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再集結した七人の推したち〜『運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』

私の「七人の推し」たちは普段、東京から離れた奈良の地にいる。しかも、同じ奈良市内は興福寺の敷地内にはいるものの、その場所は百メートルほど離れている。わずか百メートルとは言え仏像なので、この七人が勢揃いすることは、まずない。それが今回!なんと同時に東京にやってきて、しかも、同じ室内で展示されるという。

そりゃあもう、行くしかない!

それが私にとっての、今回のイベントである。
イベントの名前は、

東京国立博物館『特別展 運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』

今回は、そんな特別展について書く。

ちなみに、こちらが興福寺の北円堂だ
中金堂のおよそ100メートルほど西側に建っている。

なお、すべて私の「七人の推したち」に関する勝手な思い込みに基づく文章である。しかも、仏像は本来、「七体」とか「七尊」などと数えるのが正しい。だが、今回は特別に「七人」などと時折書かせてもらう。これもあくまで、私の思い込みによる。

さて、細かいことをすっ飛ばして書くと、
この展示で、私の大好きな3種類の運慶作品が楽しめる!

3種類の運慶のうちのひとつは、「マッチョ系運慶」だ!

マッチョ系運慶〜四天王立像@中金堂

ざっくり言うと、おおよそ平安時代の仏像は、平安貴族たちにピッタリの「静かで柔和な仏像」が大人気だった。ところが平安末期にいきなり現れた<暴れん坊な政治家たち>、つまり<武士たち>にピッタリの仏像を作って武士たちに人気を獲得した天才仏師、それが鎌倉時代の運慶だ。

そんな運慶とその一派によって作られたのが、「東大寺南大門の金剛力士像」に代表される、マッチョな仏像群である。筋骨隆々の人間っぽい力強さがほとばしる、「侍ルネッサンス」!それがまさに運慶作品の醍醐味である。しかも、運慶は奈良時代の仏像を徹底的に研究した上で、そんな奈良時代のファッションなどベースにしつつ、武士の時代にピッタリの迫力あるマッチョ風味にアレンジしていった。

東大寺金剛力士像@南大門

そんな運慶のマッチョ系仏像の中でも、とうとうそこまで行っちゃったのか!?という極北的な作品が、今回、奈良からやってきた4人の暴れん坊たちである「四天王立像@興福寺中金堂」だ。(下図)

四天王立像@興福寺中金堂

もともと「四天王立像」というのは、「寺院の本尊を囲む須弥壇の四隅に、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天の順で配置されている、仏像界の武闘派ガードマン」である。そんな武闘派がさらにマッチョに進化したのが、この「四天王立像@興福寺中金堂」だ。

「マッチョに進化」ってどういうことか?

ざっくり言うとこういうことだ。
有名な「四天王立像@東大寺戒壇院」と比べてみるとわかりやすい。

四天王立像@東大寺戒壇院

こちらは天平時代(奈良時代中期)の作品である。天平時代を代表する四天王立像としても有名。もちろん国宝だ。

おそらく鎌倉時代の運慶も、これら天平の仏像たちを参考にしながら自分たちの仏像を作ったと思われるのだが、天平時代のそれは表情筋こそ活発に動かしてはいるものの、全身の筋肉はあまり動いていない。もっとも激しい動きはバランスよく邪鬼を踏み潰してる両足太腿の内転筋ぐらいで、他の筋肉はそれほど使っていないように見える。それどころか、4人ともその手に武器を持っているが誰かを傷つけようとしているようには見えない。その武器は、単に脅しのために持っているように見える。中でも広目天(右から二人目)なんかは武器はいっさい持たず、文房具(巻物と筆)しか持っていない。そして、顔だけは「コワモテ」だが、体躯は「マッチョ系」というよりも「ガッチリ系」である。

