13.子供を生贄を捧げる理由
画像は以下サイトから転載。
サタンはたいしたことがない?
サタン崇拝、と言うと、どこか陳腐に響きます。
これは、小学生でも知っているほど世に知れ渡っているからです。
「おれサタン崇拝しているんだ」と友達に言ったとしても、少しは引かれますが、絶交まではされないでしょう。実際にサタンを崇拝しているのだとすれば、乱交を行い生贄を捧げているので、即通報しなければいけません。
一八五六年、ウィリアム・ラムゼー牧師による『スピリチュアリズム、悪魔の妄想、そして時代のしるし』には、次のような一節があります。
現代において、サタンが個人として存在する最も顕著な証拠の一つは、サタンがその存在と行いに関し、大勢の人々の心に影響を与え、サタンは存在しないと信じ込ませているという事実にある。
一般化、陳腐化することによって、自らの姿を隠しているのです。
土星は英語でサターンといいます。サタンとサターン。「似ているが別物」と主張する方もいらっしゃいますが、これらは同じ意味です。
ローマ人にとってはサトゥルヌス、英語のサターンで、土星の神です。有名なゴヤの絵では、子供を食べています。

サトゥルナリアのお祭りでは生贄を捧げ、「どんちゃん騒ぎ」をします。学校が休みになり、小さなプレゼントをつくって贈り合います。
クリスマスはニムロデの誕生を祝うお祭りでした。
土曜日を英語で「サタデー」といいます。サタンデー。あらためて言われてみると、という感じがしないでしょうか。サタンはわたしたちの生活に密着し、結果として身を潜めることができているのです。
生贄の実際
古代イスラエルの民は、モロクというバアルの派生形のような神に子供の生贄を捧げていました。

モロクは占星術的に土星と関連づけられていました。つまりイスラエルの民はサタンを崇拝していたのです。
そもそもなぜ子供を生贄に捧げるのでしょうか。
アポトロパイーク・マジック(お守りなどで害悪や邪悪な影響を遠ざけることを意図した魔術の一種)の原則によると、善なる神は善なる生贄を、悪なる神は悪なる生贄を必要とします。つまり邪神を鎮めるためには、考え得るかぎりの邪悪を行わなければならないのです。
最も邪悪な行為は、子供を殺すことです。
さらに邪悪なことも、想像力(と実行力)があれば可能になります。自分の娘とセックスし、産まれてきた子供を生贄に捧げるのです。これは実際に行われていました。
十二月になると、太陽の進路が南の空で五日間静止します(占星術の叡智です)。古代の祭司は人々に、太陽の死期が迫っている、高価な生贄を捧げなければならない、などと告げます。
土星は時の神です。なので土星に「太陽をどうにかしてくれ」「太陽を動かしてくれ」と懇願します。そして次はお決まりの子供の生贄です。
ローマのサトゥルヌスは収穫の神でもありますので、大鎌を持った老人としてよく描かれます。子供たちの魂を「収穫」するわけです。

カルタゴの主神はバアル・ハモンです。カルタゴはフェニキア人の植民都市で、フェニキア人はイスラエル人と実質的に区別がつきませんでした。
紀元前三世紀ごろのクレイタルコス(アレクサンドロス大王の史家)は、バアル・ハモンについてこう記しています。
その中にクロノスのブロンズ像が立っており、その手はブロンズの火鉢の上に伸びている。その炎が子供を包み込む。炎が体にかかると、手足が縮み、収縮した身体が静かに火鉢の中に滑り込むまで、開いた口が笑っているように見える。こうして「にやにや笑い(grin)」は「皮肉な笑い(sardonic laughter)」として知られるようになる。笑って死ぬからである。
帝政ローマの著述家プルタルコスはこう報告しています。
かれらは自分の子供を捧げ、子供のいない者は貧しい人々から小さな子供を買い、まるで多くの子羊や幼鳥のように、その喉を切り裂いた。
母親は涙も呻き声も上げずに傍観していたが、一度でも呻き声を上げたり、一度でも涙を流したりすると、金銭を没収された。それにもかかわらず、母親の子供は犠牲になった。
像の前は笛と太鼓の大音響で埋め尽くされ、泣き叫ぶ声が民衆の耳に届かないようにした。
鳴り物の起源はここにあります。
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