『エルデンリング』と現実の神話構造から、ラディカルフェミニズムの危うさを考える:性的倒錯と「神々」の在り方、そして現代の全体主義的色彩
はじめに:フェミニズムと性の多様性
現代社会における性的多様性や性の自由の問題を論じる際、しばしば「フェミニズム」の名を借りた極端な思想、いわゆるラディカルフェミニズム的な運動が話題となる(ツイフェミなど)。
表向きは女性の権利保護を掲げる彼ら彼女らだが、その実態は性的表現の抑圧や多様性否定、さらには「感情的同調圧力」といった全体主義的危険性を内包している。
筆者は「本来の男女平等文脈」でのフェミニズム思想を全面的に肯定する。歴史上、女性が男性に比べ社会的抑圧を受けてきたことは事実であり、彼女たちの思想や多様性もまた認められるべきという考えである。しかし、一部ツイフェミ(≒ラディカルな男性嫌悪思想)の運動には、多くの危うい問題があるとも考えている。
ここでは人気ゲーム『エルデンリング』や実際の宗教で語られる神々の「性欲」を引用しつつ、現代の「性欲管理文脈の危険性」を紐解いていく。
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#1. 『エルデンリング』に描かれる神々の欲望
『エルデンリング』はフロム・ソフトウェアが手がけた、全世界で3000万本以上(2025年時点)を売り上げているアクションRPG。
「黄金律」という命の円環システムが崩壊した美しくも陰鬱、時にグロテスクなファンタジー世界にて、神々の秩序の是非と権力闘争、それに足掻き殉じる人々・亜人たちを巡る群像劇を描く。
魅力的な登場人物、主人公=プレイヤーの育成方針の無限の可能性、多彩なロケーションに配置された高難度ギミック、エネミー撃破の歯ごたえが、世界中のゲーマーを魅了してやまない。
さて、なぜ私がここで『エルデンリング』を取り上げるのか。それは、同ゲームの神話体系があまりに示唆的だからだ。
ここに登場する神々は一見荘厳で絶対的存在のよう(一神教的)でありながら、内実は欲望と倒錯にまみれた不完全な存在(多神教的)だ。そしてその「完全を装った不完全」こそが、作品舞台の崩壊を招いていく。
以下、特に示唆的な神々の構造を抜粋する。
モーグ、マレニア、マリカの倒錯
●モーグ:神であり忌み子。異父兄弟であるミケラに魅了され、交わろうとする(ミケラは美しい少年の姿で両性具有を思わせる存在)
●マレニア:不敗と腐敗の戦女神。兄であるミケラに対し、兄妹愛の域を超えた「依存と崇拝」を抱く暗示がある
●マリカ:最高神的存在(女神)。「完全な律」を標榜しながら、自らの半身(同一体)であるラダゴンと交わり、子(マレニアやミケラを含む)を成す。雌雄同体的存在の自己交配を思わせる、神話的には「完全性が自己循環に陥った末の歪み」とも読める構造
上記の例に共通しているのは、いずれも「本来は秩序のシンボルであるべきそのものが、内側から倒錯していく」構造だ。
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#2. 多神教神話の神々と性
多神教世界では、神々は人間の精神構造に近く、しばしば欲望に忠実な存在として描写される。
●ゼウス(ギリシャ神話):最高神。無数の女性(人間・女神問わず)を誘惑・強姦し、動物に姿を変えることもあった。
その放縦ぶりはギリシャ社会における「男の欲望正当化」の文化的下地とも指摘される。
※もし彼が現代社会にいたとしたら、コンプライアンス違反と性犯罪のバーゲンセールである。
●イザナギ・イザナミ(日本神話):兄妹であり夫婦であり、日本列島や神々を産んだとされる。
性と生殖は神聖かつ尊ぶべきものとして語られ、古代日本における性意識の基盤を成した。
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#3. 一神教の性抑圧構造
一方、一神教では性欲は通常「穢れ」とされ、徹底的な管理・抑圧の対象となった。
●カトリック(キリスト教の一派):純潔が強く求められ、性的表現や快楽は罪とされることが多い。インキュバスやサキュバス(淫魔)の存在は、「性欲は悪魔の仕業であり忌避すべきもの」という価値観を民衆に刷り込んだ。
