闇 43(人生の分岐点編)
闇 43(人生の分岐点編)
2024年10月02日(水) 07時48分34秒
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前回の章

一本の縄で繋がれたまま地下へ向かう階段を降りる。
よく覚えておこう。
いつか自分の手でこの事を作品として書くまでは……。
数名の警官と俺ら罪人たちしか通らない通路を黙々と歩きながら、地下の集合場所へ向かう。
薄暗い中を進み、何度か左右に曲がる。
一列縦隊で指示されながらだから、ただ黙って歩くのみ。
「池袋方面、総員二十三名、到着」
いつもの集合場所へ行くと、俺たちはベンチに座らされ、自分の名前を呼ばれるまで大人しく待つ。
「巣鴨、岩上」
「はい」
呼ばれた時だけ立ち上がり、返事をする。
それからまた硬い木のベンチがある檻の中へ振り分けられた。
どのように区別されているのか知らないが、ここでは別々の者同士が適当に振り分けられているような気がする。
「あれ、久しぶりです」
檻のベンチに腰掛けた瞬間、小声で隣の奴が話し掛けてきた。
見ると一番街通りのゲーム屋ワールドワンで、俺が店長をしていた頃よく来てくれた客だった。
千人近くいる場所で、奇遇にもこうして顔を合わせるなんてすごい偶然である。
「ああ、お久しぶりです。元気でしたか?」
「元気と言うか…、まあ退屈ですよね。知り合いに会うと思いませんでしたが」
「それは俺もです。何をして捕まったんです?」
「自分はシャブです。店長は? ゲーム屋で?」
「いえいえ、ビデオだから猥褻図画ですね」
「ワールドワン時代、『俺は絶対に捕まらない』とか言ってたじゃないですか」
「しょうがないですよ。捕まっちゃったんだから」
俺たちは顔を見合わせて大笑いすると、すぐに警察官がすっ飛んできて「喋ってんじゃねえぞ、おまえら」と怒鳴りつけてきた。
すると向かいに座る男が立ち上がり、牢屋に近づく。
「看守さん…、紙を」
非常に嫌な予感がする。
案の定、男は片手錠になり、トイレットペーパーを両腕でクルクルと巻き出した。
レッツ、ショータイム。
これから異臭漂うウンコタイムの始まりだ。
他人がクソをしている空間にただ黙って座っているのは、拷問以外の何ものでもない。
それでも文句一つ言う権利すらない俺たち。
堅い木のベンチが尻に食い込んで痛い。
はあ…、毎度の事ながら、ここへ来る度悪い事はしちゃいけないって反省する。
ブリッ…、ブリリ……。
ゲッ…、あの野郎、ひょっとして下痢かよ……。
ブリッ…、ブリュリュ……。プー……。
もう!
クソしたら早く水で流せよ、この馬鹿っ!
そうやって怒鳴りつけたいが、それさえも禁じられている俺ら。
部屋の中にいる全員が手錠を掛けた両腕を上げ、黙って鼻をつまんでいた。
最後の最後でとんだ味噌がついたもんだ。
「巣鴨、岩上」
「はーい」
ようやく俺の番が来たようだ。
ここに着いてからどのぐらい時間が経ったんだ?
今日で釈放なんだから、もうちょっと早く呼べばいいのに。
警察官二人に挟まれるような形で、黙々と細長い通路を歩く。
コンコン……。
軽くドアをノックする警察官。
少ししてから「失礼します」とドアを開ける。
中にはいつもの検事と秘書の女二人が座っていた。
「……」
このバカボンパパ似の検事が接見禁止を解かないから、俺は誰とも面会できなかったのだ。
本当にこの馬鹿はムカつく。
向かいの椅子に座らされると、手錠についた青い縄を解かれ、そのまま背もたれと一緒にグルグル体ごと巻かれる。
これは犯罪者が暴れたり、逃げようとしたりしないような処置なのだろう。
手錠は外されているので、このぐらいは当たり前か。
再び「失礼します」と頭を下げ、二人の警察官は部屋を出て行く。
これでこの中は俺と検事と秘書の三人だけになる。
このブサイクな秘書とブ男検事は、プライベートでやっちゃったりしているのかね?