きっと、奈良時代の衛士(宮廷警備員)のイメージがこんな感じだったのではないか?と想像する。それに比べると、今回の「四天王立像@興福寺中金堂」は圧倒的に武士である。普段から市原隼人並みにジムで鍛えてそうである。私が運慶作品に感じるマッチョ感とはこの、圧倒的な「武士」感である。

ここから、さらに脇道にそれる。
「四天王立像@興福寺中金堂」の魅力を説明するために、興福寺にあるその他の四天王立像について説明させてもらう。

実は興福寺には、四天王像が有名なものだけで合計5セットもある。

なぜかというと、かつて日本最大級の寺院だった興福寺にはお堂ごとに四天王立像がいて、しかも見事に現在まで保存してきてくれたからだ。その結果、今回の主役である運慶の作った「四天王立像@興福寺中金堂」以外にも4セットある。

つまり、鎌倉時代に運慶の父・康慶が作った「四天王立像@興福寺南円堂」、そして平安時代に作られた「四天王立像@興福寺東金堂」と「四天王立像@興福寺北円堂」。さらに、平安〜鎌倉時代に作られたと推測される四天王像がもう1セットある。これは、事情があって4体がそれぞれバラバラな団体に所有されたりしている。この結果、興福寺には現在4セット+訳あり1セット=5セット、合計20体もの関連四天王像がいる。こんなお寺、なかなかない。

歴史順にざっと並べてみると、こんな感じだ。

■四天王立像@興福寺北円堂

四天王立像@興福寺北円堂(since 791/平安時代)
左から、増長天、多聞天、広目天、持国天
木心乾漆造、漆箔、彩色【国宝】
(過去@大安寺)

この4人、骨太な感じで腕力は強そうだ。だが、どことなくコミカルにも見える。中でも、腕を組んで威圧している江戸時代の親分さんみたいな持国天(右端)や、たぶん持ってた宝塔が紛失したために、右手のひらにまるで喫茶店のお盆か小鳥でものせてそうな多聞天(左から2人目)のせいで、さらにコミカルに見える。また、かなり武張っているはずの広目天(右から2人目)や増長天(左端)にも、京劇のワンシーンでも見てるうような様式美を感じる。そんな、見てるだけで楽しくなる四天王だ!

※この四天王立像は791年に大安寺のために作られ、1285年に興福寺で修理されたという記録が残っている(増長天像と多聞天像の台座の天板裏面)が、なぜそれが興福寺北円堂で運慶作の仏像群と一緒に安置されていたのかは不明だ。

■四天王立像@興福寺東金堂

四天王立像@興福寺東金堂(平安時代)
左から、増長天、多聞天、広目天、持国天
一木造、彩色、瞳は黒漆、桧材【国宝】

この4人は筋肉量がさらに増えた上に、背中には「輪光背」(りんこうはい)という火の車までしょっているので、かなり強そうである。でも、まだまだ舞踏的な様式美を感じる。一方、この4人の一体感はなかなかなものである。もう一人追加したら、ある種のゴレンジャーが完成しそうな統一感さえ感じる。

※この四天王立像(726年創建)は、1415年に再建された興福寺東金堂に安置されている。

■四天王立像@興福寺(奈良国立博物館ほか)

四天王立像@興福寺(平安〜鎌倉時代)
左から、増長天(奈良国立博物館)、多聞天(奈良国立博物館)、
広目天(奈良国立博物館寄託【重要文化財】)、持国天(MIHOミュージアム)
一木造、彩色、彫眼(瞳は黒漆)、桂材

この4人が、例の事情があってそれぞれバラバラに所蔵されている四天王立像だ。筋肉量は突然落ちて、いきなり細マッチョである。体躯の印象も、力強さよりしなやかさが目立つ。4人中3人がその手を高々とあげており、反骨なロック魂さえ感じる。お顔も「コワモテ」というよりは「端正」である。彼らが門番に立っていると、女子の追っかけとか現れそうでさえある。とくに持国天(右端)はイケメンのヴィランみたな雰囲気さえある!そういう意味では、全体的に荒っぽいものの、運慶というよりはスマートな印象の強いい快慶(運慶のライバルと言われた仏師)っぽささえ感じる四天王立像だ。

