「Alright!!」(リーグ第15節・アルビレックス新潟戦:3-1)
勝利を決定づける3点目を挙げた大関友翔は、そのままGゾーンと呼ばれる熱狂的なサポーターがいるエリアに走って向かった。お決まりのガッツポーズを決めた後にその輪に飛び込み、サポーターから熱い抱擁をされていた。
「Gゾーンに行くのは決めていました。90分過ぎていたから、(味方は)テンくん(宮城天)しか来てくれなかったですが(笑)」
等々力でゴールを決めてGゾーンに駆け寄り、サポーターに祝福される。それは幼少期から描いていた憧れの光景だった。
「小さい時からジュニーニョがGゾーンに行くのを見て、あれをやりたいと思っていました。サポーターの皆さんと喜びを分かち合えました」
大関が名前を挙げたジュニーニョとは、2003年から2011年までの9シーズンに渡って川崎フロンターレに在籍していたストライカーだ。
2007年のJリーグ得点王にも輝いた点取り屋であり、まだ若手だった中村憲剛を日本を代表するパサーに育て上げ、J1に復帰したクラブを攻撃的な強豪に押し上げた象徴的存在でもあった。中村自身も「ジュニーニョなしでは今の自分はあり得なかった」と認めるほどの出会いであり、後のエースストライカーである小林悠が師匠と呼ぶほど影響を受けたレジェンドである。「等々力劇場」として語り継がれるような劇的なゴールも数多く決めている。
ただ、ジュニーニョが在籍していたのは今から15〜20年ほど前である。大関友翔は現在20歳。大関友翔の中に刻まれているジュニーニョの記憶は、一体何歳のものなのだろうか。思わず、問いかけてしまった。
「2009年とかなので、4歳とか5歳・・・(笑)。(幼稚園の)年中ですね。等々力に一番試合を見に行っていた時期です。Gゾーンではなく、バックスタンドの真ん中で観ていました」
そうか。
いわゆる「関塚フロンターレ」の時代で、攻撃サッカーの看板を掲げ始めた頃である。点を取るけど、点も取られるサッカーだったが、あれはあれでこのクラブのスタイルになりつつあった。自分がフロンターレ担当になったのもこの時期である。
あの時に心を撃ち抜かれた大関少年が、大人になった15年後に等々力のピッチでプロとしてゴールを決める。そしてGゾーンに歓喜で走っていく。
なんだか、クラブが紡いできた歴史の1ページを垣間見たような感覚だった。
大関友翔のゴールでクラブの総得点は35点に。セレッソ大阪の34点を抜いて得点力はリーグトップに躍り出ている。
※後日取材による追記です。こぼれ話的にどうぞ。
→▪️(※追記:6月27日)「ショウゴさんぽいなって感じがします」。熊本兄弟の兄・彰悟の結婚について語る時、弟・紳太郎が語ったこと。そして「何を考えているのかがわからない」と評していた谷口から感じる、車屋に対する信頼。
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