【童話】らでんの小箱
先だって礒永秀雄の童話が朗読されました。
仲村育子さんの琉球舞踊と白石哲子さんの朗読によって童話に新しい命が吹き込まれました。ここに童話の本文をご紹介いたします。


らでんの小箱
おと姫さまは、亀の背に乗って帰っていかれた浦島さまの後姿に、いつまでも領巾をお振りになって別れを惜しんでいらっしゃいましたが、さきほどまで後に立っていっしょに見送っていらっしゃった龍王さまのお姿の見えないのに気づかれたのか、「あ」と小さな叫びをおあげになりました。
「いかがなさいました?」
マダイがおそばでささやきました。ハナビラやルリハタ、ニシキヤッコも寄ってきました。
「父上、父上は?」
おと姫さまは龍王さまをお探しになりました。こころもちお顔の色が青ざめています。
「龍王さまはさきほど、フリソデやウグイス、それにノボリサシたちといっしょに御殿へお戻りになりました」
エボシダイがそうお答えしますと、おと姫さまは「やっぱり……」とつぶやいて、「さ、ホタル、もう帰りましょう」とわたくしをうながされました。
長い長いかすみの浮橋をお渡りになる時も、何度かお立ちどまりになり、二列、三列になって護衛につづくサクラダイをお払いになり、龍宮の御門にお出迎えのマンボウの礼にもお答えにならず、玉砂利の道をうなだれながら、ゆっくり歩んで行かれました。
「ホタルよ、やはりわたしの思っていた通りでした……」
おと姫さまは色とりどりの貝をちりばめた深い椅子に身をお沈めになると、かすかにゆれる天蓋の瓔珞をぼんやり眺められながらおっしゃいました。
「浦島さまにお贈りした玉手箱は、けさがた、いつのまにかすりかえられてしまったのです」
「えっ」
わたくしは思わず息をのみました。
「おあずかりしていた玉手箱を、誰が?」
目の前が真っ暗になる思いでした。玉手箱 ── あの中にはおと姫さまの想いをこめた阿古屋玉の首飾り、わたくしのふるさとからあがった珊瑚のかざりものに、ベッコウの調度、そのほかくさぐさの夜光る玉を、白い海綿につつんで納めた記憶は、つい昨夜のことでしたのに・・・・・・
「いつでしょう。昨夜、アカエイが身をもってお護りしていたはずですのに」
わたくしは高鳴る鼓動と、ふるえる唇でそう申しあげました。そしてハッと思い当たりました。
「あ、あの時だわ」
そうです。龍王さまの御殿からサヨリの一群を先頭にコアジやサクラダイ、カレイやヒラメがつづきましたが、やがてイカたちが通り過ぎました折、チョウチンアンコウのランプを合図に、ドドーン、ドドーンと華やかな花火があがりました。龍宮では、お出迎えの時もそうですが、お別れの時に花火をあげるならわしになっているのでございます。
「まあ、キレイ」
チョウチョウウオたちは小躍りして喜び、わたくしも、浦島さまとおと姫さまのおそばに控えて、玉手箱をお持ちしたまま、うっとりと花火に見とれていました。そう、あの時です。ルリハタやハナビラも背のびしてわたくしに寄りかかりました。
「まあ、いや、フエヤッコ、くすぐったりして」
ルリハタが申します。ヒメダイも叫びをあげました。
「コバンちゃん、寄らないで」
コバンイタダキは口笛を吹いて通りすぎました。たしかあの時、すうっとわたくしの肌にふれる魚があり、思わず片手をはずし、片手だけで玉手箱を持つような姿勢になりました。するとまたドドーンと花火があがって、わたくしは上を見上げたのです。
「コバンイタダキ!」
わたくしが花火に見とれ、片手がおるすになっているすきをねらって、
あの魚たちが、玉手箱をすりかえて行ったのに違いありません。でも、
なぜ・・・・・・。わたくしは申し訳なさと口惜しさでいっぱいになりました。
「ホタルよ、おまえの罪ではありません。みんな父上のお心からです。わたしにさえ気づかれぬよう、ゆっくり立てられたはかりごと。なんでわたしどもに見抜けましょう」
おと姫さまはわたくしを気づかってそうおっしゃいました。
タツノオトシゴが、お疲れ休めの薬湯を持ってあがりました。しかしおと姫さまは、ちょっとお口をつけられただけでした。
「父上はわたしたちより、もっとすばらしい贈り物を御用意なさったにちがいありません。ねえ、みんな、そうは思いませんか?」
おと姫さまはウオたちの心が騒がないように、ほほえみながらそうおっしゃいましたが、そのお顔は悲しみのための淋しい美しさをおおいかくすことはできませんでした。おと姫さまは、しばらく眠りたいとおっしゃって、ウオたちをお払いになり、わたくしと二人きりになって静かに語りだされました。その間じゅう、人魚はチロロヒョウ、チロロヒョウと眠り笛を吹きつづけておりました。
「ホタルよ、もっと近くでお聞き」
わたくし、ソラスズメダイ。おと姫さまは珊瑚の林にやすむわたくしを「ホタル、ホタル」とお呼びになります。以下、その時のおと姫さまのお話を、聞きとめたかぎりお伝えすることにいたします。
ホタルよ、わたしの思っていた通りです。