※なお、この四天王立像は平安〜鎌倉期に作られ、過去に興福寺に存在したことは確認されているが、明治時代に広目天以外の3体が海外に流出した、その結果、現在は所属事務所が分かれている。もとい、所蔵している団体が分かれている。最後まで興福寺にいた広目天は興福寺所有のまま、今は奈良国立博物館に寄託中。増長天と多聞天は奈良国立博物館が所蔵しており、広目天と一緒に展示されることも多い。そして、持国天だけは滋賀県のMIHOミュージアムに所蔵されている。

■四天王立像@興福寺南円堂

四天王立像@興福寺南円堂(since 1189/鎌倉時代)
左から、増長天、多聞天、広目天、持国天
Produced by 康慶
寄木造、彩色、彫眼、桧材【国宝】
(過去@仮金堂中)

この4人はまず第一印象として、全体のフォーメーションが見事である。とくに中央の二人(多聞天と広目天)が身体を斜に構えながらすっくと立ち、両端の二人(増長天と持国天)が身体を大きく開きながら外側の足を邪鬼の上にのせて見栄を切っているようにも見える。衣装も完璧に揃っていて、4人で1つのユニットだなぁというのがよくわかる。全員が背負っている「輪光背」(りんこうはい)も東金堂の四天王のそれよりも火力が強めである。全体的に筋力も復活し、表情もだいたい強そうである。威圧と様式美のちょうど中間ぐらいの力強さを感じる。実はこの4体、運慶のお父さんである仏師・康慶の作品である。個人的には、持国天(右端)がこれからまさに1000本ノックを始める野球部の監督のようにも見えるが、たぶん気のせいだ。

※この四天王立像は、しばらく「仮講堂」(現在の中金堂の裏手にある)に安置されていたが、2018年に中金堂が再建されたことにより「南円堂」に引っ越した。これは、南円堂に安置されていた運慶作の四天王立像が中金堂に移動したことに伴い、空いた南円堂にこちらの康慶作の四天王立像が移動したせいだ。

■四天王立像@興福寺中金堂

四天王立像@興福寺中金堂(since 1212/鎌倉時代)
左から、増長天、多聞天、広目天、持国天
Produced by 運慶
寄木造、彩色、彫眼、桂材【国宝】
(過去@南円堂、北円堂?)

でもって、これが今回の展覧会のメイン、運慶が作った「四天王立像@興福寺中金堂」である。これまでの4チームの四天王と比べてどうだろう?確かに、衣装や髪型、小道具などはこれまでのものと類似しているが、表現スタイルがいきなり変化している。これまでのものがそれぞれのバランスで「威圧」や「様式美」を感じさせるものだったとすれば、このチームの仏像は、「威圧」や「様式美」以前に、それぞれの四天王から「人間としての何らかのドラマ性」を感じる。少なくとも私はそれを感じる。つまり、とっても人間っぽいのだ。

その証拠という訳でもないが、4人はそれぞれ衣装やボディバランスなどに共通点を持ちながら、4人揃ったフォーメーションには一体感がほぼない。右サイドの2人(持国天と広目天)が三鈷戟を左手で握りながらほぼ同じポーズをしてるのに、左サイドでは多聞天(左から1人目)だけが右手で三鈷戟を握りながら左手には宝塔をのせてそれを見上げ、増長天(左端)は右手で日本刀を握りながら左手でその刃を弄んでいる。各人はそれぞれ美しさを漂わせているが、4人のポーズはそれぞれ、影響を受け合うことなくヨーイドンで作られたようにさえ見える。

その理由として、以下のことが考えられないだろうか?

