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定年後、60代の今だから前を向けた理由【コラム4】

―「大器晩成」という一言を、今も信じている話 ―


※本記事は、人生後半についての個人的な体験と考えを綴った有料noteです。冒頭部分は無料でお読みいただけます。

※本記事は、人生後半について考える連載の第1回目です。


ここから先は、
「もう十分やったはずなのに、なぜか納得できなかった自分」の話です。

60代になっても、
結果を出せていないと感じてしまう気持ち。
それでも、どこかで
「まだ終わりにしたくない」
と思ってしまう、その正直な感情を、包み隠さず書いています。

答えを提示する記事ではありません。
ただ、同じような思いを抱えている方と、
静かに並んで考えるための文章です。


第1章

なぜ今、「大器晩成」という言葉を思い出したのか

60歳を過ぎてから、
一日の終わりに、ふと考え込む時間が増えました。

仕事から解放され、
静かな部屋で一息つく。
そんな何気ない時間です。

「もう一区切りついたのだろうか」

誰に聞くでもなく、
自分に向かって、そんな問いが浮かんできます。

定年を迎えたという事実は、
ひとつの節目です。
世間的には「お疲れさまでした」と言われる年齢。
やるべきことはやってきた、と言われる立場でもあります。

けれど正直に言うと、
わたしの中には、
はっきりとした終わりの感覚はありませんでした。

やり残した仕事がある、というほど大げさな話ではありません。
ただ、
「これで終わりでいいのか」
という、言葉にならない違和感が残っていたのです。

若い頃のような勢いは、もうありません。
体力も落ち、無理はきかない。
新しいことを始めるには、遅い年齢かもしれません。

それでも、
朝、目が覚めたときや、
散歩の途中、
ふとした瞬間に思うのです。

「まだ、何かできるんじゃないか」

そんなある日、
ずっと忘れていたはずの記憶が、
不意に浮かんできました。

学生時代、アルバイト先の休憩室で言われた、
たった一言です。

「お前は、大器晩成型やな」

占いのようなもので、
当時は笑って聞き流していました。
本気で信じていたわけではありません。
それなのに、その言葉だけが、
なぜか心の奥に残っていた。

人生の中で、
成功した出来事や、
評価された瞬間よりも、
こうした何気ない言葉のほうが、
後になって思い出されることがある。

60歳を過ぎた今、
あの言葉を思い出したのは、
きっと理由があります。

それは、
自分の中に、
「まだ終わりにしたくない」
という気持ちが、確かに残っているからです。

大器晩成。
それは、成功を約束する言葉ではありません。
ただ、
「焦らなくていい」
「遅くてもいい」
そう言ってくれる言葉です。

今のわたしには、
その言葉が、
思っていた以上に、静かに響いています。

そしてこの言葉が、
これからの自分を、
どこへ連れていくのか。
それを、もう少し確かめてみたくなったのです。


第2章

休憩室で言われた、何気ない占いの言葉

学生の頃、アルバイト先には小さな休憩室がありました。
決してきれいとは言えない部屋で、壁には古い掲示物が残ったまま。
コーヒーの匂いと、少し油の混じった空気が漂っていたのを覚えています。

仕事の合間、短い休憩時間に、
みんながそこへ集まり、
特に中身のない話をしていました。
将来の話をするほど真剣でもなく、
かといって、完全に何も考えていないわけでもない。
そんな、若い頃特有の曖昧な時間です。

その中に、ひとり年上のおじさんがいました。
年齢はかなり離れていて、
学生ばかりの職場では少し浮いた存在でしたが、
不思議と嫌われることはありませんでした。

その人は、よく人の顔を見て、
ぽつりと何かを言う人でした。
自分では「占いが得意や」と言っていましたが、
本格的なものではありません。
場を和ませる、ちょっとした遊びのようなものでした。

