闇 398(関西ヤクザ夫婦と運命の日編)
闇 398(関西ヤクザ夫婦と運命の日編編)

2025/11/24 mon
前回の章
二千十七年二月二十七日、月曜日先負。
今日の夜十時から仕事であるものの遅番の俺は、出勤する前までが休みのようなものだ。
基本的に毎週日曜日休みにしているが、休みに入るのは仕事終了の日曜朝十時から。
眠気を押さえて用事を入れれば身体はキツくはあるけど休みを大いに満喫できる。
新宿まで仕事に行って川越に帰って終わる一日。
それを六回繰り返せば休み。
このルーティーンは夜生活の慣れた俺にとってリズミカルだった。
仕事往復就寝だけの多忙さ。
少しだけ空くプライベートはほとんど部屋でゲームをして終わり。
虚しさはあるが、それでも幸せを感じる事ができた。
何故なら働いた分、きっちり金が入ってくるからだ。
二俣川のような惨めな空腹地獄に陥る事もない。
タバコだって吸えるし、好きなものを自分で選んで食べられる。
こんな基本的なルーティンだけで幸せを感じる事ができたのが、四十五歳になった唯一の俺の収穫なのかもしれない。
裏稼業にいながら慎ましく過ごす。
もっと若い頃からこの心境へ達していたら、俺は億万長者になっていたのではないだろうか?
タバコに火をつけて煙を吐き出してから思わずニヤけた。
相変わらず馬鹿な俺。
そんな都合のいいタイムマシーンなどないし、ここまで生き延びてきたからこそ見つけられたささやかな幸せに気付く事ができたのだ。
飯野君とすぺいん亭に行ってからこの地味な毎日を送り、結果そこそこのまとまった金ができる。
嬉しくもあるが、過去の杜撰だった愚かな自分を呪う。
たまにゴリから電話が来るが、もう出る事さえなくなってしまった。
あいつが唯一許される行動があるとすれば、俺の家まで来て土下座でも何でもしておじいちゃんへ線香をあげに来る。
それだけだ。
しかし馬鹿なあいつはそこまですら頭が回らず、生涯あのままなのだろう。
人の世話を良かれと焼きながら、俺自身地に足をつけていなかったからこそ地獄へ何度も足を踏み外してしまった。
もうあのような目にだけは二度と遭いたくない。
若い頃はイケイケで思った通り走り抜ける事ができた。
しかし今はどうか?
もうプロのリングは無理。
ピアノも十数年弾いていない。
小説もまるで書かなくなって数年。
あれだけ自分の中で誇りにしていたものが、今では何一つないのだ。
正に張子の虎そのもの。
一時は全日本プロレスにいた頃を誇りに懸命に頑張ってこれた。
ジャンボ鶴田師匠。
三沢光晴さん。
そしておじいちゃん。
偉大な背中を見て頑張ってきたつもりだったのが、こうして俯瞰しながら振り返るとただの空振りばかり。
野球で例えるなら三振しかしないどうしょうもないバッターのようなもの。
それでも俺はまだ生きている。
価値も何も無くなった。
だが生を俺は選んだのだ。
情けない事を考えているのは自覚している。
しかし現状を見れば、この認識が正しい。
所詮俺の器はその程度なのだ。
あの人たちのような格など持ち合わせていないくせに、背伸びだけして無駄に年だけ取ってしまった。
若い頃にこの考えまで到達できていたらなあ……。
こんな馬鹿でも一人前に腹は減る。
これが生きるという事の合図なのだろう。
ならばせめて胃袋が欲するものを食べに行きたい。
どこへ?
決まっている。
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