つまり、四天王立像はしばしば一人の彫刻家が作り上げることが多いが、この四天王像の作者はそれぞれ違っている。総合プロデューサーこそすべて「運慶」だが、四天王像の作者はそれぞれ違っている。持国天は「湛慶」、広目天は「康弁」、多聞天は「康勝」、増長天は「康運」が彫ったと伝わっている。この4人、実は運慶の4人の子供たちだ。つまり、運慶ファミリーによってこの4体は作られている。そしてどうやら、運慶は自分の子供たちに、それぞれの力量を競わせるように作らせたのではないか?だから、4体はそれぞれ素晴らしい出来なのに、4体の一体感がきわめて乏しい。

ま、あくまで妄想だが。

以下、一体ずつ見ていく。

●持国天立像

口をギュッと閉じてる代わりに目玉の眼圧が半端ない持国天
Created by 湛慶

前列右手の持国天は三鈷戟のかなり高い位置を左手で握り、右手の拳でこちらを威圧している。しかし、その表情は人間味が強く感じられる。かなり怖そうな顔をしているのだが、ちゃんと説明をすれば聞いてくれそうな理性や情緒が感じられる。往年の長門裕之さん、今ならさしずめ小手伸也さんを思わせる優しさの覗く表情である。

この仏像の作家である湛慶(たんけい)は、運慶の嫡男だ。のちに運慶の系譜である「慶派」を継ぎ、棟梁として三十三間堂の復興造像などで活躍した大仏師だ。個人的に大好きな、高山寺の名作「木彫りの狗児」の作者とも言われている。

●広目天立像

右半身の腰のあたりがまるでジャズダンサーのように決まってる広目天
Created by 康弁

後列右手の広目天は、持国天(右端)と同じく左手に三鈷戟を握り、こちらを威圧している。そして、とにかくその表情が人ならざる迫力を持っている。持国天が「吽形」なら、こちら広目天は大きく口を開いた「阿形」だ。クイッと右側にひねった腰とそこに置いた手の位置が見事なせいで、ポーズは武闘派というよりもやや舞踏派のようだ。でも、表情と三鈷戟を握る左手の握力のせいで、無音なのにまるで大音量で咆哮しているような迫力がある。また、その瞳は完全にイッちゃっており、人間と言うより獣性すら感じる。

この仏像の作者である康弁(こうべん)は、運慶の三男だ。伝わっている個人情報は少ないが、同じ興福寺の『天燈鬼・龍燈鬼立像』が唯一の作品として伝わっている。この2体はその人間味溢れる豊かな表情と天才的な造形美(見事な5頭身キャラ!)などから、日本を代表する彫刻作品だと私は思う。

●多聞天立像

表情筋も含めて4人の中でもっとも筋肉の動きが少ないなのが、多聞天
Created by 康勝

後列左手の多聞天は、右手に三鈷戟を持ちながらもそこには武器としての威圧感はまったくない。正直、ついでに持っているような感じさえある。では、彼、多聞天はいったいどんな方法で戦おうとしているのか?それは、彼が高々と掲げている左手のひらを見ればわかる。そこには、魔法の力を持つという「宝塔」が載っていて、彼はそれをじっと見つめている。何かを念じているのか?ただし、彼の表情には意表を突かれる。冷めた表情で何かを力強く呪っているようにも見えるが、見ようによっては、その結果、宝塔の奥に何かとんでもないものを見つけてしまったような、恐怖と恍惚が入り混じったような表情をしている。この顔の造形は本当に素晴らしい。なんか胸が熱くなる。

この仏像の作者である康勝(こうしょう)は、運慶の四男。彼はその作品が現代までいくつか伝わっているのだが、最高傑作と言ってもいいのは、口から仏様がぞろぞろトレインスタイルで出てくることでもおなじみ『空也上人立像』である。間違いなく天才である。

