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ミュシャ展の入口が2つに分かれてた!

今年11月、府中市美術館で『アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界』という美術展を観て、とてもエキサイティングな体験をしてきた。

府中市美術館

ミュシャの「ふたつの世界」とは、彼の描いた【版画】の世界と【油彩画】の世界のことらしい。美術展の入口がいきなり2つに分かれていて、驚いたあ。左に行くと【版画】、右に行くと【油彩画】に進むように出来ている。この美術展の構造がまず面白い!

現場の写真が撮れなかったので、
ChatGPTが描いてくれた「壁の前の男性」のイラストに
 テキストと矢印を書き込んで雰囲気を作ってみた。

いきなり入口で左右どっちにでも行けるリバーシブルな美術展なんて、あんまりない。普通は一方通行だ。もちろん実際は、多くの人が【版画】から【油彩画】へと進んでいた。まあ、歴史的順番や作品の人気からして、そっちの方が見やすいだろう。私もそうした。でも、入口がいきなり二股になってる美術展、なかなか面白い。

さて、この美術展がなぜ、こんなヘンテコな構造になっているのか?

ま、普通に考えれば、ミュシャの有名な作品がざっくりと大きく【版画】と【油彩画】の2種類に分かれているからだ。でも、そんな風に分かれている画家はミュシャだけじゃない。ロートレック、ピカソ、シャガール、ミロ、北斎…などなど、他にもそんな画家は五万といる。あ、五万は言いすぎだが、まあまあいる。

ではなぜ、それなのにこの美術展があえてミュシャの作品を【版画】と【油彩画】に分けたのか?

ま、普通に考えると、ミュシャの【版画】と【油彩画】が、ただ単に技法の違いにとどまらず、モチーフや作風まで変えちゃってることが大きいかもしれない。

ミュシャの代表作を使って、もうちょっと丁寧に説明する。

●例えば、ミュシャ【版画】の代表作のひとつに『JOB』という作品がある。非常に複雑な構成で描かれながら、ただただシンプルに美しいと思える。そんな作品だ。

アルフォンス・ミュシャ『JOB』
※画像引用

●一方、ミュシャ【油彩画】の代表作のひとつに『ハーモニー』という作品がある。画面から画家の想いがこぼれてくるような迫力あふれる作品だ。

アルフォンス・ミュシャ『ハーモニー』
※画像引用

正直、この2つの作品は、まるで別作家の作品のようにさえ見える。

あえて雑な言い方をすると、「商業」と「芸術」ぐらいの差がある。実際に前者は「JOB」という名前の紙煙草の巻紙の商業ポスターであり、後者は建国直前の祖国チェコと生まれたばかりのミュシャの子供の未来を祝福する絵画だと言われている。

しかも、『JOB』(1896年)はミュシャ36歳の作品、『ハーモニー』(1908年)は48歳の作品である。でも、考え方によっては、『ハーモニー』の方が青春期の画家が描いた作品で、『JOB』が円熟期の画家が描いた作品にも見える。だが、事実は逆だ。これも面白い。

そういう意味で、非常に興味深い画家だ。そう、なんでミュシャという人は、この「ふたつの世界」をこの順番(【版画】→【油彩画】)で生きたのか?それを知るのが、今回の美術展のテーマなのかもしれない。

もちろん、違うかもしれない。

さて、この美術展が二股の入口だったことで個性を発揮している点が、もう一つある。

このスタイルのせいで、ミュシャという人物を紹介する美術展でありながら、いわゆる「伝記スタイルの展示」をしなかったことである。「伝記スタイルの展示」というのは私の勝手な用語で、つまり、よくある「○○○○(画家の名前)展」のように、画家の生涯を順番に丁寧になぞっていく編年体の展示方式のことだ。

その結果、ひとつの特徴が生まれる。つまり、美術展が始まってすぐ、その主人公である画家の代表的な作品たちに出会う前に、画家が生まれた時代の社会背景を絵や写真とともに説明し、続いてその家族を絵や写真とともに説明し、さらには子供時代の画家の落書きやらデッサンやらをそれなりに見せてからから、ようやく画家の青春期が始まる。画家の全盛期が登場するのはもう少し後、ということになる。そんな「○○○○(画家の名前)展」につきものの、ありがちな展開が今回の美術展にはなかった!