●イスラム教:女性の権利(特に性的な)が大幅に制限。特に原理主義が強い地域では、一片の肌も見せないことが絶対とされる。
また、善き人生の後に導かれる天国の報酬として「フーリー(美しい処女たち)」が男性信徒に与えられると説かれ、性欲を来世に先送りすることで現世の禁欲を徹底させる役割を果たした。
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#4. ラディカルフェミニズム思想の危うさ
ラディカルフェミニズム(≒ツイフェミ)の思想は、表向きは女性保護・平等を掲げながら、その実「男性の性欲=悪」「性的多様性=抑圧対象」と見なすものだ。「短絡的かつ感情的」と断じられても無理のない構造を宿している。
その根底は一神教的な「性の穢れ」論に近いが、皮肉にも女性自身の性の自由や多様性を否定し、抑圧する構造を生む。
かつてのフェミニズムとは、例えばイスラム教的な「肌を見せない習慣」に反発した「女性も自分が着たい服を着る権利があるはず、露出度の高い服を好む女性がいるのも自己表現の一環であり、多様性だ」といった文脈であったが、現在のツイフェミの言動はその真逆を突き進んでいる。
さらに問題なのが、彼/彼女らツイフェミの主張が「イスラム原理主義的抑圧」や「家父長制」と親和性が非常に高く、結果的に女性の権利を弾圧する可能性がある構図に「気付いていない」、もしくは「見て見ぬふりをしている」ことにある。
※個人的な話で恐縮だが、筆者の女友達が「あいつら(ツイフェミ)が勝手に女の代表面してるのは何様かと思う」と愚痴っていたのは強調して記しておく。
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#5. 『エルデンリング』の倒錯を抱えた神々が現代を照らす
性欲は、性交により子孫を残し、種を繁栄する多細胞生物の本能であり、男女に等しく存在する。そのあり方や嗜好の多様性は否定されるべきものではない(例えばSM的嗜好や、「セックスの際はちょっとイジメる/イジメられるぐらいが良い」といった好みも含めて。もちろんゼウスのような行動は論外であるが)。
性倒錯の多様性の否定は、個人の内面の自由を奪い、「全員同じ色に染まれ」という全体主義的抑圧の入口となる(※)。
※一部のラディカルフェミニズム的言説が、「思想の純化」「逸脱の排除」「内面の管理」といった全体主義的イデオロギーと親和性を持ちやすい構造を帯びている点は、政治思想史的にも無視できない。
神話的に「完全性を装う存在」は、常に内側に倒錯を抱えている。
「完全な存在」であるはずの『エルデンリング』の神々が欲望と倒錯を抱え、その完全が崩壊していく様は、我々が現代の「偽善的全体主義」に気付くための寓話と見ることもできる。まるで「主観的な性的完全」を求める、一部のラディカルな言説のロジックが破綻しているように。
メーカーが意図していたかどうかは不明ではあるが、ゲームというメディアを触媒に「不完全な神々と、それに抗う人々の物語」を描くことで、現代の抑圧的風潮・思想戦争を警鐘的に揶揄していると考えてしまうのは穿った見方だろうか。それとも、我々自身の社会がすでに「倒錯した神々の時代」に入っている証左なのだろうか(※)。
※余談だが、『エルデンリング』では崩壊した神の治世をどう変えていくかの方向性を、エンディングにてプレイヤー自身が「選択」できる。ここにも「個人の思想選択の自由」のメタファーが息づいていると感じる。
LGBTQ周辺の課題も含め「性的内心の自由」を認めることは、「全体主義的な管理社会」を食い止める防波堤として機能すると私は信じる。
そしてSNSに跋扈するラディカルなアカウント達が、「自分の主張は、自分自身の自由をも殺しにかかっている」と気付くのを願うばかりである。
※なお筆者は思想を糾弾、または弾圧する立場にはありません。本稿は客観的な立ち位置から、文化的な「見え方」を提示、考察を促すことを目的としたものであることに留意ください。
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