●増長天

日本刀の扱い方が、どう見ても武士誕生以降と思われる増長天
Created by 康運

そして、今回の「四天王立像@興福寺中金堂」の中で、もっとも注目したいのが前列左手の増長天である。個人的にも大好きなのがこの増長天である。右手で刀剣を持ち、左手の親指でその刃を弄ぶように撫でている。そして瞳は静かに下方を見下ろしている。2秒後に有無を言わせずその刃を振り下ろしてしまいそうな殺気を感じる。独特である。もはや仏像というよりも、剣豪の彫像と呼びたいぐらいだ。世界殺気彫刻コンテストがあったら優勝しそうな彫像である。この文章の前半で、「四天王立像@東大寺戒壇院」は実在した衛士をモデルにしたのではないか?と書いたが、この「増長天」にも実在した鎌倉武士のモデルがいたのではないか?と思う。それほどのリアリズムを感じる。

この仏像の作者である康運(こううん)は、運慶の次男。あまり有名な作品が遺っていないが、この「増長天」を見ると、まだまだこれから作品が見つかってきそうだな、と期待している。いや、見たいのだ、他の作品を!

とにかく、今回の展覧会の会場でも、そんな四天王が作る魔法陣の破壊力がハンパない!

この4体の迫力、何かに似ているなぁと思ったら、黒澤明監督の映画『七人の侍』だ。

持国天→林田平八(as 千秋実さん)or  七郎次(as 加東大介さん)
広目天→菊千代(as 三船敏郎さん)
多聞天→岡本勝四郎(as 木村功さん)
増長天→久蔵(as 宮口精二さん)

フォーメーションこそバラバラだが、個性豊かな集団の迫力がそこにはある。いわゆる足軽集団の一体感ではなく、個性が集まることで生まれる侍のパワーが表現されているようにも見える。そっか、やっぱり運慶ってのは「侍」時代の彫刻家なんだなぁ、ということを改めて思い出させてくれる四天王立像だ。

さて、そんな<マッチョ系運慶>と対照的な運慶の作品に、<インテリジェンス系運慶>がいる。

インテリ系運慶〜無著立像、世親立像〜

その代表格が、まさに今回の「無著立像」と「世親立像」である。これはもう圧倒的である。何が凄いと言って、この二体、見てもらうとわかるように、仏像ではあるがこの世ならざる雰囲気がほとんどなく、とても高貴で美しいけれど、どこからどう見ても「人間」である。実際、二体のモデルとなったのは5〜6世紀頃に実在したと言われるインドの高僧である。

悟りきったフリーザ様のような、と言ったら怒られるかもしれない「無著立像」
Created by 運慶

二人は、インドはガンダーラ国のバラモン(最高位の僧)の子供で、長男が無著(むじゃく)、次男が世親(せしん)である。そう、兄弟だ。で、この二人をモデルにしたこの二体の完成度は、「仏像として」という条件抜きで、日本美術史の人物彫像ランキングの中でも確実に上位に入ると思われる。いや、個人的に世界美術史の人物彫像ランキングでもいいところに入るのでは?と思っている。

メガネを外した安西先生のような、と言ったら怒られるかもしれない「世親立像」
Created by 運慶

何が凄いと言って、この仏像の現物を見てもらえばわかるのだが、この二体は、それを観る者に向かって、いろんなことを語りかけてくる。

もちろん、この二体の仏像に音声スピーカーがついてる訳じゃない。また、パクパクと口が動くわけでもない。でも、この仏像を見ていると、あまりにも多くの情報が伝わってくる。そう、どちらの仏像もあまりに饒舌だ。もちろん、饒舌とは言っても、具体的に何を言ってるのかはわからない。

でも、それぞれ大量のメッセージを発し続けている。個人的な印象としては、向かって右側に立つ無著は「何かとても大切な過去」を語っているように見える。一方、向かって左側に立つ世親は「何かとても大切な未来」を語っているように見える。(あまりにも個人的な感想だが…)

