2024年8月、湘南ベルマーレからの期限付き移籍でいわきFCにやってきた柴田選手。
3シーズン目を迎えた今年、いわきFCに完全移籍しました。昨年のチームを支えた多くの選手が移籍し、今季はメンバーが大きく変わる中、副キャプテンに相当する「コネクター」に就任しています。
「役職はもちろん光栄ですが、完全移籍が決まった時から、自分がチームを引っ張っていくという気持ちでいました。今年の5月で25歳になりますが、すでに上の年齢。このチームは特に若いですからね。
チームで求められることも自分がやりたいプレーも、昨年とそれほど変わってはいません。変わったのは、試合の中での意識。自分が前やサイドに出た時、昨年までは山下優人選手(現・水戸ホーリーホック)がよくカバーしてくれました。今年は山下選手の役割を自分が担っている面もあります。経験の浅い選手が増えた分、チーム全体を見渡してバランスを取る状況が増えています」
そして、百年構想リーグ第7節・AC長野パルセイロ戦。柴田選手が身体を当てて奪ったボールをつなぎ、右サイドからFW田中幹大選手がクロスを上げます。そこに走り込んだ柴田選手が鮮やかに決め、今季2ゴール目を記録しました。
「以前、ああいう形のゴールはなかったです。ボールを取られて戻り、もう一度スプリントして点を取り切る。あれは、いわきに来てからできるようになった形です。でも、まだまだ。昨年、札幌で活躍したMF高嶺朋樹選手(現・名古屋グランパス)ぐらいの数字を残せたらインパクトが強いと思うので、もっと取りたいです」
アンカーとして確固たる地位を固めた昨季のパフォーマンスに満足せず、成長を欲し続ける柴田選手。彼の言葉からは、10代でのプロデビュー後、数々の困難を乗り越えてきたからこその重みが感じられます。
■「お前はそれほど上手くない」
地元の神奈川県茅ヶ崎市でサッカーを始めたのは、幼稚園のころ。その後、小学校時代から一貫して中盤でプレーしていました。中学時代にセレクションに合格し、湘南ベルマーレのアカデミーに入団。シャドーとボランチでプレーしていました。
柴田選手が入団したころ、湘南ベルマーレのトップチームには、現在リヴァプールFCで活躍する日本代表の遠藤航選手や、今年からともにいわきFCでプレーするMF永木亮太選手らが在籍。チームは曺貴裁監督(現・京都サンガF.C.監督)のもと、アグレッシブな「湘南スタイル」でJリーグを席巻していました。
そんな中、柴田選手は順調にステップアップ。高校1年の春からトップチームの練習に呼ばれ、2018年3月に2種登録選手としてトップチームに登録。ルヴァンカップのV・ファーレン長崎戦でプロデビューを飾ります。そして2019年1月、高校2年生ながらトップチームに昇格し、プロ契約を勝ち取りました。

「もうトントン拍子すぎて、よくわかっていませんでしたね。デビュー戦は最後の20分ぐらいにボランチで出て、めちゃくちゃ調子よかったことを覚えています。そしてひと月後、ルヴァンカップのサガン鳥栖戦にもスタメンで出してもらい、50分まででしたがいいプレーができた。それで『いけるじゃん』と思ってしまったんです。自分はできる、という謎の自信に満ちあふれて、天狗になっていました」
そんな柴田選手の伸びた鼻をへし折ったのが、曺貴裁監督。曺監督は柴田選手の慢心を瞬時に見抜き、厳しい言葉を投げかけました。
「お前はそれほど上手くない。軽いプレーをやめて、まずはボールを奪えるようになれ」
「この言葉には正直、困惑した」と柴田選手は語ります。
「中3ぐらいまで攻撃的なプレーが好きで、シャドーのポジションで今、西谷選手がやるようなテクニカルなプレーが得意でした。だから『自分は上手いのに、監督はいったい何を言っているんだろう』としか思えませんでした。今思えば、すべて見透かされていましたね」
曺監督に守備を徹底的に叩き込まれるうちに、徐々に実力不足を思い知らされていきました。この年のシーズン途中に監督が交代。ユース時代からプレースタイルをよく知る浮島敏監督が就任しました。そして翌2020年、柴田選手はガンバ大阪との試合でJ1デビュー。しかし、この試合で「戦犯」になってしまいます。
「0対0の後半ラスト10分でピッチに入ったのですが、マークしていた食野亮太郎選手にカットインでゴールを決められてしまったんです。ショックでしたが、チームメイトからは容赦なく責められました。そういう世界ですから、高校生だろうと決して甘く見てはもらえません。でも、当時の自分にとってはかなりキツかった。思えばこれが最初のどん底でした」
この年は15試合に出場。「確かに湘南時代で一番試合に出た年ですが、実力が伴っていませんでした」と振り返ります。そしてこれ以降、柴田選手のキャリアは苦しいトンネルに。翌2021年の出場は、わずか3試合にとどまりました。
「開幕から出ていたのですが、3試合目の鹿島アントラーズ戦でボッコボコにやられ『1回頭を冷やせ』と言われ、メンバーから外れました。
運が悪いことに、そのタイミングでケガをしてしまったんです。3カ月ぐらいで復帰しましたが、その後もコンディションが上がらず、まったく試合に絡めなくなってしまいました」

