1980〜1990年代頃、神戸番外編(お笑いブーム)
ゲラ
1980年代後半はお笑いの時代でもありました。人はバブルな景気に浮かれ、真剣に物事を考えることを放棄していました。
真剣であろうとすることは、世の中から浮くことでした。
ゲラはいつでも笑っている女の子でした。
和子というのが、ゲラの名前です。けれども、いつでもゲラゲラよく笑っていることから、みんなにゲラと呼ばれるようになりました。
今年の学芸会で、ゲラはある役に選ばれました。それは、いつも笑っている人の役で、「これはゲラの役だな」と担任の先生は言いました。
学芸会の稽古が始まりました。ゲラの出番が来ると、先生は、
「ほら、いつもみたいにもっとゲラゲラ笑って」と言いました。
でも、そう言われると、なかなかいつものように笑うことはできませんでした。いつも笑ってるのは、ほんとに可笑しくて笑っているからで、作り笑いをするということは、とても難しいのでした。
それでも、稽古は毎日続いていたので、ゲラは、出番が来たら、大口を開けてゲラゲラ笑うことが、少しずつできるようになってきました。先生や、友だちは、
「さすがゲラ、笑うのはお手のものだね」
と言いました。
けれども、ゲラは無理して笑うと、頬のあたりがひきつるような感じがして嫌だなと思っていました。家に帰って鏡を見て作り笑いをしてみました。すると、頬の周辺がピクピクと少しけいれんしているのがわかりました。可笑しくもないのに笑うということは、とても大変なんだなと思いました。
ゲラはそのことに気づいてから、大人たちの表情を見ていると、笑っている時に、頬のところが小さくけいれんしている人がとても多いのに驚きました。それは本当に微妙な動きなので、他の人にはわからないのですが、
ゲラは自分が経験したことで、他の人たちの小さな表情の変化も見分けることができるようになったのでした。
ゲラはそのことは誰にも言いませんでしたが、心の中で思いました。
「みんな、作り笑いをしているんだ」
ゲラの家には、隣の家のおばさんがよく遊びに来ます。お母さんと話してお茶を飲んで帰るのですが、とても仲が良いので、毎日のように来ています。
二人はおしゃべりをしているときによく笑っているのですが、その表情を見てみると、二人とも、頬には小さなけいれんが浮かんでいました。
また、ゲラの家には時々お父さんの会社の人があいさつに来ますが、その人たちも笑っているときには、小さなけいれんが浮かんでいました。
学校では、朝礼であいさつをする校長先生はいつもにこにこしていますが、よく見ると、やはりけいれんが浮かんでいるのでした。
他にも、テレビを見ているとお笑い番組では、出演している人たちはみんな大笑いしているのですが、その人たちの頬にも小さなけいれんが浮かんでいました。
ゲラはそのことに気づいてから、だんだんと前のように笑うことができなくなりました。
よく見ると誰も彼もが、無理して作り笑いをしていることに気づいたからです。
学芸会の稽古は続きました。お芝居の中では、ゲラの役はほとんど笑っている役です。なかでも、クライマックスのシーンでは、大口を開けて笑い、椅子から転げ落ちる場面があります。
先生は、その場面の稽古では、
「ゲラ、ほらもっと笑え! いつもみたいに大口を開けてゲラゲラ笑え!」と、厳しく言いました。
ゲラは稽古を終えて家に帰ると頬はひきつり、体中があちこち痛く、ぐったりと疲れきってしまうのでした。
学芸会の当日が来ました。先生は、芝居に出る皆の緊張をほぐそうと、
「いつもの稽古みたいに、リラックスしてやればいいんだぞ」と笑顔で言いました。けれども、そのほほはピクピクと動いていました。ゲラには、先生が一番緊張しているように見えました。
幕が開いて芝居が始まりました。芝居は、とても順調に進んでいきました。ゲラも自分の出演する場面では、上手に作り笑いをして、会場の笑いを誘いました。
クライマックスの場面が来ました。ゲラの出番です。ゲラは椅子に座ったまま、大声で笑い始めました。笑って笑って笑いすぎて、椅子から転げ落ちるつもりでした。
笑っている最中に、会場に座っている人たちの表情が目に入りました。担任の先生は笑いながらほほをひきつらせています。
また、最前列では、校長先生が笑顔を絶やさずに見ていました。でも、そのほほもひどくひきつっているのでした。ゲラは笑い続けていましたが、悲しくなってきて、目には涙が浮かんできました、そしてついにはその目から大粒の涙がこぼれてきました。でも、会場の人たちはその涙はゲラが可笑しくて笑いすぎて出た涙だと思い、皆大笑いしています。
ゲラは、泣きながら笑い続け、椅子から転げ落ちました。会場のお客さんは皆、大笑い、ヤンヤの大喝采で、芝居は大成功したようでした。
やがてバブルは崩壊しました。
政府の施策は失敗し不景気になり、多くの会社が倒産しました。人は前のようには笑わなくなり、今は、誰も少し難しい顔をして歩いています。
イノセントなバラエティー番組やドラマもあまりやってません。毎日淡々とニュースが読み上げられています。
誰も政治的な発言もしません。
ゲラもその芝居を最後に、あまり笑わなくなってしまいました、今ではゲラのことを誰もゲラとは呼びません。和子という名前から、カズと呼ばれています。
(あとがき)
ブームはくり返すと言いますが、20〜30年ごとにお笑いブームがきて、その後、暗い時代がやって来るようです。
でもバブルな頃より暗い時代の方が、私にはシックリきます。
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