しかも、この二体の仏像、とても美しい。二体ともそれぞれにとことん美しい。モデルはまあまあの高齢者だし、二体とも動きがほとんどない。無著がわずかに右足を、世親がわずかに左足を軽く前に一歩踏み出しているだけである。あとは、二人ともその両手がそれぞれの胸元で独特の仕草をしているだけで、全身の動きは極めて少ない。周囲に立つ四天王立像@興福寺中金堂と比べても、その動きの少なさは際立っている。だが、その立ち姿は圧倒的に美しい。衣類の表面を流れるドレープがその美しさをさらに補っている。

そして、静かに淡い光を放つ玉眼(木彫人物像の目に水晶製のレンズを入れたもの)も印象的だ。この二体の玉眼は美しいだけでなく、こちらの心の中まで見透かされてるような気分になる。同時に、今ひとつ読みきれない「彼ら」の心を、こちらから覗いてみたくなる。そう、気づくと私は仏像の前で、彼らと対話しているような気分になる。しかもそれらは、玉眼のせいだけでなく、作品の様々な要素がそれを演出している。とくに表情筋のひとつひとつがリアルで美しく何かを訴えている。だが、その何かがなかなか読み取れない。彼らの饒舌さの秘密はここらあたりにある。

二人の手の動きについても軽く触れておく。無著はなんだかよくわからないがお中元か御歳暮のような「包み」を抱えている。が、世親は手ぶらで不思議なポーズをしている。工藤静香さんの『嵐の予感』のサビの振付にもちょっとだけ似ている。だが、冷静に見てみると、無著とほぼ同じポーズである。つまり、ここにも「包み」を置いてみたくなる。つまり、二人とも、かつてはそこに「包み」を持っていた可能性がある。どうやら、長い歴史の中で世親の「包み」だけ失われてしまったようにも見える。さて、どうだろう?

面白いことにこんな無著立像の写真と、こんな世親立像の写真が伝わっている。リンク先の写真を見てもらうとわかるが、無著が手ぶらで、世親が「包み」を持っている。そう、今と逆なのだ。この二枚の写真は1886年頃に撮られている。感想としては、「包み」の置き方が悪かったのか世親の左手から「包み」がこぼれそうであり、「手ぶら無著」の両手はなんだか底面が90°の物体をさっきまで持っていたのに、誰かにそれを奪われた直後みたいにも見える。無著と世親、どっちの手にもちょっとした違和感がある。さらにはこんな写真()まである。1888年に撮影されたというこっちの2枚の写真では、無著と世親がラグビーボールみたいに「包み」を二人でパス交換している。いったい何が起こったのか?(詳細については、このサイトを参照のこと)

とにかく、無著と世親、この二体の現物を見ることがあったら、その瞳の中を覗き込んで欲しい。玉眼の奥から彼らの言葉が聞こえてきそうな気がする。そして、あの「包み」の中には何が入ってるんだろうな?とか、いろいろ気になってくる。

チョーエツ系運慶〜弥勒如来像〜

■弥勒如来坐像@興福寺北円堂

弥勒如来坐像@興福寺北円堂
Created by 運慶
寄木造、彩色、彫眼、桂材
【国宝】

そして、マッチョ系4人に囲まれ、インテリ系2人を背後に背負っているのが「弥勒如来像」である。マッチョとインテリがそれぞれのスタイルで「人間っぽさ」を表現している中で、「弥勒如来像」はまったく別の、超越した世界の住人であるように見える。

現物じゃないとわからないと思うが、無著や世親とは違って「玉眼」じゃなく「彫眼」(素材を変更しないで木彫のまま作った眼球)だ。二人の濡れたように見える目玉と違って、深く静かに沈んだような瞳をしている。まったく感情が読み切れないために、あらゆる感情がその奥にほの見える。笑っているようにも見える。怒っているようにも見える。ちょっとだけ泣いているようにも見える。不思議な瞳である。

