無自覚的ファムファタル | ショートショート
昼時。
コンビニのサンドイッチの棚で探偵が呟く。
「カルメン、君の名前を聞かせてくれ」
昼飯を吟味していた会社員が二人、そそくさと立ち去っていった。
飲み物を選び終えたヒナコがやってくる。
「センセイ、決まりましたか?」
返事はない。
視線だけがサンドイッチの棚を行き来している。
「ジューシーハムサンド」
そして左を見る。
「レタスハムサンド」
探偵は静かに息を吐く。
「カルメンとミカエラだ」
「その心は?」
「カルメンの情熱は、危険だ。男の身体を燃やす」
探偵は断言する。
「カロリー?」
「男を駄目にする」
「マヨネーズですね」
探偵は右手で左胸のあたりを叩く。闘牛士気取りのようだ。くたびれたトレンチコートから埃が舞う。
「一口目で全てを奪う」
「何を?」
「理性だ」
探偵は今度はレタスハムサンドを見つめた。
少し表情が柔らかくなる。
「だが、ミカエラは違う」
ヒナコは腕時計を見る。
探偵の語りが止まる気配はない。
「誠実だ」
「はい」
「退屈かもしれないが、安心する」
「はいはい」
「朝が似合う」
「これから、お昼ですけど」
「冷蔵庫をきちんと整理している」
「整理される方では」
「人の悪口を言わない」
「言ったら、大事件です」
探偵は何かに大きく頷いた。違う時間を生きているようだった。
「男の人生にはな」
急に遠くを見ようとした。
目の前にあるのは、おにぎりの棚だった。
「最後はミカエラが必要なんだ」
「じゃあ決まりですね」
探偵は静かに頷く。
「若い頃はカルメンに惹かれる」
「はい」
「だが男は歳を重ねる」
「はいはい」
「最後に帰る場所はミカエラだ」
店内放送が流れた。
揚げ物が揚がったらしい。
探偵はゆっくり棚へ手を伸ばす。探偵が手に取ったのは、ジューシーハムサンドだった。
昼下がりのコンビニに、沈黙が落ちる。
ヒナコが探偵を見る。
「センセイ」
「何だ」
「ミカエラは」
探偵はサンドイッチを見つめたまま、小さく呟いた。
「……幸せになってほしい」
