語尾や笑い声すら「キャラ化・コスプレ化」する日本:〈かわいい〉を量産する言語装置の正体とは【かわいい論⑦】
【「かわいい」論シリーズ↓】
#0. 「〜だニャ」は、冷静に考えるとかなり言語的に特異
一応、日本語と英語の両話者である私。
比較対象が頭の中にあるがゆえに、日本語の特異性も見えやすい立ち位置にいるのだが、その異常のひとつに「語尾」がある。
語尾を変化させることで、単なるニュアンスの変化だけではない「キャラ化」まで施す言語って、世界にどれくらいあるんだろうか。
日本語には(ざっと適当に思いつくだけでも)以下のような実例がある。
●おいしいニャ!
(猫の擬人化 or ぶりっ子)
●よろしくってよ
(誇張されたお嬢様像)
●〜だっちゃ
(『うる星やつら』のラム)
●〜だってばよ
(『NARUTO』のナルト)
●〜ぺこ
(VTuberの兎田ぺこら)
●やめるフォイ!
(『ハリー・ポッター』のドラコ・マルフォイ ※日本の二次創作・ネットミーム限定)
冷静に考えると凄まじい機能だ。
なぜなら、これらは単なる「口調変化」ではないから。人格そのものが変わっている。
「ありがとう」
「ありがとうですわ」
「ありがとニャ」
意味は同じなのに、話している「存在」自体が異なることが、主語なしでも透けて見えてしまう。
日本語は、語尾を変えるだけで「存在の種類」が変わるのである。
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#1. 他言語にも「キャラっぽさ」はなくもないが、日本語は少し事情が違う
日本語と英語以外にはあまり詳しくないので軽く調べてみたが、もちろん、他言語にも「語尾や話し方によるニュアンス差」は存在する。
手近なところで英語なら、dude・bro・man・darling・sirなどの「呼格」を語尾や文中に付けることで、カジュアルさや上品さを表現できる。
だが、これらはあくまで文法の中で独立した部位であって、単語の語尾変化は伴わない。
韓国語や中国語も、語尾によって丁寧さ・距離感・感情・性別を変化させる機能が強い。
ただ、そこにあるのは主に「態度」や「縦横の関係性」の調整である。
日本語はそのどれとも違う。
「〜ですわ」は、単なる上品さではない。
“お嬢様という人格そのものを召喚”している。
「〜でござる」は武士。
「〜なのじゃ」は博士。
「〜ぺこ」に至ってはもはや個人IP。
日本語では、語尾が単なる言語表現ではなく、「人格インストール装置」として機能している。
ここが他の言語とは決定的に異なる。
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#2. 語尾は「キャラの服」である
この機能、例えるならコスプレに近い。
コスプレは服を替えるだけでなく、口調まで真似ることでキャラの人格を疑似インストールする。
日本語は語尾を変えることで、人格まで着替えられる。なんてコスプレに向いた言語なんだ。
むしろ、この機能が言語に標準装備されているからコスプレ文化が花咲いたのではと思えるほど。
しかも面白いのが、それが現実と一致している必要すらないことだ。「お嬢様言葉」を使う人間が実際にお嬢様である必要はない。むしろ現代日本では、ほぼ「記号」として機能している。
●猫 → ニャ
●武士 → ござる
●ちびまる子ちゃんの丸尾くん → でしょう!
というように、「人格テンプレート」が音として保存されているのである。日本語は「人格を音声記号のテンプレとして圧縮する」言語なのだ。
つまり、状況に応じた「かわいい」のインストールだって(老若男女を問わず)容易な言語、ということになる。
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#3. ラムちゃんからVTuberへ:語尾キャラの進化史
この文化、時を経ての進化傾向がかなり見える。
例えば『うる星やつら』のラム。
語尾は「〜だっちゃ」。
あれは元々(たぶん)東北方言ベースの変形である。つまり、「地域性」がキャラへ変換されている段階。ラムの記号として定着してはいるが、完全オリジナルでもない。
次に『NARUTO』の「〜だってばよ」。
現実には存在しない。完全にキャラ専用語尾。
そして現代。
VTuber 兎田ぺこらの「〜ぺこ」。
ここまで来ると、もはや語尾は人格を超えてブランドになっている。
語尾を付与した瞬間、その発言は「兎田ぺこら」というIPの商品へ変換される。
これはかなり資本主義的な現象だ。
日本語の語尾は、
方言 → キャラ化 → 個人ブランド化
という進化を辿っているのである。語尾が商売のタネになる……凄い発明だと思いませんか?
