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醜さを愛せよ:キャラクターの矛盾と創作の自由〜嵐が丘・銀河英雄伝説・リーガルハイを横断する「人間讃歌」的批評〜

我が思春期の黒歴史(留学体験)を晒した後は、『嵐が丘』と『銀英伝』と『リーガルハイ』を同じ土俵で語るというカオスに挑みます笑

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結局のところ、「文化を論じること」と「キャラクターを論じること」は地続き。人物が抱える矛盾、物語世界の構造、それらをどう描き、どう受け止めるか。

創作とは文化の実験室であり、また醜さとは人の魅力なのだ。


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#0. はじめに:矛盾を許さない社会は、創作と人間性を滅ぼす

人間は欠点と矛盾に満ちた存在である。
善と悪、理想と現実、愛と憎しみ、論理と感情。その相克に苦しむからこそ、人は人であり、その営みが物語となる。
創作物の魅力は、キャラクターの長所ではなく、欠点や矛盾、醜さの中にこそ宿る。

だが現代には、キャラクターに「聖人君子」であることを求め、矛盾や醜さや欲望の描写を「不快」として排除しようとする声もある。
その行き着く先は、道徳の教科書の中の話どころか、矛盾も葛藤もない、無味乾燥な「プロールフィード(Prolefeed)」的創作物に他ならない。

※プロールフィード(Prolefeed)
ジョージ・オーウェルの全体主義を描いた小説『1984年』に登場する、政党がプロール(下層労働階級)に提供する無害な娯楽のこと。党がプロールの注意を逸らし、思考を停止するための手段として利用される。

ここで改めて、以下を論じる必要性があると私は感じている。「人間の矛盾や醜さを愛し、描くこと」。その価値を『嵐が丘』『銀河英雄伝説』『リーガルハイ』といった時代ごとの傑作群を通して記していきたい。

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各作品の概要

●嵐が丘
(1847年 著:エミリー・ブロンテ)
ヨークシャーの荒野を舞台に、主人公ヒースクリフと、その幼馴染である貴族の娘キャサリンを中心とした愛憎劇を通じ、人間の業と矛盾を暴き出す。英国文学屈指の悲劇。

●銀河英雄伝説
(1982年〜 著:田中芳樹)
銀河帝国と自由惑星同盟による宇宙艦隊戦争を背景に、「最良の独裁」を体現する天才ラインハルトと「最悪の民主主義」の守護者ヤンが織りなす群像劇。善悪を超えた政治・戦争・人間の矛盾を描くスペースオペラ。

●リーガルハイ
(2012年〜 脚本:古沢良太)
詭弁とマシンガントークで連戦連勝の偏屈弁護士・古美門研介(演:堺雅人)と「朝ドラ」と称される理想主義の新人弁護士・黛真知子(演:新垣結衣)を対比させての法廷バトルを軸に、人間の醜さと矛盾、そして法と正義のあり方を描いた傑作ドラマ。

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#1. ヒースクリフ・ヤン・ラインハルト・古美門 ―― 矛盾が生む魅力の比較

●ヒースクリフ(嵐が丘)

「俺をいっそ狂わせてくれ!おまえの姿の見えないこんなどん底にだけは残していかないでくれ!畜生、どう言えばいいんだ!自分の命なしには生きていけない!自分の魂なしに生きていけるわけがないんだ!」
※彼自身の手で追い詰めたキャサリンの死を悼む、二律背反の叫び

・元孤児。自らを虐げた嵐が丘の住人と、相思相愛でありながら「裏切者」のキャサリンへの復讐のため、一見すると立派な紳士の風体で帰還、毒牙を向ける。
・キャサリンを「自分の魂」と呼び、愛と憎しみに引き裂かれる(一方のキャサリンも「私はヒースクリフ」と、彼を半身として特別視する)。
・愛のために破滅と復讐を選び、人間関係を徹底的に破壊。次世代にまで影響を及ぼす。
・人間の愛憎や業の矛盾をそのまま体現。狂気と悲劇の象徴となる。

●ヤン・ウェンリー(銀河英雄伝説)

「……私は最悪の民主政治でも最良の専制政治にまさると思っている」
※部下から軍事クーデターを冗談交じりに扇動された際に絞り出した台詞

・腐敗した民主主義でも信じ、守るがゆえに絶望と幻滅の間で苦しむ軍人。
・卓越した戦略眼と戦術を駆使する「不敗の魔術師」でありながら、戦争嫌いで平和主義。ついでに運動音痴で酒飲みで怠け者。
・民主主義国家の根幹である「シビリアンコントロール」という制度自体に自縄自縛。
・個人の思索における「徹底した矛盾」が魅力であり、深い共感を呼ぶ存在。

●ラインハルト・フォン・ローエングラム(同上)

「平和というのはな、無能が最大の悪徳とされないような幸福な時代を指して言うのだ」
※闘うことでしか己の存在意義を見出せない彼が、唯一の親友に対して吐き出した言葉

・自身の復讐対象である帝国の独裁者として君臨するが、彼の治世は民衆の幸福を極限まで追求したもの。
・個人の野望と公の理想を重ね持ち、その矛盾を意識しながらも走り続けた「常勝の天才」。
・卓絶した美青年でありながら、女性に対しては異様なまでに無関心、もしくは初心で潔癖。
・民主主義の政治的矛盾そのものを指摘する立場であり、だからこそ英雄であり孤独であった王。

●古美門研介(リーガルハイ)

「正義は特撮ヒーローものと少年ジャンプの中にしかないものと思え。自らの依頼人の利益のためだけに全力を尽くして戦う。我々弁護士にできるのはそれだけであり、それ以上のことをするべきではない。分かったか朝ドラ!」
※非現実的な理想論に固執する弁護士の黛を論破したマシンガントーク