トップチームで試合に出ている選手とは、技術もフィジカルも差がある。その現実が見えるにつれ、自信が失われていきました。
「周囲の人から『お前は器用貧乏で決定的な武器がない。何か武器を作れ』と言われ続けていました。ある人は『お前のストロングは守備だ』と言う。でも別の人は『ゲームメーカーになれ』と言う。未熟だった自分は、どの道に進むべきか答えを出せないまま迷い続けていました。試合に出るには、周りの意見を聞かなくてはいけない、と思いすぎていたかもしれません」
そして、苦しみはその後も続くことになります。
■いったいどこまで落ちていくんだろう
トップチーム昇格から3シーズンが経った2022年。なかなか出場機会を得られないもどかしさを打破するため、J3のカターレ富山への期限付き移籍を決断します。しかし、ここでも試練が待ち受けていました。
「正直『J3なら当たり前に試合に出られだろう』と思っていました。でもチームに加入してみると、想像以上にレベルが高い。甘い世界ではまったくなかったです。キャンプ前の身体作りでケガをしてしまい、キャンプでプレーできずに出遅れてしまいました。
チームからすっかり取り残され、復帰しても『お前誰?』という状態。
思い描いていたビジョンとはほど遠い状況でした。しかもこの年、扁桃腺の炎症が多発したんですよ。月に1回ぐらい40度の熱が出て寝込み、復帰してまたひと月後に同じ症状が出る。これを3回ぐらい繰り返してしまった。らちが明かず、結局、夏に扁桃腺を手術して取りました」
この年は7試合のみの出場。不完全燃焼のシーズンでした。

「そもそもサッカーがまともにできなかった。『J3で通用しなかったら、次はどこに行けばいいんだろう。人生どうなるんだろう。自分はいったいどこまで落ちていくんだろう』。そんな気持ちでした」
迎えた2023年は富山での2年目。崖っぷちに立たされる中、柴田選手はキャンプでまたしても負傷に見舞われてしまいます。まさに、前年と同じ過ちが繰り返されようとしていました。「これでもか」というほどに訪れる苦難。そしてリハビリの日々。柴田選手はここで一つの決意をします。
「いったん今後の自分のキャリア、サッカーでの成功について考えることをやめ、取り組み方や考えをすべて変えよう。これでダメなら『自分には上に行くポテンシャルがなかったんだ』と納得できるぐらいの取り組みをしよう」
そう決めて、まずはJリーグや欧州サッカーの映像を見続けました。そして感覚頼みだったプレーを理論でとらえ直し、徹底的に考え続けました。フィールドでの練習に復帰すると、毎日を実験の場ととらえ、プランを立て、やってみて振り返り、再びやってみるというサイクルを徹底的に回し続けました。
「人に言われた選手像を追い求めるのではなく、自分自身がどうなりたいのかを考えました。その結果、突出した武器を作るのではなく、中盤の選手に求められるすべてにおいてバランスの取れた総合力のある選手になろうと思いました」
■ゆるぎない自信をつかむ
翌2024年。柴田選手はヴァンラーレ八戸に期限付き移籍しました。「ここでダメだったらもう先はない」。
そんな決意の移籍でしたが、柴田選手はこのラストチャンスを見事にモノにします。3バックのアンカーとしてJ3で20試合にスタメン出場。
特にボールを奪取のスキルが大きく伸び、小柄ながらも巧みに身体を入れてボールを奪う今のスタイルが確立されていきます。かつては不得意だった守備とボール奪取が、気づけば欠かせない軸となっていました。

「八戸に拾ってもらった。そんな想いが強いです。試合に出る中で、これまで取り組んできたことが実を結んだ感覚がありました」
そんな時、いわきFCからオファーが届きました。当時のいわきFCでは、シーズン前半に活躍していたMF大西悠介選手(現・アルビレックス新潟)が負傷で長期離脱。層が薄くなった3バックのアンカーをこなせる人材を探していたのです。
一方、声をかけられた柴田選手の心境は複雑でした。やっと調子の上がってきた時に八戸への期限付き移籍を打ち切ることに、抵抗がないはずがありません。それでも悩みに悩んだ結果、いわきへの期限付き移籍を決断します。
「一つ上のカテゴリーでプレーして自分の実力を証明したい気持ちが勝りました。ただ、いわきFCというチームには厳しいイメージがありました。筋トレやスプリントトレーニングは負荷が高そうだし、スタッフも怖そうだなと。でも、サイズの小さい自分がこの先もプロサッカー選手としてやっていくには、いわきで鍛えられることは確実に今後の成長につながる。そう思って決めました。チームに合流してみると、皆さんとても優しかったです(笑)」