海にあって海の中の魚や貝たちをお統べになった父上は、まえまえから、陸に住む人間をも統べたいというお気持を持っておられるのです。父上は若いころのふとした乱暴から、空の果てなる神のお怒りにふれ、龍王に姿を変えられ、不本意にも陸を追われて海の底に住みつく運命(さだめ)になられたということです。父上はその折、娘だけは人の世の姿、空の人の心、乙女の姿のままで生き永らえさせてほしいと願い出て許され、わたしを伴ってこの龍宮へ来られたと聞いています。
それまでの海の世界は今よりもずっと暗く、いやしい争いの絶え間はありませんでした。今でもオオカミウオやウツボやゴンズイなどこそおれ、昔にくらべれば、お互いのいのちを大切にしあって、めったな争いを好むものはおりません。陸は、海の十日が十年にもあたるめまぐるしい移り変わりを示していることでもそれはわかります。
父上は無意味ないさりやすなどりをはかる人間たちのしわざを事のほか嫌われ、もう二千年もたてば、おごった人間たちは小魚のはしばしまでもさらい、海には毒を流しこみ、陸のよごれをそのまま海に沈め、果ては人間の死骸を山のように海に投げこむいくさをつづけるだろう、それ以上に、お互いの殺し合いのための新しい力を海の中でためし、多くの魚たちはむごいそのしうちにあって、いのちを落すばかりか、ねぐらさえ失うようになるだろう、と常日ごろ口にしていらっしゃいます。
なるほど浦島さまは、いじめられた亀を救って下さり、人間の心のやさしさ、陸の上の者たちが、みな悪い心根の者ばかりではないことを、身をもってお示しになりました。けれども、浦島さまは魚や貝のいさりやすなどりをなりわいとするゆえに、海のいきもののいのちを断つ罪はまぬがれません。父上はそれをお許しになれないのです。
ホタルよ、あのらでんの玉手箱は、父上がコバンイタダキに命じておまえの手もとのものとすりかえられたのです。おまえのからだにふれた魚は何だったか、きっとわたしたちの体がしびれるマボロシの魚をあの賑わいの中にしのびこませ、知らぬまに玉手箱はすりかえられてしまったのでしょう。
ホタル、おまえのせいではありません。わたしは知っています。あの別の玉手箱、浦島さまがお持ち帰りになったらでんの小箱には何が入っていたかを。あの中にはきっとオキナエビスガイ、あの大きな巻貝が入っています。おそらくやわらかな藻に包まれて、それはそおっと眠っているはずです。そしてまるいその蓋の中には、ウオテングに命じて集められた魚たちの毒が、しっかり押しこめられています。もしもその蓋を開けたなら、毒はむくむくと不吉な煙となって立ちのぼり、陸の上の空に拡がり、灰となって降り沈み、人間の心の毒をひどくかき立てる役目を果たすことでしょう。しかし、やがて拡がった毒はしだいに薄れ、人間は海について果てしなくあこがれるようになります。
浦島さま?いいえ浦島さまはいのちをそのために落されるはずはありません。そのようなむごい仕打ちをなんで父上がなされましょう。ただ、海の十日は陸の十年。浦島さまは立ちのぼる白い煙の中で驚き、とまどい、気づかれた時にはおつむが白くなったことをはじめて知ってびっくりなさるでしょう。そして「けっして開けてはなりませぬ」と申し上げ、「たしかに」とお答えになった御自分の、心にもないしわざを深く悔やまれ、足ずりして口惜しく思われることでしょう。
しかし浦島さまはおまえも知っての通り心のすぐな方です。きっと心落着いてからはその巻貝、オキナエビスガイを手に取られ、それをじっと耳に当てて、海の中を渡られた時の音をなつかしまれることと思います。
そのほうがホタル、変わらぬ夢を追って生きつづけることが出来るのではないでしょうか。
ホタル、覚えているでしょう。陸の上には「空」というもう一つの世界があって、何もないそのずっと奥には、お庭の玉砂利の数ほどの「星」という光る玉が輝いているということ。その「星」の集まって流れる川をへだてて、昔から二つの星が一年に一度の出会いを待ちわびているということを。
浦島さまにそのことをおたずねすると、「ああ、彦星と織姫のことですね」とおっしゃいました。お別れする時、「いずれはその星たちのように、どこかの空の深みでお会いいたしましょう」と申し上げたのだけれど、想いをつづけて下さっていれば、そのことだけでいのちは汚れなく輝くのだと思います。今となって考えてみれば、わたしたちのお贈りしようとした玉手箱よりも、父上のほうのそれが、よほどいのちにだいじなものだったように思われます。
ホタル、浦島さまはオキナエビスガイを毎日手にしてわたしたちを思い出して下さいます。そうは思いませんか。ホタルよ、女にとっていちばん淋しくつらいもの、それは「忘れた女」ということばです。
おと姫さまは眼をつむるようにして、ひとりで話をつづけられました。わたくしはおそばで羽根うちわの風を静かにお送りしながら、おと姫さまのシラタマツバキのように美しいお耳にはいま、きっとあの星の世界で奏でられる雅楽が、人魚の笛の音と溶けあって、ゆるやかにしみ渡っているのであろうと思ったりしたのでした。おと姫さまはやがて静かな寝息を立てはじめられました。わたくしはふと、おと姫さまは、きっとあの「空」を、海の中とおなじようにゆるやかに舞って泳ぐことのおできになる、ただひとりのお方のように思えてならないのでございます。
童話集『夢の柩』(1971年*潮出版社)