そんなどうでもいい事を考えていると、検事が口をようやく開いた。
「岩上智一郎…、罪名、猥褻図画販売目的所持。今回に限り初犯という考慮をして…、ば…、罰金五十万」
とても悔しそうに言う検事。
不起訴確定の瞬間だった。
しかし表向きは裏DVDを売る仕事をして四回目というだけで、五十万円も罰金を取ろうとしているのだ。
普通に考えてみればおかしい話。調書上では一日一万二千円しかもらえていないと伝えてある。金額にすれば四万八千円しか給料をもらっていない計算なのである。いや、四回目の途中で捕まっている設定だから、三万六千円か。
どちらにしても、簡単にその金額を決められる検事。
こんな奴が国を動かした気でいるから世の中おかしくなっているんだろう。
どうせこれで釈放だ。
ならば一つぐらいリアクションをしておこう。
「五十万? ずいぶんと高いな。こっちはたった数万しかもらっていないのによ」
「何だ、キサマ……」
検事の目が鋭くなる。
「キサマ? そっちこそその言い方って何だよ? 俺だってちゃんとした一人の人間だ。確かに検事さんは人間を裁く立場かもしれない。でもな、もうちょっと人間の痛みってもんを知っといたほうがいい」
「何だと、この若造が……」
昔から猛勉強をしていい大学へ入り、こうした立場の仕事につく。
世間一般で見れば、エリートコースだろう。
だが、こんな社会経験ゼロの男が自己判断で人を裁く。
本当にそれでいいのかよ。
罰金の五十万は組織がすぐ用意してくれるので、俺は別段痛くない。
それでもひと言自分の気持ちをこうして言ってやりたかった。
「あんたが俺を不起訴に決めたんだ。俺は今日で釈放。これもあんたが決めた」
「だから何だ?」
「悔しいだろ? 俺を起訴できなくて」
「くっ……」
絶対に起訴をさせないという俺の持論が、国の法律に勝ったのだ。
食いたいものも自由に食えず、女も抱けない退屈で苦痛の二十二日間。
俺はそれに耐え抜き、持論を押し通した。
本当はこんな裏稼業の世界で幅を利かせるのではなく、リングの上で戦っていたかった。
ずっと今回はプロレスの試合で想定すれば、相手の技をひたすら受けて耐えている状況である。
だから最後にこっちの必殺技をお見舞いしなきゃいけない。
プロレスってそういうものだから。
「いいか……」
俺は縄で括りつけられた椅子ごと立ち上がる。
「な、何だ、キサマ!」
一瞬怯む検事。
「安心しろって、何もしねえよ。俺の調書にプロレスと総合格闘技って書いてあったろ?」
「だ、だから何だ?」
「せっかくだし、対戦相手が気に食わない時、どうやってパフォーマンスをするか見せておこうかなと思ってね」
ゆっくりと天井を見上げ、それから目線だけ下に向け検事を見据える。
右の拳を真正面に突き出してから、ピンと親指だけを伸ばす。
その状態のまま時間を掛けて肘を曲げ、左頬下の首まで右手を持っていく。
「……」
検事は黙って俺の行動を睨んでいた。
目を見開きながら舌を出し、スローモーションに真横へ腕を動かす。
首を掻っ切るポーズを終えると、上から見下ろすようにして検事を睨みつける。
「俺は少なくてもこうやって対戦相手を威嚇するんだ」
「ふ、ふざけるなっ!」
真っ赤な顔をして怒る検事だが、もう遅い。
俺はこれで釈放。
ようやく娑婆の空気を自由に吸えるのだ。
「検事さん…、別にふざけてなんかいねえよ。大真面目だ」
そう言って俺は不敵に笑った。
地下鉄に乗って池袋駅まで向かう。
まずは百合子に連絡を入れないと。
返してもらった携帯電話を取り出し電話を掛けようとすると、いきなり着信が入る。
知らない番号だった。
末尾が一一〇なんで、どこかの警察署というだけは分かる。
釈放されたばかりなのに何故?
これ以上やましい事などないので、電話に出た。
「あ、こちら川越警察署です」
「は?」
「川越警察署なんですが。岩上智一郎さんですよね?」
「はあ、何でしょうか?」
「ご家族の方から捜索願いが出てまして、それで電話をしてみたところなんです」
なるほど、俺が捕まってから二十二日間経つ。
大方弟の徹也辺りが心配して警察にって事も考えられる。
それにしてもついさっきまで巣鴨警察署にいたのに、何もこいつら分からないのか。
「そうなんですか。ちょいと仕事で大阪のほうへ行ってましてね。それで出発する前知人のところに泊めてもらったんですが、その時携帯を忘れてしまったんですよ」
よくもまあ俺もこう嘘がポンポンと出てくるもんだ。
「ああ、そうですか」
「まあ、そんな訳なんで捜索願いは取り消しといて下さい」
「かしこまりました」
「お騒がせして申し訳ないですね。お疲れさまです」
電話を切ると、百合子にメールを打ってみた。
《心配掛けてすまなかったな。無事出て来れたぞ。今仕事中だろうからメールにしといた。このあと歌舞伎町へ行ってオーナーたちと会うから、そのあとゆっくり会おう。 岩上》
あとはどうするか?