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#4. 外来種すら語尾で侵食する日本語
日本語の恐ろしさ?はそこでは終わらない。
日本語は、外来作品のキャラクターすら語尾で再構築してしまう。
その代表例が、ネットミーム化した『ハリー・ポッター』のドラコ・マルフォイである(※このシリーズで何回も取り上げている気がするが、私はどれだけマルフォイが好きなのだろう)。
原作の彼は、冷笑的で排他的な上流階級の象徴であり、いわゆる「嫌な奴」として描かれる。彼を演じた俳優は現実で石を投げられた。
しかし日本のネット空間で、彼はこう変貌する。
「やめるフォイ」
「それはまずいフォイ」
「違うフォイ」
―― 語尾を付与された瞬間、彼は脅威ではなくなる。むしろ「かわいい」存在として、どこか愛嬌すら醸し出すようになる。
つまり日本語は、「怖い」「嫌な奴」「異物」といった存在を、語尾によって「受容可能なキャラ」へ翻訳してしまうのだ。
これは、かわいい論③で扱った「不気味の吸収」とも完全に繋がっている。
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#5. 日本語は、笑い声すらキャラ化する
そして日本語の人格操作の異常性は、ついに「笑い声」にまで到達する。
デュフフ。
フヒヒ。
むほほ。
おほほ。
これらは、もはや笑いではない。人格だ。
「デュフフ」にはオタク・陰キャ・下心・早口感が含まれ、「むほほ」には中年男性的いやらしさの像が脳内に刻み込まれる。「おほほ」だとテンプレお嬢様やマダムがインストールされる。
英語の “haha” や “hehe” にも多少ニュアンス差はある。しかしここまで人格を背負ってはいない。
英語では “haha” はただの笑いだが、日本語の「デュフフ」は人格なのだ。
日本語は、ついに「笑う」という行為すら「キャラ設計の一部」へと成した。
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#6. 「人格切り替え装置」としての日本語を使いこなす代表例・VTuber
この辺り、現代で最も高度に運用しているのがVTuber文化だと思う。
ホロライブ所属のラプラス・ダークネス。彼女は普段「生意気クソガキキャラ」だが、ふとした時にキモオタムーブが顔を出す時がある。
先ほどの例で出した「デュフフ」を始め、変幻自在・抱腹絶倒の人格使用。
あまりにイキイキしている。
おそらく半分ぐらい素である。
だが重要なのは「素か演技か」ではない。
彼女は
●デュフフ的笑い
●早口
●キモオタ的テンション
を使うことによって、「内なるオタク人格」へ瞬時にアクセスしている。
日本語では、人格は「話し方」ではなく「音」で切り替わる。そしてその変貌も「かわいい」の重要なスパイスとして、我々は認識している。
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#7. 敬語ですらキャラになる
ちなみに、これを読んでいて「いや、そんなのフィクション・二次元だけだろ」と思った人。
安心してほしい。
我々も普通にやっている。
おどけたい時。自虐ネタを使う時。(冗談で)喧嘩腰になる時。SNSを使い分ける時。
我々は語尾や笑い声で「異なる人格」をインストールし、それを表現する。
例えば私も、酒の席でウンチクを語る時、あえて「ひろゆき調の敬語」を使うことがたまにある。そのまま語ると「ガチのウンチク」感が出て、空気がダルくなるからだ。あくまで「たまに」。
ひろゆきというテンプレを用いることで、「これはジョークです、真剣に聞かなくても大丈夫ですよ」という文脈を空気に拡散させるのだ。
内容は同じなのに「いや、それって〜じゃないですかぁ」 「確か経済産業省のデータだと思うんですけど、〜なんですよね」みたいな口調を挟むと、ただのウンチクがコメディへ変換される。
※ちなみに、本当にいちいち経済産業省のデータを参照などはしない。
要するに日本語では、敬語ですら「丁寧さ」ではなく、「人格」として機能する。
これはモノマネではない。
再三述べるが、人格のコスプレである。
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#8. 日本語は「ズレ」をキャラとして処理する
ここまで語ると、かなり見えてくる。
日本語という言語は、ズレ・怖さ・気持ち悪さを「キャラ」として処理する能力が異常に高い。
●猫 → ニャン
●オタク → デュフフ
●嫌な奴 → フォイ
●権威 → ひろゆき
日本語では「ズレ」は排除される前に、まずキャラへ変換される。
そして「かわいさ」として昇華される。
だからこの国では、教室内のヒエラルキーも「キャラ」で左右され(陽キャ・陰キャ・インテリキャラ・ヤンキーキャラ・いじられキャラなど)、擬人化され、マスコットが生まれ、アニメキャラは語尾で特徴付けされ、VTuberが成立する。
「かわいい」とは、単なる感情ではない。
異質なものを人格化して受け入れるための、日本語特有のインターフェースなのだ。
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#9. 結論:日本語は「人格を演じる言語」である
●他言語: 語尾=態度・関係性
●日本語: 語尾=人格・キャラ
この違いはかなり大きい。
英語は「文」で人を語る。
日本語は「語尾」で人を作る。そして、ついに笑い声すら人格になる。
まとめると。
日本語とは「何を言うか」の前に、「どんなキャラとして喋るか」を先に考慮する言語。または「かわいい」を演出する仕様に特化した言語。
あなたは、普段どんな「キャラ・人格」を、語尾や笑い声でインストールしていますか?
※次回の記事では、この「キャラOS」が国際社会・人種問題でどう衝突するかを扱います。
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