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遺跡をゆく(吉野ヶ里遺跡) 25026

弥生時代の集落遺跡(2):吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡はセンセーショナルな報道がなされて間もない頃に見学したことがありましたが、それから約30年ぶりの再訪を果たしました。

 吉野ヶ里遺跡は1982年7月の事前調査に始まり、1986年5月からの調査で重要な遺構や遺物が続々発見され、そして1989年2月の報道によって世間の注目を集めることになりました。

報道以後も発掘成果が続いて注目を集め、1990年5月に国史跡指定、翌年5月には特別史跡へ昇格、翌々年10月には国営吉野ヶ里歴史公園が閣議決定され、とんとん拍子に整備が進んだことからこの遺跡の重要さがわかります。

私はちょうどその頃北九州市の事業所に勤務していましたので見学に駆け付けました。まだぬかるみに足を取られそうな状態でしたが、その後も重要な発見が相次ぎ、紀元前5世紀から紀元3世紀までの弥生時代全時代の遺物や遺構が発見され、小さなムラが次第に規模を拡大してクニ(大規模環濠集落)に発展していく過程の証人とも言えるような遺跡になりました。

冬のある日で、前日の雪が建物の屋根に残っています

重要な発見とともに、公園内では環濠、集落を構成する住居、祭殿、物見櫓や倉庫の復元、甕棺墓列や墳丘墓を保護・展示する施設が逐次整備され、特別史跡に相応しい遺跡になっています。

柵に囲まれた北内郭
甕棺墓列
墳丘墓の展示室内

因みに“特別史跡”は、重要な遺跡の中で「学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴たるもの」で、いわば不動産の国宝のようなものですが、弥生時代の集落遺跡では、登呂遺跡、吉野ヶ里遺跡と長崎県(壱岐)の原の辻遺跡の3つだけです。

 さて、この遺跡も交通の便が良く、JR長崎本線の吉野ヶ里公園駅(1993年に三田川駅から改称)から歩いて15分程度で東口に到着します。
そしてこの入口もお堅い史跡のイメージというよりは、テーマパークの入口を彷彿とさせるものがあり、私にとってはなぜかイギリスのストーンヘンジの入口ゲートを連想させます。

ストーンヘンジのゲート
広大な遺跡を歩いて回ります。羊ものどかに

遺跡の性格や内容が全く異なりますので、単にゲートということや、遺跡の広大さからきているだけなのかもしれません。また、スタッフの見学者へのホスピタリティからきているのかもしれません。

野外ですが、無線で説明を聞けます。ここは5番め
立入禁止ですが、近寄れば石に加工の跡も視認できます
入口ゲート付近には復元住居や石のサンプル展示も

吉野ヶ里遺跡では、公園内では弥生時代のコスチュームを身にまとったスタッフが気軽に声を掛けてくれますし、体験プログラム(勾玉作りや火おこし)などもあって、日本らしいサービスが提供されます。

生活感を想起
体験コーナーへの看板

最近では「謎のエリア」とされていた地点で発見された石棺の蓋に線刻が発見されたという報道が記憶に新しいところです。敷地そのものが国と県のものですから発掘調査は続きます。さらなる新発見に期待したいものです。

 次回も引き続き弥生時代の集落遺跡とし、吉野ヶ里遺跡とは背振<せふり>山地の反対側にあって玄海灘に面した福岡平野の遺跡を採り上げます。

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