「ほな、次は誰や」

誰かが顔を差し出しては、
「真面目やな」
「苦労するタイプや」
そんな言葉をもらう。
言われた本人は笑い、
周りも適当に茶化す。
その繰り返しでした。

わたしの番が来たときも、
正直、深く考えてはいませんでした。
将来の目標がはっきりあったわけでもなく、
ただ、その場の流れに乗っただけです。

おじさんは、
いつもより少し長く、わたしの顔を見ました。
視線が止まり、
間があって、
そして、こう言いました。

「お前はな、大器晩成型やな」

一瞬、意味が分かりませんでした。
聞き返すと、
「若い頃は目立たんかもしれんけど、後から来る」
そんなふうに、短く付け加えました。

周りは、
「ええやん」
「勝ちやん」
と、軽く盛り上がりました。
でも、わたし自身は、なぜか笑えなかった。

「ほんまですか」
そう聞いた自分の声は、
少しだけ真剣だったように思います。

おじさんは、軽く笑って、
「信じるかどうかは、お前次第や」
そう言いました。

それで話は終わりです。
休憩時間が終わり、
みんなそれぞれ持ち場に戻っていきました。

何かが変わったわけではありません。
人生の方向が決まったわけでもない。
ただ、その一言だけが、
なぜか心に引っかかりました。

「大器晩成型」

期待していいのか、
信じていいのか、
よく分からない言葉でした。
でも、だからこそ、
どこかに残ったのかもしれません。

このとき蒔かれた小さな種が、
何十年も経ってから、
こうして顔を出すとは、
当時の自分は、想像もしていなかったと思います。


第3章

ずっと心に残り続けていた理由

「大器晩成型やな」

あの言葉を、ずっと信じていたかと言われれば、
正直なところ、そうではありません。

占いですし、
根拠があるわけでもない。
日常の中で、わざわざ思い出すような言葉でもありませんでした。

それでも、
人生の節目で、ふと頭に浮かぶ。
忘れたつもりでも、完全には消えない。
そんな不思議な存在でした。

仕事でうまくいかなかったとき。
評価が思うように得られなかったとき。
周りが次のステージへ進んでいくのを見たとき。

「まあ、自分は後から来るタイプやからな」

そうやって、自分に言い聞かせたこともあります。
言い訳のようで、
でも、どこかで救われてもいました。

今すぐ結果が出なくてもいい。
目立たなくてもいい。
時間がかかるだけだ。

そう思えることで、
踏みとどまれた場面が、確かにありました。

振り返ると、
わたしの人生は、
決して派手ではありません。
順風満帆とも言えない。

それでも、投げ出さずに続けてきました。
大きな理由があったわけではありません。
ただ、途中でやめてしまうのが、
自分には合わなかっただけです。

だからこそ、
あの言葉が残ったのだと思います。

人は、
本当にどうでもいい言葉を、
何十年も覚えてはいません。
心に引っかかる言葉には、
必ず、自分の気持ちが重なっています。

「大器晩成」という言葉に、
わたしは、
自分の願いを重ねていたのでしょう。

遅くてもいいから、
何かを形にしたい。
このまま終わりたくない。

そんな思いを、
言葉にせずに抱えていた。

若い頃は、
自分の可能性を信じることに、
どこか抵抗がありました。
大きな夢を語るほどの自信もなく、
かといって、完全に諦めることもできない。

あの言葉は、
その中途半端な状態を、
そっと許してくれる存在だったのかもしれません。

「今はまだでもいい」

そう言われている気がして、
無理に答えを出さずに済んだ。

60歳を過ぎた今、
あらためて思います。

あの占いの言葉は、
未来を予言したものではありません。
でも、
わたしが人生を歩き続けるための、
ひとつの理由にはなっていた。

そしてそれは、
決して小さなことではなかったと、
今は感じています。




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

ここから先は、
60代になった今、
わたしが正直に感じていることを、
もう一段、踏み込んで書いています。

「結果を出したと言えない」
「やりきった感覚がない」
それでも、なぜか終わった気がしない。

そうした気持ちは、
人に話すほどのことでもなく、
かといって、簡単に割り切れるものでもありません。

この先の章では、
答えや成功法則をお伝えするつもりはありません。
ただ、
同じような思いを抱えながら、
人生の後半を前向きに考えている一人として、
感じたことを、そのまま書いています。

もし、
「自分も似た気持ちを抱えている」
「もう少し、この話を続けて聞いてみたい」
そう感じてくださったなら、
この先も読んでいただけたら嬉しいです。


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