闇 115(岩上整体地獄変)
闇 115(岩上整体地獄変)


患者であるきょうちんの言葉で、己に気付いた俺は三回目の校正作業を終えた。
出版社サイマリンガルから、ようやくゴーサインが出る。
これで晴れて、俺の処女作の『新宿クレッシェンド』は本になるのだ。
季節は十二月に入っていた。
岩上整体も一周年。
まさか開業してすぐ百合子と別れ、ちゃちと初めて会って、春美まで来てくれて……。
何だかんだ患者を抱いちゃったよな。
怖い思いもしたし、たくさんの感謝ももらった。
運営がピンチでSEの仕事へ副業だって行った。
鹿島神宮も行った。
群馬の先生って、本当に何が見えているのだろう?
ゴリやチャブーに引っ掻き回され、ストーカーは京都から来るし。
未完成のも多数あるけど、小説もいっぱい書いて。
やっぱり小説を世に出せた事が、一番大きな事だろうな……。
巣鴨留置所で同部屋だったヤクザの原さん。
「岩ちゃん! 岩ちゃんは俺たちの世界の代表として、光の浴びるところで活躍してくれよ!」
接見に行った時、牢屋越しに言われた言葉。
ちょっとだけ約束果たせそうですよ、原さん。
まだ刑務所だろうけど、北海道で奥さんと娘さん待ってんでしょ?
頑張って下さいよ、ほんと……。
そっか。
俺って患者がいない時は執筆できるからって、そんな理由で岩上整体を立ち上げたんだ。
ならば続きを書こう。
『新宿フォルテッシモ』の……。
岩上整体テーマ曲を流す。
勝手に俺がそう呼んで決めた曲だけど、多くの人が聴いて「いい曲ですね」って褒めてくれる。
俺は執筆を開始する。
この作品を書く為に、俺は小説を書き始めたんだ。
スラスラ進む文章。
その時携帯電話が鳴った。
〇〇連合組長の岡村?
ちょうど今執筆をしている内容の場所、歌舞伎町第二平沢ビルに事務所を構える岡村組長が、何でまた俺に今頃電話なんて……。
「おう、岩上はん。久しぶりやな」
「岡村さん、お久しぶりです。どうかしましたか?」
「ほら、北中んとこいた野地はん知ってまっしゃろ?」
野地…、野地……。
「はいはい、野地さんですね! もちろん知ってますよ」
名前は変えてはいるが、奇遇にもちょうど今あの汚い倉庫のシーンを書いていたところだった。
本当に不潔でゴキブリが一杯いて、ヤバい部屋だったよな……。
今思い出しても鳥肌が立つほどだ。
「北中んとこ察にやられたあと、ワイの組で組員や無いけど、ちょっとした仕事手伝ってもらってたんや」
俺が北中を巣鴨警察出口刑事へリークしたから、野地まで道連れで捕まった。
これは誰にも話せない事だった。
「あ、野地さんって岡村さんところでお世話になっていたんですね、良かった。気になってはいたんですよ」
北中に自分の店を乗っ取られ、うまく利用されていた野地。
あの時俺の目の前で泣いた姿は、今でも覚えている。
「あの人、網膜剥離とか、それ以外に色々な病気持ってたやろ?」
「え、そうなんですか? 網膜剥離は聞いた事ありましたけど」
「それがな、先日やけど亡くなってしまったんや」
「え! 野地さんが亡くなった?」
「うちらもすぐ病院運んで、色々手を尽くしたんやけどな。でも遅かったわ」
「……」
言葉が出なかった。
「葬儀やら何やら終わったんやけど、一応岩上はんも彼の事知っとったかなと思い、電話してみたんや」
「わざわざご親切にありがとうございます」
「ほな、またな」
「はい、失礼します」
電話を切ると、天井を向いたまましばらく放心状態だった。
特に野地が亡くなったと聞いて、悲しかった訳ではない。
複雑な心境だった。
歌舞伎町で一時的とはいえ、二軒の裏ビデオ屋を持ち、フィリピン人と結婚して子供も向こうに一人いる。
一時は成功した人間なのだ。
それを北中なんかと知り合ったばかりに、店を乗っ取られ、安い給料で二十年も働かされ……。
俺のせいで警察にパクられ、最後はヤクザの元で病気による死亡。
「そんなんで良かったのかよ!」
思わず声に出していた。
ビールで飲んでと渡した三千円。
そんな金額であの人は、翌日俺に「ご馳走様でした」とわざわざ頭を下げて恥ずかしそうに言ってきた。

俺の当時描いた絵を見て「寂しい絵だなあ」と、染み染み呟いていた。
一年も共に仕事をしていない。
それなのに俺は何故こんなに悲しいのだろう……。
続きを書かなきゃ、あの人の……。
俺はパソコンへ向き合う。
気合い入れて、いざってなったはず。
それなのに…、あれほど筆が進んでいたのに、一文字も書けない。
現時点で原稿用紙三百枚以上書けている。
何故書けなくなったんだ?