とりあえず歌舞伎町へ向かうとして、家でも大騒ぎになっている可能性がある。
徹也に電話を入れておくか。
「あ、兄貴?」
「おう、久しぶりだな」
「何をやってたんだよ? ずっと連絡つかないからさ、家じゃ大騒ぎだよ」
「悪かったよ。仕事で大阪へ行っててさ、携帯こっちに忘れてしまったんだ」
「家じゃ兄貴宛てに俺々詐欺の電話あってさ」
「はあ、俺々詐欺? 何だそりゃ?」
「パートの緑さんいるじゃん」
「ああ、で?」
「緑さんが電話を取ったらいきなり兄貴が事故ったって。それで親父に『智ちゃんが事故ちゃったー!』って大袈裟に言うもんだから親父も焦って出てさ」
「うん、それで?」
「相手が急いでいるところいきなり突っ込まれ、それで家に電話をしたとね。で、親父もパニくっているからさ、俺が代わったの。まず状況を聞こうと思ってさ」
「ああ」
「そしたら知り合いの車屋に見せたら結構いっちゃってるから、とりあえず百万円を振り込んでくれって」
「へえ」
「で、俺も車屋だから、どこにそんな事故したばかりで査定を出せるところがあるの?って聞いてさ。そんな車屋があるなら逆に紹介してほしいって。それで話にならないから兄貴を出して下さいって言ったんだ」
「うん」
「そしたらおまえの兄貴はブルブル震えちゃって電話で話せる状況じゃないなんて言うからさ。ああ、じゃあそれ兄貴じゃないっすねって。元々嘘だと思ってたから色々つっ込んだら、相手、何も言えなくなっちゃってね。向こうから電話を切っちゃったんだ。で、俺々詐欺なんだって分かって。でもそういえば兄貴を見た人間が誰もいないって話になってさ、どっかで無茶してさらわれて監禁されてんじゃねえのって捜索願いを出したんだよ」
「馬鹿か…。俺が何で無茶をしなきゃいけねえんだよ。今さっき川越警察から電話あったから取り下げといたよ」
「でもさ、連絡ぐらいつけるようにしといてくれよ。兄貴の仲がいい先輩の坊主さんや神田さんとかに聞いても分からないって言うしさ。大騒ぎだったんだぜ?」
「悪かったよ。一本電話をしときゃよかったな」
「坊主さんとかも心配してたから連絡しといたほうがいいよ」
「ああ、すぐするよ」
電話を切って坊主さんや神田さんへ掛ける。
みんな、俺がもう殺されたんじゃないかって大騒ぎだったらしい。
弟の徹也に本当の事を言えなかったのは、おじいちゃんの耳に入ると困るからだ。
警察のご厄介になんて外聞悪いだろうし、いらぬ心配を掛けてしまう。
なので仕事で大阪にという線は崩せない。
坊主さんらには真実を伝え安心させた。
そういえば中に入っている時、百合子に榊先生へ連絡しとけってメールしていたけどうまく言い訳できたかな?
