篠澤広が灼き付いた夏 ― サンフェーデッド
2025年の夏は、篠澤広の夏になった。
7月17日に篠澤広のSTEP3と新曲『サンフェーデッド』が実装されてからというもの、僕の心は篠澤広にじりじりと灼かれ続けている。
ここでは『サンフェーデッド』の曲、MV、ライブについての所感を書き残しておく。
実装まで
7月に篠澤広のSTEP3が実装されると発表された。
最初は驚いたが、石には余裕あり……となると俄然気になるのは、なんと言っても曲である。
学園アイドルマスターはポップス系ロックの月村手毬、ミュージカル調の千奈嬢、トランス/ハウス/ラウンジ系の麻央ちゃん先輩などアイドルものとしては音楽的一貫性を感じさせるキャラクターが多い。
一方で篠澤広についてはジャンルをこれと定義しづらく、何が飛び出すか分からないところがある(強いて言うならDTM文化に隣接したコンテンポラリーミュージックだが、これでは何も言っていないのと同じである)。
ただSTEP3実装の告知でチラ見せされた衣装は『光景』と似たドレス系だったので、なんとなく『光景』のような神秘的な方向性なのかなという予想はできた。
そして情報解禁日に先んじて公開された「作詞作曲編曲:長谷川白紙」の情報。
この時点で僕は氏の音楽を『光景』しか知らなかったので、現代的で自由な曲構成にクラシックな楽器を取り合わせる人なのだと思っていた。
だが実際に解禁されたライブのチラ見せ映像で、その予想は裏切られた。
//#篠澤広_学マスSTEP3
— 学園アイドルマスター【公式】 (@gkmas_official) July 15, 2025
『学マス』最新情報🎉
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篠澤 広の楽曲
『サンフェーデッド』をご紹介✨
💿サンフェーデッド
作詞・作曲・編曲:長谷川白紙 pic.twitter.com/DA0ztdXqqh
ロックである。
音量バランス・音質が落とされていてはっきりとは分からなかったが、バリバリのギターロックである。
何が飛び出すか分からないと言ったが、ロックは流石に予想外すぎる。
青い光に包まれたステージで、ギターの音を突き抜けるように篠澤広が透明な歌声を響かせながら『光景』のような軽やかなダンスを見せる。その旋律はどこか神秘的で爽やかだ。
僕は年代的には2000年代のロックバンド・オルタナティブロックの時代の直撃世代であり、詳しいわけでは全くないが、流石にその影響はある程度受けている。
篠澤広の新曲という時点で引かない選択肢は無かったが、これは何か僕の想像を超えた凄いことが起こるのではという予感を抱えてその日を待った。
MV初見
当然のごとく実装直後に引き、ゲーム内ライブまで見て「これはヤバい」と確信した。
その初見感想は別記事に譲り、ここではMVの初見感想を記載しておく。
『サンフェーデッド』 MV
初見ライブでは演出に気が行って曲を聴き込めなかったのでよく聴いちゃうぞ〜♪
!?
えっ、篠澤広かっこよすぎ!?
あ、イントロカットされてたんすね〜いやイントロかっこよすぎ!?
歌……ライブと違って普段着の篠澤広が、夏空の下で歌っている……
爆音が轟いているのに篠澤広の声がまっすぐ心臓に突き刺さってくる。
間奏のジャケ写連打かっこよすぎ!?!?
ていうかこれ本当に「MV」じゃん!
今までのはあくまでもリリックビデオの体だったのにいきなりガチのアーティストのMV出してくるじゃん。
ああ〜Long版のギターソロ〜〜〜映像もヤバい〜〜〜
ア゛ッッッ!!(衣装)
ッスーーーーー………………
『女神』……なんすね……
……かっこよすぎだろ!?
なんだこれは(なんなんだこれは)!!