もちろん、さっきのような「ありがちな展開」がダメだとは思わない。それどころか、その方が大河ドラマ的に楽しめることも多い。でも、今回の美術展では、そのあたりを気持ちよくすっ飛ばしてしまっている。でも、これこそがまさにミュシャという人物を描くためにピッタリのスピード感だと思った。

というのも、本物のミュシャがそういう人だったからだ。

どういうことか?

ミュシャという画家は、35歳まで世間からまったくノーマークな存在だった。もうちょっとはっきり書くと、書籍にひっそりと挿絵を描いていた無名の画家だった。ところが、この無名の挿絵画家がひょんな偶然によってある日、一躍スターダムに躍り出た。

そんなドラマチックな方法で、世界の美術史に登場する。

舞台となったのは、19世紀末のパリ。当時のフランスには人気実力ともに時代を圧倒しており、「劇場の女帝」とまで呼ばれた大女優がいた。その名をサラ・ベルナールという。そんな大女優が、次の主演舞台『ジスモンダ』のポスターを発注するため1984年の12月の年末、とある印刷工房にやってきた。

サラ・ベルナール
※画像引用

ところが、クリスマス休暇中だったせいで画家は全員不在。そこで、たまたま友人の代理で働きに来ていた、ポスター制作経験の一切なかった35歳の挿絵画家が仕事を引き受けることになった。ほどなくして挿絵画家は人生初のポスターを描き上げたが、そのデザインを見て工房主は大いに失望した。でも、依頼主である大女優サラ・ベルナールはそのデザインに惚れ込んで、彼の絵を正式採用した。

こうしてミュシャのデザインしたポスターは彼がバイトしていた工場で印刷され、年が明けるとパリの街中に貼られそのあまりに斬新なデザインがまたたくまに街中の話題を呼んだ。以来、大女優サラは自らの主演舞台のすべてのポスターデザインを、ミュシャに発注するようになった。さらに、ミュシャのもとには、サラだけでなく様々な商業ポスターの依頼が殺到するようになった。瞬く間に彼は、時代の寵児となった。ミュシャにはそんな、ちょうどクリスマス休暇の時期にピッタリの、嘘みたいな伝説が残っている。

アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』
※画像引用

さて、今回の府中美術館のミュシャ展では、彼がこの世に生を受けてからデビュー作『ジスモンダ』を描くまでの35年間を、横幅およそ3mほどのスペーで説明してしまっている。しかも、その3mには彼の子供時代の説明などは含まれていない。ミュシャは若い頃、その才能を嘱望されて篤志家による援助を得ていたが、その援助が打ち切られたために貧しい生活を始めた29歳からの6年間、彼は挿絵画家となった。そんなミュシャの挿絵画家の時代の作品(つまり、挿絵!)がこの3mの間に数点並べられているだけだ。

そして、この3mほどが終わるといきなり彼のデビュー作『ジスモンダ』が登場する。このスピード感がとても心地良い。つまり、この速度のお陰で、ミュシャの長かったであろう苦節時代は省略され、当時のパリ市民の気分でミュシャのデビューを体験できる。そう。ポスター画家としてデビューすると同時に彼は、あまりにも新しすぎた時代のドアを開けてしまったのだ。展示が始まってすぐに観客はその凄まじさを体感できる。

ちなみに、数点だけ展示されていた挿絵画家時代のミュシャの絵(『おばあさんの話』、『白い象の伝説』)がとても素晴らしかったこともいちおう書いておく。高いレベルのデッサン力はもちろんのことだが、画面構成、とくに奥行きの使い方に独自の個性を感じる。画面内のアイテムをいくつかの階層に分けて、奥行きの前後関係を強めに強調している。それが彼の作る空間をとてもユニークなものにしている。

アルフォンス・ミュシャ『おばあさんの話」より
※画像引用
アルフォンス・ミュシャ『白い象の伝説」より
※画像引用

さて、肝心のデビュー作『ジスモンダ』である。そのサイズ感は、縦2mほどの巨大な掛け軸を想像して貰うとちょうどいい。それぐらいの大きさだ。この空間のほぼすべてをミュシャは「絵」と「図」と「文字」で埋め尽くしている。だたし、これらの要素がバラバラに独立しているのではなく、完全に一体化している。「絵」と「図」と「文字」とがひとつの有機体のように画面の中に存在している。

