🍸ギブソンには、まだ早すぎる | ショートショート
あの伝説のカクテルの誕生秘話です。
元ネタ、分かる人いるんだろうか。
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夜。
流し台に、ジンとベルモットと、空になったパールオニオンの瓶。
棚に残っているのは、桃屋の花らっきょうと、にんにくのたまり漬け。
「……花か、牙かだな」
「はい?」
「ギブソンの魂はパールオニオンだ。だが今はない。代わりに花(らっきょう)と牙(にんにく)がある。文明の選択だ」
「文明はそんな選択しません。洗って薄めた花らっきょうなら、まだ傷は浅い。たまりニンニクは、ジンの色が変わります」
「酒に水で手心を加えるな。歴史が落ちる」
「歴史は落ちません。匂いは落ちます」
グラスを冷やしながら、俺は瓶を見比べた。
花らっきょうは白く、涼しい顔。にんにくは褐色で、企んでいる顔。
「ヒナコ、お前ならどっちだ」
「悩むならA/Bテストで二杯つくって、結論を出します」
「酒に実験を持ち込むな。これは儀式だ」
「なら、らっきょうをひとつ、さっと水で流して、ピンで刺して沈める。にんにくは、明日も隣人に会うならやめる」
「……隣人はいる。やめておこう」
俺は花らっきょうの蓋を開けた。ひとつ摘む。
洗うべきかどうかで、十秒ほど迷う。
「洗いましょう」
「洗わない」
「なぜ」
「男は、妥協しない生き物だ」
冷えたグラスに、ギンとした透明。
白い小球を沈めると、液面に輪がひとつひろがった。
「……色は守られましたね」
「珠ではないが、花もまた、夜を飾る」
口をつける。
最初に来るのは、らっきょうの甘酢。
遅れて、ジンの針のような香り。輪郭は少し丸くなる。
「どうですか」
「悪くない。が、これはギブソンの友人だな。本尊ではない」
「友人、大事です」
「にんにくなら、どうなっていた」
「たまり色に染まって、明日まで続く友情ができたと思います」
「それはもう宿命だろ」
彼女は無言で花らっきょうをもうひとつ取り出し、水でさっと流した。
洗う派の儀式は、音もなく短い。
「センセイ、ルールを曲げません?」
「聞こう」
「二杯目は洗う。二杯目から妥協する。そうやって折り合うのが、だいたいの人生です」
俺は指を鳴らす。
「ギブソンは、妥協の形をしていない飲み物だ」
「でもさっき、花と牙の間で迷ってましたよ」
「迷いは儀式の一部だ」
二杯目。
洗った花らっきょうは、香りだけ置いて影になる。輪郭が立つ。
一口で、さっきよりも近い気配。
「どうです」
「……さっきのは思い出。これは現在だ」
「にんにくは?」
「未来だ。抱えるには重い」
沈黙。
ギブソンではない。だが、悪くない。
たぶん、こういう夜が長く続いて、人はやっと本尊に出会う。
ヒナコが言った。
「にんにくは、いつか世界が終わる日に」
「その時は迷わず沈めよう。牙ごと」
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ギブソンはドライマティーニの親戚です。
こちらの連載、来週から昼投稿に早めます。
夜にももちろんお読みいただけます。