えー……ええーーー……(困惑)
てかライブは歌部分全部入りだったね……
いやこれは歌カットできないわ……
これが……令和のロックか……
曲、MV、ライブの鑑賞
ライブとMVの衝撃をモロに受け、STEP3を進めながら毎日MVとライブを5回は見る日々が続いた。
それを経た現在、改めて『サンフェーデッド』の曲、MV、ライブに対する感想を残しておく。
なお僕はロック及び音楽については全くの素人なので的外れなところもあると思うが、個人の感想ということでご容赦いただきたい。
灼熱の夏、静寂の夏
『サンフェーデッド』Full版でまず驚かされるのはイントロである。
2つのコードのリフだけでこんなにも真夏を感じさせられるものなのか、と思う。
しかもサマーマ!な夏ではなく、アスファルトが溶けるほど日が照りつける、逃げ場のない、灼熱の夏である。
そして爆音歪みギターと暴れドラムの騒々しい曲のはずなのに、「夏の静寂」がある。
周囲では蝉の声や波の音がうるさいのに、そこには自分しかいない……そういう種類の孤独な静寂だ。
この静寂をもたらしているのは4小節ごとの末尾の1拍、「み」「て」「る」「ほらね」やギターソロ後といった要所で挟まれる空白だろう。あるいは轟音ロックと篠澤広の静かな声の対比もそうかもしれない。
ギターロックというのはここまで出来る音楽なのだということを久々に思い出した気分だ。
歌詞の面から見ると、明確に夏っぽいことを言っているのは冒頭の「日焼け止め塗らないままでいた」の一節だけである。
それと『サンフェーデッド』というタイトルにより、続くフレーズ(大きな声、光が指輪みたいに、明るい道など)が全て夏を表す言葉として立ち上がってくる。
そして篠澤広の言葉は陽炎の中で幻聴のように響きはじめるのだ。
抽象性が導く実在性と神性
これまでの学園アイドルマスターのソロ曲は、現代的な音楽性を持ちつつも歌詞は明確に各アイドルの心情や個性を歌ったものであった。
そういう意味ではキャラソンであり、あくまで「学園アイドルマスターの曲」であった。
一方で、『サンフェーデッド』の歌詞は極めて抽象的である。
もちろんよく聞けば『光景』との連続性があったりして篠澤広の曲ではあるのだが、一見して「キャラクターが歌っている」ものだとは思えない。
それゆえに『サンフェーデッド』には、実在するロックバンド(Vo.篠澤広)がこの夏に現実に発表した新曲のような実在性がある。
一方、篠澤広の曲として見るとこの抽象性は「篠澤広の神格を上げる」というストーリーとよくマッチしている。
とかく、神の言葉というのは抽象的なものなのだ。
神はよく分からない形に亀の甲羅を割ってみたり、シャーマンを神懸からせてよく分からないことを口走らせたりする。
そして民は、抽象的な神の言葉を勝手に解釈して意味を持たせるものである。
つまり『サンフェーデッド』の歌詞は女神・篠澤広が聴衆に対して宣る神の言葉なのだ。
平成か令和か
『サンフェーデッド』に対して、「平成を感じる」というコメントをよく見かける。
対して僕は『サンフェーデッド』は令和のロックであると思っている。
これについて少し分析しておきたい。
まず、『サンフェーデッド』の平成要素とは何か。
それはオルタナティブロックであること……というだけでは厳密には足りず、正確には「Vo、Gt、Ba、Drのみの純粋なバンドサウンドによるオルタナティブロックであること」にある、と僕は思う。
20年前と比べて、日頃意識的に音楽に触れられていない僕のような人間はそもそもオルタナティブロックを耳にする機会が減った。
そしてアイドルの歌うロックや、メジャーデビューしてしばらく経ったロックバンドの曲には大体ストリングスとかホーンとかキーボードとかその辺の音が入ってくるものである。
それを悪いというつもりはない。その路線を突き詰めて一つの域に達したのが『Luna say maybe』であり、あるいは今最先端を行くロックとエレクトロニカを融合させたような音楽たちなのだろう。
だが、だからこそ、純粋なるギターロックにしてオルタナティブロックである『サンフェーデッド』は今、この時代に刺さるのだ。
一方で、僕が何故『サンフェーデッド』を令和のロックだと感じるのか。
音楽知識がないので曖昧にならざるを得ないのだが、これは展開の自由さと歌詞の透明さにあると感じている。
安定したイントロ〜Aメロ、間奏、ギターソロ、サビ、アウトロに対して、Bメロ(僕らは(いつ出会うだろう)〜)、Cメロ(游ぶ指先や〜)の展開は予測が付かず、不安定で、ねじれ続け、落ち着かない。