顔面の皮膚もそこから筋肉の気配が読み取れない。不思議な完全体のよう顔面をしており、それは顔だけじゃなく、全身についても言える。筋肉ではない、別の機関によってその身体は動かされているとしか思えない。胸を大きく張っており、自省心などまったく見当たらないオープンマインドな風情を感じさせる。右手も同様で、その結んだ印相がOKマークにしか見えないほどの明るさを示している。周囲の6体が人間っぽいだけに、余計に際立つセンター仏像のチョーエツ(超越)感が圧倒的である。

しかも今回は「弥勒如来像」から「光背」を外しているので、下手から世親→弥勒如来→無著と並ぶ3ショットがとても美しく、そして面白い。もちろん光背があったらあったで、それはそれで美しくありがたいのだが、今回は「光背」がないことで、3ショットがとてもドラマっぽいのである。今回の展示では、この3体が中央に並び、残りの4体がそれを囲むのだが、是非、中央の3体をグルグルと何周か回りながら見て欲しい。そのたびにこの3体からいろんなドラマが見えてくる。弥勒如来の両側から、無著と世親がいろいろ語り始めるのだ。弥勒如来はもちろん、それらをじっと聞いている。その周囲では、四天王の4体がそれぞれの葛藤を秘めながら守っている。こうして生まれた7人のドラマが、様々な表情とともに伝わってくる。それぞれの角度から眺めると、それぞれの仏像たちがその独特な表情とともに様々なドラマを見せてくれる。

これが今回の東京国立博物館『特別展 運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』の私にとっての魅力である。ひとつのドラマを描いた迫力あふれる演劇を見ているような気分にさえなる。果たしてそれが、運慶がそもそも目指したものなのかどうかは不明だが、私にはそれがとっても楽しい!だから、館内をぐるぐるぐるぐると何周も回ってしまう。

最後に、この「七人の推したち」の普段のことについて語っておく。中央の三人(弥勒如来像、無著、世親)は奈良県奈良市にある興福寺「北円堂」の中に安置されていて、春と秋に2週間ずつだけ特別開帳される以外は公開されることはなく、「秘仏」扱いになっている。一方、周囲の四天王立像4体は、同じ興福寺の「中金堂」に安置されているので、興福寺に行けばいつでも会える。実は、この「七人の推したち」は運慶とその一門の作品であり、かつては同じ「北円堂」にあったことが最近の研究でわかっているのだが、今は100メートルほど離れた2つのお堂に別々に安置されている。2017年の興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」では、「弥勒如来像」を除く6体が同じ東京国立博物館で揃ったことはあるが、7体がすべて揃うのはいつ以来だろう?かなり長期に渡って実現してこなかった7体の勢揃いなのである。なので、今回の特別展での再集結はとても貴重なのだ!

…とか書いてたら、また東京国立博物館に会いに行きたくなった、この七人に!

2025-10-15


追伸1

今回の記事の中で、ちょっと「ややこしい点」があることに気づいただろうか?文章の最後の方でも書いたように、「七人の推したち」の普段の安置場所に大きな矛盾がある。

そう、今回の東京国立博物館の『特別展 運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』で展示されているにも関わらず、そこに展示されている四天王立像は「四天王立像@興福寺北円堂」ではなく、「四天王立像@興福寺中金堂」だという点だ。

うん?…どういうこと???

最後に、もうちょっと丁寧に説明しておく。

まず、この話から。

、「四天王立像@興福寺中金堂」はずっと、この数百年ほど「南円堂」に安置されていたのだが、最近の研究によりもっと昔には「北円堂」に安置されていたことが判明した。素材が北円堂に安置されている「弥勒如来像」や「無著立像」「世親立像」と同じカツラ材だし、なんと言っても運慶パパと運慶ジュニアたちの作品だ。さらに、古い画像などからもこの四天王立像は昔、北円堂に安置されていた可能性が高いと判断された。そこで、2017年に東京国立博物館で開催された興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」では、元北円堂の仲間として、この四天王と無著&世親の合計6体が同じ展示室で公開された。しかし、2018年に興福寺に「中金堂」が新規落成した時に、四天王立像は「南円堂」から「中金堂」に移籍して現在はそのまま安置されている。だからこの四天王立像、元北円堂の仏像なのに、名前は「四天王立像@興福寺中金堂」なのである。