電話をしてみると、タイミング良く先生が出てくれた。
事情を話すと、「何だ、この野郎…。まあ、これはうちの女房や由香には言えないなあ。俺とおまえの話だけにしとこう。いきなりおまえの彼女から電話あったから、何かと思ったよ」とブツブツ文句を言っていた。
久しぶりの歌舞伎町。
靖国通りを渡り、歌舞伎町へ向かう。
道を歩いていると顔見知りの人間とすれ違い、俺の顔を見ると「お疲れさまでした」と声を掛けてくれる。
さくら通りをゆっくり歩くと知り合いがまるで俺の帰りを待っていたように左右に並び、みんな笑顔で「お疲れさま」と言ってくれた。
この街に生き、この街を愛してきた。
わずか二十二日間だったがずいぶんと昔の事のように思える。
ここが俺にとって居場所。
また戻ってきたんだ、この街に……。
奥でオーナーの高山、金子、村川の姿が見える。
照れ臭そうに会釈をすると、「辛い思いさせてすまんかったなあ」と肩を叩いてきた。
「松本さんは?」
「今、野方警察署にいる」
「そうですか……」
「とりあえず喉渇いてるやろ? ラーセン行こう」
コマ劇場裏手にあるビデオ村。
その近くにある喫茶店のラーセン。
初老マスターが一人で細々と営んでいるレトロな店である。
マスターは俺の顔を見ると、嬉しそうに「お疲れさん」と声を掛けてくる。
アイスコーヒーを注文し、留置所の話をひと通りした。
オーナーたちは財布を取り出し、「少ないけど取っておいてくれ」と一人二十万円ずつテーブルの上に置く。全部で六十万。
「しばらく女抱いてないだろ? バルボアにでも行こうか」
バルボア…、歌舞伎町で一番高級なソープランドである。
百合子の存在がなければ喜んで行くところだ。
「いえ、お気持ちだけで…。一番始めに抱かなきゃいけない女がいますんで」
「そうか。じゃあ、これは気持ちや。取っとき」
さらに高山が五万円をテーブルの上へ置いてくる。続いて金子と村川も同じ額を置く。
「いえ、こんなにもらったら……」
「気持ちや、気持ち。うまいものぎょうさん食って、ゆっくりしてきたらええ。本当にお疲れさん」
二十二日間の留置所生活。
組織の為というよりも、俺は純粋にあの空間を楽しんだだけ。
それなのに手元に七十五万円の金が入ってきた。
「他の店は? 『ビビット』と『らっきょ』は無事ですか?」
「ああ、今のところ大丈夫」
「良かった……」
「しばらくゆっくりしてきな。店の事は考えんでもええ」
もう少し話していたいが、百合子の奴、首を長くして待っているだろう。
深々とお辞儀をしてラーセンをあとにした。
まずは肉だ。
肉を食いたい。
パンパンに膨らんだ財布をスーツの内ポケットに入れ、俺は西武新宿駅へ向かった。
特急小江戸号が本川越駅に到着する。
改札を出て駅前のロータリーへ走った。
白い軽自動車に寄り掛かるようにして百合子は俺を見ていた。
「し、心配掛けたな」
満面の笑みを浮かべ近づくと、いきなり顔面にパンチをされる。
「馬鹿馬鹿……」
好きなだけ殴らせてやった。
「よし、とりあえず肉を食うぞ。ステーキだ。あそこの駅前のところ行こう」
一人前七千円のステーキを注文し食べる。
こんな高級肉など滅多に食べないが、出てきたのが冷凍肉だったせいもあり感動はいまいちだった。
腹が満腹になると、そのままホテルへ向かう。
「ほら、取っておけ」
オーナーから七十五万円をもらったので、三十万円をあげた。
百合子は何度も断ったが、半ば強引に渡した。
バックから『キン肉マン超人大全集』を取り出し、笑いながらパラパラとページをめくる。
よくもまあこんな本を警察に差し入れようとしたもんだ。
「いつも『俺は大丈夫だ』なんて偉そうに言っていたくせに、いきなり警察に捕まっちゃうんだもん……」
「悪かったよ。もうこんな事ないから安心してくれ」
「大変だったんだからね。大塚駅まで重いトランクを引っ張ってやっとの思いで到着したのに、靴下とその本しか受け取ってくれないんだもの」
「しょうがない。接見禁止だったんだから。文句は検事に言ってくれ」
「馬鹿…、反省が足りないぞ」
「……。すみません……」
「キスして」
「ああ……」
その日何度も百合子を思う存分抱く。
この二十二日間、こいつは待ってくれるという不思議な自信があった。
いや、信頼という表現が適切だろうか。
「これからどうするの?」
「数日ゆっくりして、それから考える。一応組織にもまだ顔出すようだろうし」
「そう」
「何かして欲しい事あるか?」
全身汗だくになりながら聞くと、百合子はジッと俺の顔を見ているだけだった。
「どうした?」
何かを言いたそうな表情の百合子。
しばらく無言でセックスに没頭した。
「中に欲しい。中にちょうだい……」
大きな喘ぎ声を出しながら、百合子は言った。
「……」
百合子の覚悟。
ずっと俺を待っていたのか。
自分が子供を作るなんて、これまで考えた事などなかった……。
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