TRUNSTILE2024来日公演レポート

注・この記事は、2024年11月に刊行された「ヘドバン Premium Vol.2」に掲載されたものです。直前なので無料公開します。


暗転。同時に掲げられる大量のスマホに時代を見た。べつだん若年層に限った話でもなくて、老いも若きも開始早々から録画スタンバイなのである。タテマエとして、事前に「撮影禁止、モッシュ、ダイブなどの危険行為禁止」のアナウンスはあった。まぁ、あくまでタテマエでしかなかったが。

6年ぶりの来日公演。当時彼らを知らなかった私からすれば、TURNSTILEのライブは長らくユーチューブの中でしか見られなかった。寂しい話だが、とはいえ内容はかなり充実していた。バンド側が積極的にこれを活用していたのだ。各国の公演はフル尺で即日アップされ、時にはカメラを多数入れたワンマンがそのまま全編公開。ファンもまた勝手に撮った動画をSNSにアップする。次々と映像が更新され、噂が噂を呼び、TURNSTILEは今のポジションを獲得していった。前回が新宿アンチノックと川崎クラブチッタのハードコア・イベントで、6年経ったらフジロックのホワイトのトリ。この飛距離は何だ。

もともと聴きやすい音楽性ではあった。2018年のセカンド『Time&Space』までは敷居低めのハードコアと呼べるもので、突っ走るツービートやスクリームが基本。ハードロックやグランジ風のギター、重さを全然感じさせないカラッとしたボーカルも印象的で、声質はBEASTIE BOYSみたいでもあった。メタルコア、ニュースクール、激情系などの言葉が出てくる前の、シリアスではなくカジュアルだったUSハードコア。タフガイたちの重量自慢よりも、ネルシャツやスケートボードが代名詞だったアーリー90年代の空気だ。当時のバンドの中から真剣に探してみれば、YOUTH OF TODAY解散後レイ・キャポが始めたSHELTERあたりに一番近いだろうか。

そこからの転機は2021年のサード『Glow On』である。暴れる曲よりも踊れる曲や歌いやすい曲がぐっと増え、アクセントとしてリズムマシンやエレクトロニカなども導入。メロディを全面に押し出したことで、ライブでは怒涛のシンガロングが生まれていく。コロナ禍の憂さを晴らすようツアーには人々が集まり続け、そのうち欧米ビッグフェスの常連に。翌年の第65回グラミー賞では、最優秀ロック・パフォーマンスなど三部門にノミネートされ、一気にシーンの最前線に躍り出ることになったのである。

あまり比較する人はいないが、ロックの世界において、グラマラスなスター部門にエントリーしたのがMANESKIN、よりストリート寄りのパンクヒーロー部門にいたのがTURNSTILEだったと思っている。コロナ以降の世界が同時期に彼らを見出し、シーンに再び激震が起きたタイミングであった。

とはいえ日本の認知度はまだまだ低い。絶望的に低い。そう思っていたが、7月28日のフジロック、Amazonライブ配信で流れが変わった。3日目の夜10時スタート、その裏が、というか表がノエル・ギャラガーだったから、TURNSTILEを最初から待ち侘びていた人は全体で見れば少数だ。ただし、始まってしまえばパフォーマンス能力はぶっちぎり。爆発するバンドと観客のエネルギー、モッシュもダイブも当たり前の様子がSNSで話題となり、気づけば「なんだこのバンド」「やばすぎる」「こんなフジ初めて見た」の声が続出。まさに一夜にして世の中をぶち抜く存在になっていたわけだ。

二日後。短期間に過去動画をおさらいし、慌てて単独公演に駆けつけた人のなんと多かったことか。前日まで余りまくっていたチケットは、当日券で一気に二千枚(!)が捌け、結果は余裕のソールドアウト。これはフジ配信が作り出した記録的な快挙である。初見の人がほとんどだと思うが、みんな動画を散々目に焼き付けてきたのだ。一曲目の「MYSTERY」。イントロの開始と共にお馴染みのモッシュピットが生まれた瞬間、目の前の二人組がたまらない表情でこう叫んでいた。「この画が、見たかったあああ!」。