これがミュシャ【版画】最大の特徴だと思う。

実際は画家の脳内では、「絵」と「図」と「文字」はそれぞれレイヤー化され再構築されているはずだ。でも、完成品の中でそれらは完全に一体化しており、分離することの出来ない「塊」になっている。その後の作品である『椿姫』では画面のほぼ99%をその塊が埋められているし、『サマリアの女』では文字フォントが非常にユニークにデザインされている上に、画面左下の壺の下にある謎空間には、舞台とはまったく関係のないおっさんが座っている。でも、舞台の世界観はしっかりと表現されていたという。そんな説明が会場のキャプションボードには書いてあったと記憶する。

アルフォンス・ミュシャ『椿姫』
※画像引用
アルフォンス・ミュシャ『サマリアの女』
※画像引用

ミュシャはこれら舞台ポスターの中に、「女優の美しさ」と「舞台の世界観」と「大事なテキスト情報」とをまとめて、「美しいひとつの塊」にしてしまった。しかも、ミュシャの描く女性的な美しさは、19世紀末のアール・ヌーヴォーの流行にぴったりな色彩感と曲線美を持っていた。時代が放っておくはずがなかった。

やがて、彼のこの才能を各種企業が注目した。ビスケット会社やらチョコレート会社やら、いろんな商業ポスターの依頼がミュシャの元に次々と届く。その中でミュシャは、もうひとつ独自の才能を開花させていく。美しさ、愛らしさ、気高さ…など、彼はいつも女性たちを魅力的に描く。そして、描き続けた。これもミュシャの特徴だ。

アルフォンス・ミュシャ『ルフェーブル=ユティール ゴーフレット・ヴァニーユ』
※画像引用
アルフォンス・ミュシャ『ショコラ・イデアル』
※画像引用

とにかく、ミュシャのポスターは楽しい。

例えば、『サロン・デ・サン ミュシャ作品展』(つまり、自分の作品展のポスター)では、とても19世紀とは思えない現代的な女性の魅力を表現している。さらに、前述の『JOB』では、髪の毛やタバコの煙までもが見たこともない有機体のようにデザイン化されており、ミュシャ独自の「美しいひとつの塊」化はさらなる次元へと突入している。


アルフォンス・ミュシ『サロン・デ・サンのミュシャ展』のポスター
※画像引用

この作品では、「美しいひとつの塊」化を示すもうひとつの特徴も印象的でだ。よく見てもらうとわかるが、「人」、「髪」、「煙」、「文字」、「フレーム」などのレイヤー化された各アイテムが論理的な重なり方ではなく、非現実的な構造でもって重なっている。美術展のキャプションボードでもこの点は説明されていたが、人や煙がフレームの前に来たり後ろに行ったりするようにデザインされている。まるでエッシャーの騙し絵のように。この非論理性がこの絵を、「複数のレイヤーで構成されたデザインの集合体」ではなく「美しいひとつの塊」にしており、同時に決定的な魅力を追加している。

ChatGPTが描いてくれた「複数のレイヤー」

さて、ここまでミュシャの【版画】コースをたっぷりと味わってきた。今回の美術展では【版画】コースを一周してきたところで、ちょうど最初に入ってきた展示室の入口に戻るようになっており、【版画】コースを見終えた観客はここでもう一度、右方向の【油彩画】コースへと進むことができる。

冒頭に貼った、ミュシャ展入口のイメージ図。
左に行くと【版画】、右に行くと【油彩画】へ。

【油彩画】コースの中で個人的にもっと印象深かったのが、ミュシャの『装飾資料集』である。彼がリアルなデッサンをどうやってデザイン化していくかのわかるパートだ。具象的な植物デッサンと、それをベースにミュシャがデザインしたまさにアール・ヌーヴォーな装飾的植物が並んでいる。日本人としては「19世紀末の欧州的琳派」と呼びたくなるような、本当に楽しいメタモルフォーゼを楽しむことができる。

日本で出版されたミュシャの装飾デザイン集の表紙
※画像引用

このコースでは、【デッサン】→【版画】→【油彩画】と言った、ミュシャの魅力の因数分解を楽しむこともできるのだが、その最後に、この【油彩画】コースのメインディッシュと言ってもいい、後期ミュシャの作品群が展示されている部屋がある。この部屋が今回の美術展の最後の部屋になる。

