まず自分が自分の心を解放し、自由にしてあげること
8月も今日で終わりですね。
いつもは「あっという間」と思うけれど今月はちょっと違います。
8月は、月の初めと終わりでは気象条件がかなり違う。
「季節感」が大きく変化するんですね。
月初めは暦で言うと「大暑」で夏そのもの。
でも、月の終わりはもう秋です。
この殺人的な暑さの中でそんなことを言うと笑われるか怒られるかしそうですが、でも、確かにそうなんですよ。
蝉の声は遠くなり、秋の虫の声が響き。
日は傾き、日の入り時刻が全然違う。
木陰を(今の世の中木陰はなかなかありませんが)吹き抜ける風はたしかに、夏の風とは違う。
そんな季節感激変の月のせいか、はたまたこの8月はいろんなことがあったせいか、わたしとしては「長い1ヶ月だった」という感じがしています。
※ ※
久しぶりになりますが、DJあおいさんのブログエントリー↓を拝見して、思い出したことを、本日は徒然なるままに。
直接このブログエントリーの内容とは関係しませんが、
「制限を設けるとなんかよくわかんない反動が出る」
というお話で、これはあるんだよなーと思いました。
DJあおいさんのお話は、対人の場合ですが、これ、「自分との付き合い」でも同じ現象が起きるんですね。
他人だろうが自分だろうが、「人間関係」の心理は同じってことなのか。
あるいは、「自分で自分に制限をかけているから、同じ現象が他人との間にも生じてくる」だけなのか。
思い出したのは
「わたしは『離婚したい』と思っていい」
と言う許可を自分に出すことで、精神的に解放された、というお話です。
残念ながらご夫君とはどうしてもしっくりいかず、心のうちでは相手を責め、それと同時に、それ以上に自分を責めて、非常に苦しい思いをしていた女性から聞いたお話。
とにかく苦しくて苦しくてたまらず、もはや自死というものさえ脳裏に濃く浮かぶほどの苦しみの中。
ふとしたきっかけで、それほどに苦しんでいる自分の「内心」に向き合う瞬間があったそう。
なぜ自死を考えてしまうほど苦しいのか。
何がそれほど苦しいのか——「自分の心のうち」を、探ったんですね。
すると、
「離婚したいなんて思っちゃだめだ」
という、極めて強い「禁止」を、自分の心の中に見つけた、という。
よき妻、よき母であろうとし、「そうあらねばならぬ」という「思い込み」が非常に強かった。
それが強いあまりに
「離婚したいなんて思ったらダメ」
という、激しいまでの禁止を自分の心に課していたんですね。
いや、思ったらダメって、そりゃ思う瞬間もありますよねえ。
内心世界は、誰だって自由です。
内心の世界にはじつにさまざまなものが浮かんでくる。
それを現実世界、あるいは他人に向けて表現するかしないかはまた別の話です。
ただ、自分の心を「感じる」ことに——「感じる」ことさえ禁止するのは、それは無理があります。
感じるもの、思う心は自然発生的に生まれてくる。
それを、ダメだダメだと抑えても、どうしようもありません。
よき妻であろう、あらねばならぬという気持ちが強すぎて、それに反することは「感じる」ことさえ、自分に禁止していたんですね。
これは非常に苦しい葛藤になります。
それでふと気づいたこと——
「そうか。離婚したい、って、思ってもいいんだ」
思うのは自由です。
それを実行するかどうかはまっっっっったく別の話ですから。
ただそうやって心に、泡のように浮かぶものを、泡でさえ許せない、と自分の心を「つぶして」いたら苦しいのは当然です。
心は、自由だ——
そう思ったとき、気づいたとき。
世界が崩れ落ちるほどに、劇的に変わった。とのこと。
そうやって。
「離婚したいって思ってもいいんだよ」と、自分の心に寄り添い、「許した」結果。
どうなったか。
本当に離婚してしまったのか。
というとそうではなく。
むしろ、ご夫君との仲も良くなった、というのですね。
結局、離婚したいなんて思ってはならぬというのは「よき妻であらねばならぬ」という強い思い込みからきているわけで。
そんなこと言ったって、喧嘩でもすれば「あーもー別れたい!」と感じる瞬間くらいは、そりゃあありますよね。
いわばハンドルの遊びのようなものです。
そんなことさえギチギチに禁止して縛っていたら苦しくなるのは当たり前ですし。
その苦しさが、無言のうちにもご夫君に伝わってしまって、ご夫君の方も苦しい思いになっていたのでしょうね。
その重苦しい枷を外すことができた。
心の自由を「許す」ことができた。
その結果、苦しい思いは消え、ご夫婦仲も円滑に循環し始めたということだそうです。
制限は。
禁止は。
「あらねばならぬ」という強要は。
心を不自由にし、苦しみの元となり、その結果、自分も他人も不幸にしてしまう。
自由にしてあげること、禁止を解くこと、あるいは強要(押し付け)を控えること。
それによって心の風通しが良くなり、自分も、ひいては他人も、軽やかに進めるようになる。
理屈で聞けばなるほどその通りだなとは思うけれど。
長年の習慣や「信念」(これは良いものだ、良いもののはずだ、という信念)を解くのは、口で言うほど簡単ではありませんよね。
対人関係の場合、他人の自由を認めるのは、なかなか勇気のいることです。
しかしその点についてはDJあおいさんのおっしゃる通りでしょう。
「自由を与えて愛してくれないような男なら
何を束縛したって愛してはくれません」
この点についてだけは、自分で自分の気持ちへの「覚悟」がいるでしょう。
与えても返してくれない人とは、健全な人間関係は構築できません。
それに無理にしがみついても、自分がいたずらに傷ついて損なわれるだけですから、どれほどつらくても、自分のために離れる覚悟は持っておくこと。
また逆に、どうしても自分には応えられないものがあるなら(人間関係ですから、そういうときもあります)、これも、相手から切られることがあっても仕方がないと決めておく。
その必要もあるでしょうね。
なんにせよ。
やはりまずは、自分自身と和解すること。
自分が、自分こそが、自分の自由を認め、湧き出る想いに寄り添い、ネガティブなものであろうと否定せずに、味方であること。
そんなふうに自分自身と融和することが、何よりも基本であり、実現すべきことなんだなと思いました。
正直、他人とどうするかは「そのあと」の話なんでしょうね。
あるいは、少々の時間差がありつつも連動していくものなんでしょう。
そんなことを思い出しながら、拝読しました。

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筆で身を立てることを遠い目標にして蝸牛🐌よりもゆっくりですが、当社比で頑張っております☺️