インターネットから火がついた人気者の宿命。まず音よりも画が先だ。それが面白ダンスやAI生成動画なら今っぽいが、TURNSTILEがネットで見せてきた画は恐ろしく90年代っぽかった。フロアに渦を巻くサークルモッシュ、止まらないクラウドサーフ、わらわらとステージに上がってくる大量のファン。フジロック配信でも客を上げすぎてメンバーの姿が判別不可能になった様子が話題だったが、あれを見て「クラブチッタ」とコメントした人たちは、一部が6年前のハードコア・イベントを思い出した経験者、過半数は間違いなく90年代のSICK OF IT ALLやBIOHAZARD来日公演を知る世代だろう。もしくは1998年の第二回フジロックでのイギー・ポップ。今もこんな世界があったのか。慄く中高年の感覚が手に取るようにわかる。

80年代後期のハードコア界隈から生まれ、90年代に入って急速に広まったもの。それがモッシュやダイブといったライブハウスの遊び方だが、そのうち暗黙の了解やマナー論争が生まれ、いつしか消えていったものもある。客が演奏中のステージに上がる、というやつだ。それも一人二人の話ではなく、何十人、何百人の単位。まるでバンドの一員みたいな顔で舞台に立ち、積極的にメンバーと握手やハグ。なんとなればマイクを譲り受けて歌い出し、恍惚の表情でガッツポーズなどをキメてみせる。今はシンガロングひとつで「アーティストの声が聴こえず迷惑」と言われる時代なので、当然「お前の阿保ヅラ見に来たんじゃねぇ」と叱られそうだが、90年代のライブはなぜかその無秩序に寛容だった。注意するセキュリティも特にいなかった。そこから四半世紀、TURNSTILEのライブには、あのカルチャーが確かに残っているのだ。
 
さて、ここから話は東京単独公演のライブ前、謎の空白タイムに繋がっていく。開演が迫る時刻になっても大量の客は屋外に待機させられるばかりで、入場がいっこうに始まらない。何でも準備がまだ整っていないそうで、押しに押すこと一時間である。今まで経験したことのないこの謎は、サポートアクトに出てきた2バンド、6年前の来日でもTURNSTILEと共演したメンバーたちが解説してくれた。直前のチケット完売を受けて、バンドの意向により、急遽前方フロアの仕切り柵がすべて取り除かれていたというのだ。
ガランと広すぎるフロアに笑ってしまった。何かあれば群衆雪崩、最悪は圧死もありえる仕様に、あえて切り替えた。許可した会場のZeppとスマッシュの英断もすごいが、それを我が事のように喜んで語るサポートアクトの様子も興味深かった。BLOW YOUR BRAINS OUTが「いやぁ、嬉しいね、TURNSTILE!」と笑えば、NUMBも「早くTURNSTILE見たいだろ? 俺も見たいから早く終わらすわ」とそわそわ。ゴリゴリにストロングな彼らの出音に比べれば、TURNSTILEは軽すぎるくらいキャッチーだが、しかしハードコア・シーンにおいてバンドの評価はなんら変わっていないらしい。

ではTURNSTILEは今もハードコアなのか。ユーチューブ動画が刷り込まれているから、条件反射のようにモッシュとダイブは起きる。いきなり無秩序の極地みたいなフロアが完成する。ただ、速くもなければうるさくもない4曲目「UNDERWATER BOI」などに顕著だが、楽曲はどこまでも軽やかなロックなのだ。BLOW YOUR BRAINS OUTが刻んだ重厚なリフやダウンビート、NUMBが轟かせた地獄のスクリームなどはまったく無縁。よく聴けばボーカルのブレンダン・イエーツはほとんど叫んでいない。基本は伸びやかな歌唱。客に向かって「Yeah!」と煽る声でさえ、呑気と言っていいほど柔らかい。生で見るとよくわかるが、ひらひら動く彼の両腕に余計な力みはなく、澄み切ったその目にはナメんなと挑んでいく対象が映っていない。

繰り返すが、ブレンダン・イエーツはほぼ叫ばない。ハードコアシンガーは叫ぶ。基本だと思っていた。全身を怒りに浸し、時には苦悶の表情さえ浮かべ、こめかみに血管を浮き上がらせて叫ぶ。そういう仕草をブレンダンはごく自然にスルーしている。彼の背筋が常にまっすぐ伸びていたことも特筆すべき点だろう。肩をいからせマイクを掴み、うずくまるような姿勢で絶叫。いかにもハードコアっぽい画のひとつだが、実際これは喉を無駄に締め付ける、あまり歌唱には相応しくない姿勢であると聞く。もっと肩の力を抜き、軽く両足を開き、すっと背筋を正して。かつて音楽の先生から聞かされたような姿勢を、彼はそのまま実践しているのだ。

