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乗蓮寺(東京大仏と津藩藤堂家染井屋敷ゆかりの石造物)

乗蓮寺とは (赤塚5-28-3)

乗蓮寺の本堂

乗蓮寺の東京大仏の存在は、かなり広く知られているようなので、板橋史談会noteではあまり触れてきませんでしたが、そろそろ取り上げてみようかと思います。

乗蓮寺は浄土宗のお寺で、室町時代に山中村(現在の板橋区仲町)に創建されました。安土桃山時代の末頃に板橋宿(現在の板橋区仲宿)へ移転、さらに、首都高速5号線建設と国道17号線(中山道)拡幅のため、昭和48年(1973)から7年かけて現在地(板橋区赤塚5-28-3)へ再移転しました。

江戸時代には徳川将軍家から寺領十石の朱印地を賜りました。
八代将軍徳川吉宗が鷹狩りの際に雨宿りしたのが縁となり、その後に将軍の休憩する御膳所にも指定されました。
板橋区内屈指の名刹と言ってよいでしょう。

境内には、ひときわ存在感を放つ東京大仏のほか、数々の石造文化財があります。
なかでも、津藩藤堂家染井屋敷旧蔵の石造物群は一風変わった造形で、見た目にも大きなインパクトがあると思います。

東京大仏

新緑に包まれた東京大仏

東京大仏は昭和52年(1977)、関東大震災や東京大空襲のような悲惨な災害や戦争が再び起きないようにとの願いを込めて建立されました。

青銅製の阿弥陀如来坐像で、像高8.2m。造立当時は奈良・鎌倉に次ぎ、日本で3番目に大きい大仏と称されました。 ただし、厳密には「坐像で青銅製の鋳造(ちゅうぞう)大仏としては…」という条件を付ける必要があります。

そもそも単純な大きさの比較では、奈良の大仏でさえも茨城県の牛久(うしく)大仏の120mには遠く及びません。
大きさという点では、平成30年(2018)4月に東京都日の出町の宝光寺に鎌倉大仏を超える鹿野(ろくや)大仏が建立され、話題になりました。

仏像の価値は大きさだけで決まる訳ではありませんが、お釈迦(しゃか)様の身長が一丈六尺(約4.8m)で、坐像の場合では半分の八尺(約2.4m)と伝えられ、この大きさを丈六仏(じょうろくぶつ)と言い、これより大きなものを大仏と称して、特別な存在として尊ばれました。

東京大仏(部分)

東京大仏はその大きさだけでなく、プロポーションや容貌も含め、風格十分なすばらしい仏像だと思います。板橋区を代表するランドマークとしても、広く区民に親しまれています。

津藩藤堂家染井屋敷石造物

これらの石像は、現在の豊島区駒込付近にあった津藩藤堂家江戸下屋敷(染井屋敷)に置かれていましたが、昭和42年(1967)にそのうち8体(天邪鬼、役行者、奪衣婆、文殊菩薩、恵比寿、大黒、鉄拐仙人、布袋尊)が、当時板橋区仲宿にあった乗蓮寺に移されたそうです。その数年後に乗蓮寺が赤塚へ移転したのに伴い、現在の場所へと移設されました。

藤堂家の伝来のこれらの石像物は、藩祖藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったとされますが、尊像の組み合わせには教義的な相互関連性も乏しく、どのような理由でこの8体が藤堂家下屋敷に置かれれたのかは不明ですが、その個性的な形状は江戸時代からよく知られていたようで、天保13年(1842)成立の「虎丘堂集書」に、「不思議な形」「形異状」な珍品であると記録されています。
8体すべてが、板橋区登録有形文化財になっています。
(参考:板橋区教育委員会編刊2014年『いたばしの文化財-第七集-』)

8体は境内に点在しているので、探しながら見学するのも楽しいでしょう。
ただし、藤堂家染井屋敷旧蔵の布袋尊(ほていそん)像は、檀家以外立入禁止の区域に置かれているので見ることが難しいです。(境内には、これとは別の大きな布袋石像がありますので、ご注意ください。) 

がまんの鬼(天邪鬼)

何でも耐える がまんの鬼(天邪鬼)

正式には天邪鬼(あまのじゃく)像ですが、立て札には「何でも耐える がまんの鬼」と書かれています。
藤堂家染井屋敷石造物群のなかでも、最もユニークな造形と言えましょう。 

役行者(役小角)

役行者(役小角)

役行者(えんのぎょうじゃ)すなわち役小角(えんのおづぬ、えんのおづの)は7世紀末を中心に活躍し、のちに修験道の開祖とされる、数々の超人的伝説に包まれた人物です。
何やら怪しげな表情ですが、これ以降に紹介する奪衣婆(だつえば)や大黒天などとも個性的な顔のつくりが似ていますので、何体かは同じ石工が制作したものと思われます。

奪衣婆

奪衣婆

奪衣婆(だつえば)は、三途(さんず)の川のほとりで亡者を待ち受け、衣服を剥ぎ取る老婆の鬼です。多くは閻魔(えんま)とセットで祭祀されていますが、ここには閻魔はありません。
眼をかっと見開いた姿で表される一般的な奪衣婆像と比べると、表情はやや穏やかです。

文殊菩薩

獅子に乗った文殊菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は智慧(ちえ)を司(つかさど)る菩薩として信仰を集めています。単独で祀られる場合もありますが、普賢(ふげん)菩薩とともに釈迦如来の脇侍として祀られる場合も少なくありません。
単独で祀られるときは、このように獅子の上に乗った姿で表されることも多いです。
この獅子の顔も、なかなか個性的ですね。 

恵比寿・大黒天

右が恵比寿、左が大黒天

恵比寿(えびす)は日本の神、大黒(だいこく)天はインドのヒンドゥー教の神です。
恵比寿も大黒天も、日本では七福神を構成する福の神として知られています。
この2体は、他の像と比べるとオーソドックスな造形ですが、特に大黒天の顔のつくりには、役行者や奪衣婆との共通性が見られます。


鉄拐仙人

鉄拐仙人

鉄拐(てっかい)仙人は、中国を代表する八仙人のひとりで、足が不自由なため鉄の杖をつき、ボロボロの服を着ていたと言われています。
背が高く迫力満点ですが、他の7体の石像とは異なる作風に見えます。

藤堂家染井屋敷の石造物は、明治時代には1か所に集められて仙人塚(鉄拐堂)と呼ばれ、足の病気平癒(へいゆ)の信仰を集めていたそうです。
このことから、鉄拐仙人像が染井屋敷の諸像の中心的な位置づけであったと考えられます。

乗蓮寺にあるこれ以外の石造物は、別の機会に紹介したいと思います。

問い合わせ先
板橋史談会事務局 
電話090-9326-4586  itashidan@gmail.com

板橋史談会ホームページ https://itashidan.hp.peraichi.com/1964



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