俺は『新宿フォルテッシモ』を閉じ、データを削除した。
死んだ野地や北中の事を元に、小説を書いていた。
よく分からないが、この話を書くのは今では無いような気がしたのだ。
『新宿フォルテッシモ』はプレリュードの次の作品。
ゲーム屋の話で完結させよう。
北中や野地の話は、ピアノを弾いた時の事も合わせて、その次書けばいい。
野地さん、俺があんたの存在を小説という形で残してやるからな、いつか……。
両手を添え、目を閉じる。
汚くて不潔だけど、あんな人のいい人なんて、早々いないだろう。
今頃天国かな?
俺は黙祷を捧げつつ、合掌した。
遣る瀬無い気分のまま、岩上整体を閉める。
野地の死亡。
多分彼が生きていたとしても、俺とは今後関わりなど無かっただろう。
それなのに妙に何かが引っ掛かっている。
ドアが開く。
この状態で来るのはヤクザだろうな……。
「おう、岩上」
「おう、うっちん」
同級生ヤクザ内野正人。
「また身体辛くなったか?」
「ああ、悪いけど頼むわ」
「分かったよ。おまえがうちで、一番の重症患者かもしれないなあ」
「ちょっと診てくれよ」
「ああ、もちろん。ベッドに横になって」

高周波をそれぞれの体の箇所につけ、ゆっくり電気を流す。
「痛いか?」
「いや、気持ちいい」
「もうちょっと強くするぞ?」
電気を流しながら俺は指先で痛む箇所を触診する。
岩上流三点療法と名づけたこの施術。
指先で二点療法を施しながら、電気でさらに奥の痛みを消していく。
元々TBB総合整体の島田先生から伝授された二点療法に、高周波治療を加えて編み出した三点療法。
「どうだ? 今、さっき痛い場所を同じ強さで押しているけど痛むか?」
「いや、全然」
「じゃあ、あとは回りに筋肉をつけておくようだから、このまましばらく電気を流すからね。おまえの場合さ、全身に足首まで刺青入れちゃっているでしょ? 皮膚呼吸も悪いし、普段楽こいてっから筋肉も無いんだ」
「まあな。どこ行ってもまるで効果なかったんだ。ずっと寝てもいつも夜中に目を覚ますしさ。朝までゆっくり寝れたなんて事なかった。この間おまえの受けたら、久しぶりに朝までゆっくり眠れたんだ」
「それは良かったな。まあヤクザな商売をしているんだ。みんなビビってちゃんと身体を押せないんだろ。また痛んだらおいでよ。いつだって楽にはするよ」
「ありがとな。この間、〇〇組の組長来たか?」
「ああ、とても俺の施術を気に入ってくれた」
「そっか」
「まあ、柄の悪い患者だけど、紹介してくれてありがとな」
ヤクザ者の内野とは、小学生時代の同級生。
他人から見ればコテコテのヤクザにしか見えないだろう。
しかし昔の面影はある。俺がこうして『岩上整体』を立ち上げた時、顔を出してくれた数少ない同級生の一人だ。
周りの同級生は内野にビビり、顔を合わせようともしないが、俺はいつも時間がある時は普通に接するようにしていた。
あの幼稚園からの幼馴染である守屋淳一も、内野の犠牲になった一人である。
彼は寂しがり屋なのだ。
ひょっとしたら今の人生を後悔しているかもしれない。
せっかく地元でまたこうして再会したのだ。
他の同級生同様、俺は同じように仲良くしたい。
帰り際俺は同級生のよしみでいつも安く請求をした。
「おい、内野。今日は三千円でいいぞ」
「岩上さ、悪いんだけど……」
「ん? 今日は持ち合わせがないのか?」
「それがさ、兄貴分に今日中に何とか二十万を用意してくれって言われててさ」
「大変だな」