・利己的、拝金主義、毒舌、傲慢、好色で時にヘタレな凄腕弁護士。
・弱者を嘲笑しながら、本質的な弱者救済や理不尽には法と論理で挑み、連戦連勝。
・人間の善性を信じず、性悪説をベースにし、誰よりも本人が俗悪。だからこそ法廷で人間の本音や社会の矛盾を炙り出し、視聴者にカタルシスを与えまくる。
・個人レベルでの矛盾の究極的な塊であり、その論理的詭弁すら魅力に転化する存在。

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#2. 矛盾とは人間讃歌にして文化遺産である

ヒースクリフ、ヤン、ラインハルト、古美門。彼らはその矛盾により、物語に命を与え、名作および名キャラとして今日まで語り継がれている。
もし矛盾や醜さを許さない社会であれば、彼らは生まれず、物語は魂を失っただろう。

「みんながwin-winのユートピア」を標榜した羽生(リーガルハイのキャラ。演:岡田将生)や、現代の「不快表現撲滅」を唱える一派が支配した世界では、これらの創作物はプロールフィード以下の退屈な作品になったはずだ。

矛盾や醜さ、弱さこそが、キャラクターを生きた存在にし、物語を文化にする。
それを描く自由は、私たちの表現の根源的権利であり、大袈裟に言わずとも「未来への遺産」だ。

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#3. 表現規制の歴史的・現代的事例

何らかの正義を名目に創作物の多様性を奪う「表現規制」の事例は枚挙に暇がない。

戦前日本の治安維持法は、国家体制への批判や社会主義・自由主義思想を弾圧し、文学や芸術すら「危険思想」と見なした。

冷戦期アメリカのマッカーシズムは、映画や小説、劇作において「反米」とされた表現を徹底排除し、ブラックリストを作り上げた。

さらに現代でも、一部のSNSやプラットフォームが「安全」や「人権」を口実に、文脈を無視した表現削除や規制を行う事例が相次いでいる。

例えば日本では、児童ポルノ法改正における創作物への適用論争(漫画・アニメ・ゲーム規制論)や東京都青少年健全育成条例改定の波紋(※)など、表現規制の動きは繰り返されてきた。

※余談だが、知り合いの教師が「あれのせいで今まで生徒に教えてきた性教育が全否定された」と嘆いていたのが、個人的に凄く印象に残っている。かつて日本で起こった「戦前戦後の教育の手のひら返し」と、本質的には何も変わっていないのかも知れない。

これらは「子どもを守る」という大義の裏で、創作物にまで過剰な制限を課そうとする「集団的二重思考(※)」の一形態とも言える。

※二重思考(ダブルシンク/doublethink)
矛盾するふたつの考えを同時に、しかも矛盾に気付かずに信じ込む能力のこと。こちらもオーウェルの小説『1984年』に登場する概念で、全体主義的社会が人々に強制する、矛盾を矛盾とせずに忘却を繰り返す思考法を指す。人の矛盾を否定し、許容していない状態とも呼べる。

海外に目を向ければ、近年の欧米で広がるポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)を名目とした創作物への圧力が事例として挙げられる。
無論、多様性や包摂性の追求は重要である。しかし一方で、「キャラクターが特定属性を持たねばならない」「物語のテーマが社会的正義に従わねばならない」といった強制的価値観が、作家の自由を縛り、作品を均質化し、物語から矛盾や葛藤の自由な描写を奪いつつある(※)。

※社会的な「〜ねばならない」が連続する創作は、その時点で作家の創作性を喪失している、というのが筆者の持論である。

欧米の大手配信サービスが 「倫理基準」に基づくコンテンツ削除を進める中で、クラシック映画や旧作アニメ、過去の小説映像化作品を「時代にそぐわない」と排除対象としたケースも少なくない(『風と共に去りぬ』など)。

もちろん、年齢や視聴者の成熟度に応じたゾーニングは必要だが、これらの規制活動はいずれも年齢区分すら考慮しない、「人間の善性を信じない中で行われる文化的ジェノサイド」であり、「自由の名のもとの不自由」という集団的二重思考に支えられた、私たちの創作を楽しむ権利への脅威でもある。

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#4. 結論:矛盾や醜さを描く自由は保護されるべき、貴重な人間遺産

キャラクターの矛盾、醜さ、弱さ、葛藤。そこにこそ人間の魅力は宿る。
それを「不快」の短絡的な主観で排除する社会は、創作物と文化の命、ひいては人間の思索の自由すら奪う。

私たちは、矛盾を描く自由、矛盾を受け入れる自由を守り続けなければならない。
そして問う。あなたは矛盾を許さない社会に加担していないだろうか。
創作と表現と言論の自由を、自らの手で手放していないだろうか。

歴史的な悲劇を教訓として勝ち得てきた「矛盾を許容する創作性」こそ、私たちが守り抜くべき「見えない世界遺産」であると、筆者は強く主張したい。

〈了〉

※筆者は思想や立場を断定するのではなく「どう見えるか」を観察・考察する派です。
本稿も「ひとつの見え方にすぎない」と思って読んでいただければ幸いです。

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●本日朝に洋楽和訳記事を投稿しました。
今回はDave Matthews Band《Crash Into Me》を「私なりの翻訳論」を交えながら語っています

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我が思春期の黒歴史こと留学体験記も公開中(本編は前・中・後編で完結)。
覚悟を決め、筆者の甘酸っぱい?自分史を素っ裸で描いてます。

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中島 板|ポップカルチャー × 言語 × 留学体験記 ネタは豊富にございます、よろしくお願いいたします。