その不安定さはギターソロ開けのねじれたまま宙に浮いたような展開で最高潮に達する。
不安定だが、自由。
ここが最も平成のロックから隔絶していると感じる点である。
一方でサビからアウトロまでは非常に安心感のある展開であり、聴き終えたあとの耳触りは爽やかだ。
そして歌詞。
狭い知識による偏見だが、平成のオルタナティブロックの歌詞は「閉塞した現状の打破」、「枠組みへの反抗」といったある種の攻撃性、あるいは「何者でも無い自分でも未来へ進むという決意」、「多くの人がふとした瞬間に共感できそうな恋愛」といった若者に寄り添うような歌詞が多かったように思う。
一方で、『サンフェーデッド』の歌詞は透明である。
抽象的な歌詞の多くは現在形で終止されており、現在、または未来に「何かが起こる」という予感だけを感じさせる。
ラストのサビの「僕は〜」と宣言するところも、主体的な決意を述べているようには聞こえない。ただ神がこの先に起こることを事実として宣告しているだけである。
そしてアウトロ。
— 長谷川白紙 Hakushi Hasegawa (@hsgwhks) July 19, 2025
誰が作ったのかも知らないままで僕を今日の僕にしてくれたものたち、テープ、レコード、本、僕が素晴らしいと思った全てのものは日に褪せてしまった。
言葉だけ見ればとてもネガティブな事を言っているのだが、実際に曲を聞いてみると何故かあまりネガティブに感じないのだ。
僕を僕にしたものが日に褪せてしまったというのは、それらを日の当たる場所で何度も何度も読み聴きしたということ。
そしてそれらが日に褪せてしまっても、それらのおかげで「僕は今日の僕になった」。その事実は現在も消えず、日に褪せたものたちは僕の中に息づいている。
ラスサビの宣言を「どこでも何度でも」繰り返すという永続性が、過去に存在した全てを永遠にしてくれているかのようだ。
総じて、平成に端を発してはいるが平成に留まってはいない、自由で透明な令和のロックである。
篠澤広の曲としての『サンフェーデッド』
『サンフェーデッド』は実在のアーティストの曲のようと書いたが、ならばこれを篠澤広が歌う意味はあったのか?
当然ながら、ある。というか必然性しかない。
『光景』との連続性については前述の通りで、ライブ演出も『光景』の直接の続編である。
しかしてその音楽性はこれまでの篠澤広の曲と断絶している……ようでいて、中間の不安定さを自らの物にしてみせるところはまさにこれまでの篠澤広の楽曲との共通点であった。
篠澤広がこんな曲を歌うとは思わなかったが、間違いなくこれは篠澤広の曲であり、学園アイドルマスターの中でもこの曲は篠澤広にしか歌えないものであることは間違いない。
そして曲構成が全体を通して「女神を降臨させるための曲」にして「アイドル篠澤広を輝かせるための曲」になっている。
日常から非現実への跳躍、Cメロで緊張を高めて「ほらね」で篠澤広に釘付けにされた瞬間に強烈なギターソロを流し込まれ、ソロ開けに「女神の降臨」が高らかに宣言される。そして「僕は〜」で「神性をまとったアイドル篠澤広」の姿を灼きつけられる。
さらに言えば、『サンフェーデッド』を令和のロックたらしめている要素の一つは間違いなく篠澤広の歌声である。リバーブされ、重ねられ、あるいはいきなり近くで囁くあの声こそが令和最新鋭のアイドルのものなのだ。
『サンフェーデッド』は男性ボーカルが叫ぶように歌ってもきっと映える曲だろうし、そのようなカバーを聴いてみたい気持ちは僕にもある。
しかし、『サンフェーデッド』を初めて世に出すのは篠澤広でなければならなかった。
そう断言できる。
アーティスト「篠澤広」のMV
『サンフェーデッド』を語る上で外せないのがMVである。
まず言いたいのは、プロデューサーしゅきしゅき面白女のくせに何アーティストみたいな顔してんの?ということである。
世界一顔が良いやつがスンッとしてたらそれはもうどこをとっても絵になるに決まってるのよ。
気を取り直して……
MVは先述の「実在性」と「神の超感覚」「神性の降臨」にフォーカスした構成となっており、展開に非常によく合っている。
学園アイドルマスターのMVでは珍しい実写の取り込み。
高速で進む時間の中で、静かに佇む篠澤広の永遠性が強調されている。
そして何よりアーティスト感を高めているのは、言うまでもなく随所に挿入されるタイトルカットである。
オシャレ……それ以外に言葉が思い浮かばない。
篠澤広のスンッとした顔と合わせてあらゆるカットがジャケ買い必至のアルバムアートワークのような画面となっている。
ていうかグッズ売って?
