山の上の幼稚園と、登れなかった園庭の機関車
友達が登るように、園庭のコンクリートの機関車に登りたい。
根っからの運動音痴は、幼稚園の頃からいかんなく発揮されていた。
長い階段を登った先、山の上にその幼稚園はあった。
園庭からは海が見え、遠くに造船所のクレーンも見える。子供心に見えた景色は、今もはっきりと思い出せる。
長い階段を登る前に母と別れた。今ではありえない話だが、そこから友達と「ぐ・り・こ!」「ち・よ・こ・れ・い・と!」「ぱ・い・な・つ・ぷ・る!」とじゃんけんをしながら階段を登っていく。大変マイペースな子供であった。
マイペースな子供だった私は、根っからの運動音痴。
鉄棒をグルングルン回ったり、雲梯をスイスイと進む友達を、横から眺めていた。
そして、何より羨ましかったことがある。
園庭の隅におそらくコンクリート製の大きな機関車があった。
車輪のひとつにしても当時の私の身長より大きなものだったと記憶している。
それを友達はスイスイと登っていくのである。
「いるちゃんもおいでー!」と機関車の上から友達が呼ぶ声の傍ら、私は自分の背丈よりちょっとだけ大きな車輪を登れず、苦戦していた。
おそらく、登った先は更に海や造船所や町が広がって見えていたのだろう。それをみんなと一緒に見たいと思った。
結局、卒園する頃には車輪に登れるようになったかは、覚えていない。たぶん登れるようにはならなかったと思う。
なぜなら卒園写真の私は、車輪のところではにかんで笑っていたからだ。
幼稚園の記憶は、それだけにとどまらない。
その景色と、雰囲気が創作の原点になったと言っても過言ではないくらいに幼稚園と、当時の友達には影響を受けた。
雨の日は友達とひたすら絵を描いていた。
そこから、自分が読みたい話を書くようになり、ホッチキスでとじた自作の絵本に発展していった。それが、創作の始まりだ。
幼稚園には、今も忘れられない出来事が沢山あった。
七五三の季節になると、幼稚園の横の長い階段をひたすら登り、神社に参拝した。工作で作った千歳飴袋を手に持って目を閉じる。すると、いつの間にか千歳飴が入っている。子ども心に、ふっと何かが灯るような行事だった。
先生は「みんながいい子にしていたから神様が飴をくれました!」というようなことを話していたが、今思えば、先生がいそいそと入れてくれていたのだろう。
今となっては先生方に感謝しかないが、子供心に夢のようなことが起こるものだと、本当に神様が千歳飴を入れてくれたのだと、そう感じた。
春は幼稚園の横の竹林に入って筍を掘り。秋の遠足は草叢で虫を目を丸くして追いかけた。運動音痴なりに自然に触れ、裸足で遊んでガラスを踏み抜いて怪我をしたこともあったが、子供なりに目の前のものに夢中になって遊んだ。
幼稚園だけでなく、当時住んでいた街の文化・空気全てが私の感性を育んでくれたのだろうと思う。
登れなかった園庭の機関車の思い出とともに、私の心の中に今も生き続けている。
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