一方、2018年にこの四天王立像がいなくなった南円堂には、もともと「中金堂」が出来るまでその裏手に建っていた「仮講堂」にあった四天王立像が移籍してきた。それが運慶のお父さんである康慶が作った「四天王立像@興福寺南円堂」である。

そして、平安時代に大安寺のために作られたが、いつの間にか北円堂にあった「四天王立像@興福寺北円堂」は、今もそのまま「北円堂」にある。つまり、普段は今回上京中の弥勒如来像や無著&世親なんかと一緒に秘仏扱いになっている。

さらに、現在改修中の五重塔のすぐ横に建つ「東金堂」にある「四天王立像@興福寺東金堂」も平安時代の作。いつの間にか東金堂に安置されていた。

例のバラバラに安置されてる「四天王立像@興福寺(奈良国立博物館ほか)」についてはすでに説明したので省略する。

以上

2025-10-15



追伸2:

ちなみに私は、「四天王立像@興福寺中金堂」の増長天像(康運作)が好きすぎて、手描きのイラストで自分専用のオリジナルTシャツまで作ってしまったw(下図)

私の手描きイラストによる世界に1枚しかない「紅い増長天」Tシャツ


2025-10-15



追伸3:

もともと図録がとてもお気に入りだったのだが、最近、図録に別冊が出てたことを知り、慌てて購入した。これまたいい!

そもそも、この展覧会で展示されたのはわずか7体の仏像だけ。なので、図録も普段の美術展の図録とは違ってくる。何が違うかと言うと、仏像一点あたりの写真数が多いのだ。その結果、彼ら仏像のいろんな表情、いろんな姿が見られる。これは彼らを推してる人間にとってはたまらない幸せである。しかも、佐々木香輔さんの撮影がまた素敵である。仏像への愛情がある。

とくに公式図録の72-73ページの多聞天立像はたまらない。ちょうど、多聞天が左手で掲げている宝塔のほんの少し下あたりから多聞天の顔を見下ろしたような画角。この画角が最高なのである。文中でも多聞天立像の表情を「恐怖と恍惚が入り混じったような表情をしている」と書いたが、まさにその表情が見事に切りとられている。

ちなみに私は、その仕草と表情に私は魚豊さんのコミック『チ。』第一巻の表紙を思い出した。たぶん私だけだと思うが、とんでもなく禍々しくも素晴らしいものを見つけたような、そんな表情だ。

でもって、別冊の方は「展示風景篇」というサブタイトルがついている。これは、トーハクの展示室での風景が中心。結果として、複数写真が多い。今回の文章を読んでもらうとわかるが、まさに私好みの写真ってことだ。

無著〜弥勒〜世親という3Sは当然のように、いろいろ撮ってくれてるし、4枚目の写真(世親ナメの無著)なんて最高である。なんとなく泣いているようにさえ見える無著を、世親が目を逸らしたまま気遣っている!…と、私は勝手にドラマを夢想する。次の5枚目の写真(無著ナメの世親)では、今度はわかった上で危険な勝負に出た世親を無著が気遣っている!…と、私は勝手に妄想する。

また、7枚目の写真(増長天ナメの弥勒)では今まさに行われようとしている殺戮とそれを止めようとしている弥勒が同じ画角の中に収まっている。果たして止められるのか!?もうワクワクである。他にも無著の目(13枚目)と世親の目(14枚目)のアップがたまらない魅力である。遠くから見る時はまったく違った表情がその奥に見えてくる。彼らの表情の「複雑さ」の理由を見たような気さえする。とくに世親の突っ張った瞼、もう最高である。大好物である。

そんな写真がいっぱいの図録2冊だ。結果的に宣伝しちゃってるが、私には一円も入らないことは断っておく。

2025-11-24













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