裏稼業時代ならともかく細々何とかやっている俺には、縁のない金額だ。
「ちょっと貸してくれねえか?」
「無理だよ。家賃だってやっとなんだ。力になりたいけどさ」
「だっておまえ、本を出すんだろ?」
どこで聞いたんだ、その情報……。
「だからってすぐ金が入っている訳じゃない」
「頼むよ! 俺、今日中に二十万集めないと、指を詰められるかもしれないんだ」
「……」
内野が指を詰める……。
「明後日にはまとまった金が入る。だから二日間だけ、貸しといてくれないか?」
究極の絶望は、真の優しさを知る……。
群馬の先生が言っていたあの言葉。
小学生の時、仲良かったじゃないか。
一年生の頃、鉛筆交換をした。
六年生の時、俺が山崎とあみんの『待つわ』を唄った時「岩ヤーン」と一番大きな声援をくれた。
一、二、五、六年生と四年間も同じクラスだった。
その内野の指が無くなる?
明後日にはまとまった金が入るなら……。
二日…、家賃の振込日は一日程度の遅れなら、大家にも取り繕う事ができる。
昔からの同級生の絆だもんな。
「分かったよ…。たださ、俺、本当にまだ家賃払ってないんだ。だからちょっとこっちは払うの遅らせるから、必ず明後日返せよな」
一日遅れなら、何とかなるさ。
ヤクザになってみんなから敬遠されている内野。
まあそれはしょうがない。
自分でその道を進んでしまったのだから。
でもよ…、自業自得とはいえ、俺は昔と変わらないでいるからな。
「分かってるよ。同級生じゃねえか」
俺はなけなしの二十万円を内野に貸した。
その日から内野の携帯電話は二度と繋がらなくなった。
「同級生の絆だろ?」と言った内野。
守屋も選挙の時、似たような台詞を俺に言っていたよな……。
「よくも俺を裏切ったな、内野っ!」
大声で叫んだ。
あの顔を思い浮かべただけで、殺したくなる。
どうするんだよ?
ここの家賃の支払い……。
まったく余裕のない俺は途方にくれた。
同級生とはいえ、ヤクザ者に金を貸して家賃を払えないなんて言えなかった。
どうしたらいい?
今からどこかへ働きに行くとしても、二十万円なんて金をすぐには作れない。
出版社に印税を早くくれと頼んでみるか……。
俺は恥を忍んで出版社に電話をしたが、印税は五千部本が売れないとくれないらしい。
じゃあ、どうする?
とりあえず大家へ電話を入れる。
ここを借りる際、敷金として三ヶ月分の金を納めていた。
整体の機械が故障して急な出費が出てしまったと嘘を言い、今回は何とかその敷金から家賃を捻出できないか頼んでみる。
酷く格好悪かったが、背に腹は代えられない。
敷金から今回は特別に家賃を捻出。
とりあえず何とかなった……。
何故俺が、こんな苦労をしなければならないのだ。
すべては同級生の内野のせい。
ヤクザだから何だ?
見つけたら殺してやる。
右手の親指を真横に伸ばす。
鍛え抜いたこの親指から繰り出す打突で……。
あのクソヤクザなら、俺は躊躇わず打突をぶち込む事ができる。
せいぜい俺と出くわさないよう覚悟して道を歩け。
そんな時、また後輩のター坊が『岩上整体』に顔を出した。
「智さん、先日はありがとうございました。あれから身体も楽になって」
「なら良かった」
「あ、あと小説のグランプリ、おめでとうございます! 前回言い忘れていましたよね?」
「運が良かっただけだよ。本当は小説なんかよりも、リングの上で戦っていたかった」
え、俺は何を口走った?
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