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今までの自分でいることに飽きた

と思えたら勝ちだと思う。

わたしはわりと気が短くまあまあ極端な性格なんだけど、意外とそういう自分のことが嫌いじゃない。

鬱になるたび「何もかもに疲れたし死にたい」と言ってるわりに、自分の好きなところはなくもないのである。

6年勤めた公務員を辞めようと思った時、その理由の一つに「未来が想像できる人生になっていくのは恐ろしいから」というのがあって、実際辞めた後は色々あって、結果的に「未来が想像できない人生」に至った。

(公務員が悪いと言っているわけではなく……。わたしは当時独身で、公務員も親に言われて受験し、唯一自分で選んで受かった国家専門職をDV男のために蹴ったので、自分でした選択というものが少ない人生を歩む予定だったし、なんらか行動しなければずっとこのままなんだろうなと思っていた)

「未来が想像できない人生」には、少なからず己の不健康さによるものも含まれるけど……。これは極端な性格の副作用みたいなものなので仕方ない。

躁鬱だからかもしれないけど、未来が想像できると、それが決して不幸なものではなかったとしても、なぜかわたしは病む。それを待ち迎える日々が嫌になる。
なぜかは分からないけど、そうなる。
なぜかは分からないけど嫌になるわけなので、やめよう……と思った。

公務員を辞める時は親に泣かされるほど詰められたし、誰が聞いても大丈夫かお前って言われる気がしたし、最悪路頭に迷うかもしれん(極端な心配性)って思ったものだけど、社会はさすがにそこまで厳しくなく、ありがたい人間関係にも恵まれて、なんとか今の生活の基盤を得た。公務員を辞めてからは、転職先を2年で辞めたりバイト生活したり開業したりとあちこち転々したけど、幸いしばらく勤めるだろうと思える定職に就けた。

今はわりと自分の人生のことが好きだ。自分のことは、短気なことくらいしか好きなところがないけど。

何もかもに疲れて死にたくなっても、短気だからそのうち起き上がれる。短気万歳。

坂口恭平氏著「躁鬱大学」に「『飽きた』は天の恵み」という話があるんだけど、本当にそう。
「飽きた」は天啓。

寝不足で朝からやる気なかったけど、飽きたから起きる。

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