2024年8月に加入後、柴田選手はJ2の舞台で一歩ずつ自信を積み重ねていきました。この年はいわきで9試合に出場。J3で磨いた強度と技術で、いわきのプレースタイルに徐々にフィットしていきました。
そして、大きな飛躍が2025年に訪れます。いわきでの初のフルシーズン、柴田選手はアンカーの定位置を不動のものとし、リーグ30試合に出場して3得点。いずれも劇的なゴールでした。
特に強い印象に残っているのが、この年のJ2第24節・ジェフユナイテッド千葉戦でしょう。柴田選手はワンタッチパスでMF石渡ネルソン選手(現・セレッソ大阪)にボールを預け、一気に前へとスプリント。石渡選手からのリターンに走り込み、力強く左足を振り抜いて見事なゴールを挙げたのでした。
そして、守備も大きく進化。富山~八戸と続いたキャリアで培ったボール奪取能力はJ2の舞台でさらに磨かれ、いわきでフィジカルトレーニングを積んだ成果が目に見えて表れ始めました。
「いわきに来て1年が過ぎたころから、フィジカルの伸びが一気にプレーに結びついてきた。特に出足の速さや球際のスピードが、昨年夏ごろから急激に上がってきた気がします。自分は背が低いんで、コンタクトで勝てないとメンタルでも負けてしまう。今の選手はFWも中盤もみんな大きい。いわきで身体を強くでき、フィジカルコンタクトで後手を踏まなくなったのはすごく大きいです」
■もっと総合力の高いMFに
そんな中、柴田選手は二つの選択肢で揺れていました。
一つは古巣・湘南への復帰。もう一つはいわきへの完全移籍。愛着のある地元のクラブと、1シーズン半を過ごし、大きく成長できたクラブ。どちらも自分を高く評価してくれています。悩みに悩んだ結果、いわきへの完全移籍を決断しました。
「ぜいたくな悩みでした。湘南という帰る場所がなくなることへの葛藤はありましたが、いわきでの1年半で得た成長は、それまでの数年分を超えるものでした。ここなら、自分はもっと総合力の高いMFになれる。そう考えてサインしました」
プロサッカー選手として、身一つで生きていく覚悟が決まった瞬間でした。そして2026年。柴田選手は百年構想リーグ第6節・ヴァンフォーレ甲府戦でJリーグ100試合出場を達成。第8節・ジュビロ磐田戦の試合前に、ハワイアンズスタジアムいわきで記念セレモニーが行われました。

「やっとだな、という気持ちです。思ったよりずいぶん長くかかってしまいました。いろいろあって10代のころに思い描いていた100試合ではなかったけれど、何とかここまでたどり着けました。
セレモニーには家族が来てくれました。みんな俺よりも心配していたので、こうやって試合に出ている姿を見せられているのは本当にうれしい。この先もまだまだ試合を重ねたいし、次の100試合はもっと早く達成したいですね」
昨年12月に結婚し、公私ともに新たなステージに立ちました。今シーズン、コネクターとしてチームを支える背番号8は、さらに高い場所を見すえています。
「今はまだ100%のコンディションではぜんぜんなく、この先まだまだ上げられると思います。できることをもっと増やし、総合力を高めていきたい。そして、自分のポテンシャルを出し切った先の景色を見てみたい。百年構想リーグは昇降格がなく難しい面もありますが、そんなことは関係ない。プロサッカー選手には、あらゆる試合に人生を変えるチャンスがある。だから一つ一つの試合で勝利を目指しながら、さらに成長していきます」

柴田壮介選手をもっとよく知る5つのQ&A
Q1. 参考にしている、あるいは好きな海外の選手やチームを教えてください。
A1:チェルシーのカイセド選手やアーセナルのスピメンディ選手、マンチェスター・シティのロドリ選手などの映像をよく見ています。ボールの奪い方やバランスの取り方など、参考になる部分が多いです。あとはJリーグでは高嶺朋樹選手ですね。チームとしてはプレミアのチェルシー、アーセナル、リヴァプール。Jリーグだと鹿島アントラーズ。それと京都サンガF.C.のサッカーもすごく面白い。監督が曺さんですし。
Q2:今年は昨年と違って途中交代がなく、フル出場が続いています。その理由を教えてください。
A2:昨年はめっちゃ足がつっていたんですよ。60分で足に来て交代する試合が多かったんですが、今年はタフに戦えています。もちろん日ごろのトレーニングの成果。まだまだ出力を上げられると思います。
Q3:オフの日はどう過ごしていますか?
A3:海方面に出かけることが多いですね。奥さんと一緒に海の近くでカフェに行ったりします。
Q4:奥様の手料理で何が好きですか?
A4:なかなか選べませんが、昨日食べたピーマンの肉詰めです。
Q5:特に仲よくしている選手は誰ですか?
A5:GK佐々木雅士選手です。年齢が近く、夫婦で親しくさせてもらっています。サッカー以外の話もしますよ。特に中身のない、何を話したかも覚えてないような他愛もないことが多いです(笑)。
次回もいわきFCの選手達の熱いVoiceをお届けします。お楽しみに!
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