「後期ミュシャ」については、ちょっとだけ説明が必要だ。

19世紀末のとあるクリスマスに、大女優サラ・ベルナールのおかげでアール・ヌーヴォー時代の寵児の一人として美術界にデビューしたミュシャだが、時代の寵児の命は永遠に続かない。20世紀に入り第一次世界大戦も終わると、世界は一変した。世界中がスタイリッシュでモダンな美しさを愛するようになり、かつてあんなにも愛したアール・ヌーヴォーの美しさを大げさで古臭いものと感じるようになった。

こうしてミュシャは、時代とともに一度消えた。

その後、招かれてアメリカに渡り、さらに故国であるチェコの都市プラハに戻ったミュシャは、パリ時代とは違った作風で新しい創作活動を始める。正確には、この頃も必要に応じてポスターだって描き続けているのだが、この頃からミュシャは、ちょうど建国直前の故国チェコの熱い空気の中で、故国への強い想いを込めた油彩画を次々と描き始める。商業ではなく、芸術として!

そんな彼の作風の変化を見事に表現するようにこの日の美術展では、それまでの細い廊下をくねくねと歩きながら作品を見てきた展開から、最後の部屋に到着した瞬間、序破急のリズムで世界が一転する。それは、デモ隊が細い路地から巨大な広場に到着したような興奮がある。最後の部屋に来ると目の前に、まったく想像だにしていなかった巨大な作品群が現れて驚く。見事な構成である。

その中でもっともサイズ的に大きいのが、大阪府堺市にある「堺アルフォンス・ミュシャ館」所蔵の『ハーモニー』だ。その大きさは、縦1.5m x 横4.5m。まあ、絵もデカいが、テーマもデカい。数千から数万人はいそうな大群衆の眼前に、何かとんでもないパワーを持った巨大な生命体がいる。その人物というか謎の生命体の両手が何か不思議な力を発しているのだが、その正体はよくわからない。そして、大群衆の正体も何種類かいるようだが、よくわからない。タイトルが『ハーモニー』というぐらいだから、人々と巨大な生命体とが何らかのハーモニーを奏でているようだ。

アルフォンス・ミュシャ『ハーモニー』
※画像引用

一般的に1908年に描かれたこの絵は、ミュシャの故国チェコの独立(1918年の)を目前にした高揚感や、この頃ミュシャ夫人が懐妊中だった長女の誕生に結びつけて語られることが多い。とにかく暗闇の中から、何か特別な力によって夜明けが来ようとしている。そんなことを力強く予感させる絵だ。そして、売れる前の挿絵画家時代からのミュシャの特徴でもあるのだが、画面の中でいくつものレイヤーの重なり具合が強調されている。それがこの絵にスケール感とドラマ性を与えている。

この部屋には他にも、2m級の『クォ・ヴァディス』などサイズの大きな作品が並ぶ。今回の美術展にはミュシャ油彩画の代表作『スラブ叙事詩』シリーズこそ来ていないものの、この時期のミュシャは、自身の内面に力強く現れてきた「描きたいモノ」を、その持てる限りの技術を動員して描いている。その結果として彼の「描きたいコト」がどんどん大きくなり、結果として作品もどんどん巨大化しているように見える。少なくとも私の目には。

アルフォンス・ミュシャ『クォ・ヴァディス』
※画像引用
アルフォンス・ミュシャ『スラブ叙事詩』より
「ルジャナにおけるスヴァントヴィトの祭典:神々が戦うとき、救いは芸術にある,」
※画像引用

そして思う。

【版画】の世界では「美しいひとつの塊」を描き続けた画家が、【油彩画】の時代になると「熱いひとつの塊」を描くようになった。「美しさ」よりも「熱さ」を、「まとめること」よりも「あふれること」を目指しているように見える。【油彩画】コース、とくにクライマックスの部屋を歩きながら、ミュシャの巨大な絵画の登場人物たちに見下されながら、そんなことを感じていた。

「美しいひとつの塊」と「熱いひとつの塊」。

ひとつの展示空間の中で、ミュシャの描きたかった2種類の塊を見せてくれたような気がする今回の美術展。そのことに気がつくと同時に、「変わっていくミュシャ」と「変わらないミュシャ」という二人のミュシャまで見せてくれたようにも思う。

ミュシャのふたつの世界と、二人のミュシャ。今回の美術展『アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界』展は私にとって、とてもエキサイティングで楽しい体験だった。

アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)
※画像引用

(あ、この美術展は2024-12-01には終了しています!)

2024-12-29









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