【お仕事情報】
— サワイシンゴ (@shingosawaiqpqp) July 17, 2025
学園アイドルマスター 篠澤広さんの楽曲『サンフェーデッド』のグラフィクデザインを担当しました!
MV中に出てくる様々なタイトルカットのデザインを全てやりました!たのしかったなぁ。… pic.twitter.com/0DBOpxiZLC
アスペクト比が4:3だったりするところは明らかに平成のMVを意識しているのだが、このあたりのデザインや高速で繋ぎ合わされる実写カットの処理が先鋭的なセンスを感じさせる。
楽曲と合わせ、学園アイドルマスターのジャンル外の人も惹かれるような出来というのも納得である。
本当に衝撃だったもんな……
アイドル「篠澤広」のライブ
とかくMVが話題になりがちな『サンフェーデッド』だが、当然ゲーム内のライブ演出も欠かせない要素である。
篠澤広のアーティスト性と神性を押し出したMVに対し、ライブは篠澤広のアイドル性と神性を強く押し出している。
STEP3はSTEP1と同じステージを使う方針のようだが、篠澤広の場合は『サンフェーデッド』と『光景』の連続性からこれもまた必然であるように思える。
左スクリーンの光がどの衣装でも『光景』衣装になるのもその表れだろう。
篠澤広の体力が付いてきているとは言っても、そこはやはりキレキレのダンスというわけではなく、全体的に篠澤広らしい優美で神秘的な舞となっている。
そんな中でも、時折見せるキメはどこかあどけない可愛らしさを感じさせ、アイドル篠澤広自身のこだわりが感じられるのだ。
そして光の演出も素晴らしい。
爽やかな朝の黄色。
自然の中を歩くような午前の黄緑。
暑さを日陰でやり過ごすような青。
昼下がりの黄緑、現実から跳躍するような極彩色のギターソロを経て無機質な点描の中に女神は降臨し、極彩色の中でスポットライトを散らしながら宣命の時は訪れ、夕暮れの橙の中で締めの舞を見せ、夜が訪れて終わる。
自然と神性の調和の中で、篠澤広の美しさと可愛らしさを存分に見せつけるカメラワーク。
総合芸術としての完成度において『コントラスト』のライブに勝るとも劣らないと言えよう。
2025年夏、篠澤広の夏
2025年の夏のテーマ曲は『サンフェーデッド』になった。
2025年の夏を振り返ればそこには必ず『サンフェーデッド』の思い出がある。
それほどまでに強烈に『サンフェーデッド』の曲、MV、ライブは僕の人生に灼きついてしまった。
これからどれだけ時が流れても、たとえ日に褪せても、この夏が『サンフェーデッド』と共にあったという思い出は永遠なのだ。
最後に。
本日2025/7/30時点はギリギリ『サンフェーデッド』ガシャの開催期間中である。
引いといたほうがいいですよ……!『サンフェーデッド』篠澤広は……!
あと当然だが音源の方がMVやライブよりも明らかに音質が良く、篠澤広の声がよく通るようにMixされているので音源は本当に買ったほうがいいです。
環境が許せばハイレゾで聴きたいのに……!
ここまで1つの曲に衝撃を受けられる感性がまだ僕に残っていたことを思い出させてくれた『サンフェーデッド』には、もはや感謝の念を禁じえないのです。
