誰かが決めた枠組み?【番外編】ゼミという見えないレール
ふと考えることがあります。
わたしが学生時代に所属していた、建築環境系のゼミ。
様々な学びがありました。
多くの卒業生の進路として、
設計事務所、ゼネコンの設計部、ガス会社、電力会社などなど、
いわゆる「それっぽい」道があります。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
むしろ、専門性を活かせる道があり、ゼミの先輩から「業界」?の話も聞けるので、そのような進路を選択することは自然ですし、かつてのわたしもなんとなく、周りと同じような進路を選択しました。
また、ゼミのOB・OG会が毎年開催され、毎年、教授から同じような案内が届きます。
「今年も集まります」
「近況を報告しましょう」
「後輩たちも先輩方の業界話を楽しみにしています」
「今年度の卒業生は、〇〇会社、△〇設計、◇◇建設にてキャリアをスタートさせました」
……
たぶん、そういうつながりを大切にできる人にとっては、このような場所は安心できると思います。
ただ、わたしはどこかで、少しだけ窮屈さを感じていました。
同じゼミを出て、同じような業界に入り、同じような話題で集まり、同じようなキャリアの延長線上で近況を話し、忙しさや頑張っている感じが自然と話題の中心になる雰囲気。

それはそれで、きっと良いことです。それを楽しく感じている人も多くいます。でも、わたしの心のどこかには、
「もっと楽しいことあるのでは?」
という小さな違和感がありました。
半年前のわたしなら、その違和感をうまく言葉にできなかったと思います。
むしろ、そういう集まりに自然になじめない自分の方が、浮いている、とか、おかしいのだと思っていたかもしれません。
けれど今は、少し違います。
枠組みの中にいることが悪いわけではない。
ただ、その枠組みだけが「正解」のように見えすぎると、少し息苦しくなることがあります。
大学ゼミも、会社も、職種も、肩書きも。
どれも、誰かが悪意を持って作ったものではないのだと思います。
でも、自分がそこに合わせ続けるうちに、いつの間にか自分の「本当の声」が小さくなっていくことがある。
わたしの場合、その小さくなった声をもう一度聞かせてくれたのが、五島列島の磯でした。
「卒業生のうち1名は、五島列島に釣りに行き、帰ってきません。
生きているのでご安心ください。」
会社やゼミや肩書きの世界には、まだ少し戻りきれていないのかもしれません。でも、ある意味では、ようやく自分の人生に帰ってきたのだと思います。新しいことに挑戦する、というと、少し大げさに聞こえます。
「バリバリやったるで!」という感じでもありません。
わたしの場合は、もっと小さなことです。
いつもの枠組みを、少し斜めから見てみる。
「正解」だと思っていた道の横に、細い獣道がないか探してみる。
人と同じルートから少し外れて、海の方へ歩いてみる。違うなと思えばまた戻ればいい。
それだけで、人生は意外と面白くなる。そして、少し楽になる。
半年前の自分と比べても、見える景色はずいぶん変わりました。
だからこれからも、誰かが決めた枠組みを否定するのではなく、そこから少し視点をずらしてみたいと思います。
その先に、どんな景色があるのか。たぶん、まだわかりません。でも、少なくとも五島の海は、わたしにこう教えてくれました。
「決められた場所にだけ、居続けなくてもいいよ」

いっせいノマド