姿勢ついでに言えば、生で見たブレンダンの肉体は限りなくバレエダンサーに近いと感じられるものだった。開始2曲ですぐ上半身裸になるので単純に引き締まったいい体だなと思うが、鍛えあげた上腕二頭筋を誇るマチズモが、あるいはセックスを連想させる匂わせ行為が何もない。ふわりと体をターンさせるジャンプ、高く飛び上がり一回転しながら客の頭上に着地するダイブ。その身体の使い方は熊川哲也に似ていた。この言い方にピンと来ないなら、浅田真央の演技にいやらしさや作為を感じる人がいない、と書いたほうが伝わるかもしれない。己の肉体ひとつでステージを掌握できるカリスマだが、腕力自慢のファイターではなく、性的アピールに忙しいバッドボーイとも違う。ただしなやかに動く美しい肉体がそこにあるのだった。

ハードコアに根付く常識、性別につきまとう因習から解放されたバンドであることは、サポートギターに女性のメグ・ミルズが入ったことで余計明確になっていた。こんなにも男臭さを、腕っぷしの強さを誇示しないバンドがいるのかと何度も思う。逆に言えばTURNSTILEを体験すると、現在ほとんどのハードコアは「いかつさ」の掟に縛られているように見えてしまう。あるいはキャッチーに突き抜けたTURNSTILEがセルアウトした、との言い方もアリなんだろうか。しかし前述したように、共演者のBYBOもNUMBも、TURNSTILEの大躍進を我が事として喜んでいた。

観客の狂騒が90年代のようだから? フロアに巨大サークルモッシュがずっと発生しているから? 否、それなら暴れん坊が優勝するマチズモ地獄でしかない。思い返せば女性ギタリストなどガールズバンドでしか見たことがなかったあの時代、ハードコアは当たり前に男のもの、男らしい男だけが勝つ世界であった。

そして今。TURNSTILEのファンが作り出す一見無秩序なうねりに、私は一度も危険を感じなかった。この事実がなんとも嬉しく、また誇らしいと思う。もちろん見えないところで多少の擦り傷はあったかもしれない。無遠慮に腕をぶん回している猛者は確かに目立つ。ただ、その隣にはずっとスマホ撮影をしているインフルエンサーがいて、大声で唱和しているおじさんとおばさんが多数いた。さらには笑顔でひょいっとステージに登っていく若い女の子たちもたくさん。彼ら彼女らは音楽愛と連帯の精神により、恐ろしいほど心をひとつにライブを楽しんでいたのだ。

 フジロックでは聞けなかった初期曲、ダニエル・ファングのドラムソロなど、単独公演ゆえの特典はいくつもあった。「これまでいろんな場所に行ったけど、日本は特に美しい結びつきと素晴らしい友人たちがいるんだ」と語るブレンダンの素敵なリップサービスも。ただ、この日この夜が特別だったとは思わない。決してネガティヴな意味ではなく、途中からは確信を持って、そのように感じていた。

「ここは特別」と自ら定義してしまえば、興奮や気合からどこかに変な力が入る。「特別」を作れば「特別でもない人や場所」が生まれてしまう。そうではないのだ。どんな時でも目の前の人々に祝福を。世界中のファンを受け止め、何千人が猿みたいに踊り狂う光景や、何百人が阿呆ヅラでステージに登ってくるカオスを肯定する。そして毎回毎回の爆発的ピースフルを共有する。この東京単独公演、ラストの「T.L.C.」でステージが何百人に埋め尽くされるところまで、まったくいつもどおりのTURNSTILEだった。

終わってみてからわかるのだ。直前に柵を取り除いた。眉を顰めるどころか笑ってしまったのは、つまりバンドがこちらを信じている、とのメッセージを受け取ったからである。先に信頼を投げてくれた。「T.L.C(TURNSTILE LOVE CONNECTION)」の君たちならできると言ってくれた。一人ひとりにその実感があったから、まず連帯と一体感が生まれた。怪我人など出さないし誰にも嫌な思いはさせない。相互共助精神とはつまるところ愛だろう。それがハードコアの本質であることを、彼らは「Zepp、柵なし」という前代未聞のやり方でいきなり開示したのである。なんとクール……と書いて使うべき言葉が違うと気づく。なんて新しい価値観なんだろうか。

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