NISAは「資産形成」なのか「投資家化」なのか
<この記事のポイント>
NISAや投資の広がりを「個人の資産形成」としてだけでなく、「社会全体の投資家化」として捉える視点を提示する
住宅ローンや年金と同様に、投資もまた金融が日常に浸透する現象の一部である
投資家としての視点を持つことが、企業や社会を評価する基準を変え得る可能性を問う
新NISAが始まって以降、周囲で投資を始めた人が増えた、という実感を持つ方は多いだろう。実際に口座開設数は伸び続けており、「貯蓄から投資へ」の流れは着実に進んでいる。株高の追い風もあり、ここ数年で投資を始めた人の多くは含み益を抱えている。YouTubeやSNSでは資産運用の情報が溢れ、昨今のインフラも相まって、NISAに限らず投資を行わない理由は無いようみえる。それぐらい(NISAをはじめとして)投資をすることは合理的な選択であり、個人にとっても日常的な行為になりつつある。
ここで、「金融と日常」という視点で一歩引いて考えてみる。
私たちの生活はすでに、かなりの部分が金融と結びついている。例えば、住宅ローンは人生最大の支出を金融商品として構造化したものだし、年金は将来の生活を金融市場の運用成果に委ねる仕組みだ。保険もまた、人生のリスクを金融的に処理する手段である。これらは「金融の問題」として意識されることは少ない。あまりに日常に溶け込んでいるために、生活の前提として受け入れられている。言い換えれば、私たちは知らず知らずのうちに、生活のかなりの部分を金融の論理に預けているとも言える。
他方、投資は少し異なるかもしれない。住宅ローンや年金が「必要に迫られて」金融と関わるものだとすれば、投資は「自発的に」金融市場に参加する仕組みだということだ。ただしNISAに限っていえば、その自発性にも留保がつく。そこには、税制優遇という設計を通じて投資を促し、国民の資産形成を金融市場に接続すること、国が「投資をする国民」を育てようとする政策的な意図がある。公的年金だけでは老後の生活を支えきれないという現実が、その政策を後押ししてもいる。つまりNISAは、純粋な個人の選択というよりも、制度によって方向づけられた選択という側面を持つ。
個人と金融市場の距離が近づく中で考えたいのは、「資産形成」と「投資家化」の違いである。
資産形成は個人の話である。老後に備える、生活を安定させる、将来の選択肢を広げる。これは個人の営みとして完結し得る。
しかし益々個人の投資(特に株式)が増えていけば、その個人の塊は「投資家化」する可能性があり、社会全体の話になる。多くの国民が株式市場に資産を置くようになれば、株価の動きは一部の専門家やトレーダーだけの関心事ではなくなる。日経平均が上がれば自分の資産も増え、下がれば不安になる。企業の業績発表や配当政策が、自分の生活に直結し始める。投資信託を通じて間接的にではあっても、個人は上場企業の株主としてのポジションを持つことになる。そして株主としてのポジションを持てば、自然と株主としての視点も内面化していく。
それが社会全体のトレンドになれば、どんなことが起きうるか。
この変化がもたらすのは、企業を見る目の変化かもしれない。「良い会社」の基準が、雇用を守っているか、地域に貢献しているか、という軸から、株価が上がっているか、資本効率は高いか、配当は十分か、という軸へと少しずつ移っていく可能性はないだろうか。自分自身が投資家として利益を得ている状況においては、株価を上げる経営が「正しい経営」に見えやすくなる。効率の悪い事業を抱え続ける企業よりも、不採算部門を整理して利益率を高める企業の方が「合理的」に映る。これは誰かに強制されるわけではなく、投資家としての利害を持った瞬間に、自然な心理としてそうなり得る。
無論、NISAで投資を始めることが悪いと言いたいのではない。私が気になるのは、無意識のうちに会社の評価を金融的な価値観だけで判断してしまうことである。「貯蓄から投資へ」という流れを、個人の賢い選択として見るのか、それとも社会全体が金融市場に組み込まれていく構造変化として見るのか。前者の視点に立てば、NISAは資産形成の有効なツールであり、活用しない手はない。後者の視点に立てば、私たちの社会の評価基準そのものが、静かに、しかし確実に変わりつつあるのではないかという問いが浮かぶ(少なくとも、私は企業活動を100%金融的な価値観だけで判断することには反対の立場をとります)。
私たちは今、資産を形成しているのか。それとも、投資家にならざるを得ない社会に移行しつつあるのか。昨今の株式投資の過熱っぷりをみる限り、後者の側面、つまり社会の中に金融の論理が静かに浸透し、企業や社会を評価する物差しまで変えていく現象については、あまり語られていないように思う。
次回以降、この変化が企業の評価や、私たちの社会が「何を良しとするか」にどのような影響を与え得るのかを、もう少し掘り下げて考えてみたい。
