人は「受け取る量」ではなく『与えた量』で幸せになる。
人は、生まれた瞬間から多くのものを受け取っています。
名前をもらう。言葉を教えてもらう。家族に育ててもらう。学校で学ぶ。社会の仕組みに支えられる。朝起きれば水が出る。電気がつく。電車が時間どおりに走る…。
当たり前に思っていることのほとんどは、私たちより前を生きた誰かが築いてくれたものです。
そう考えると、人は「ひとりで生きている」とは、とても言えません。
では、その恩をどう返していくのか。
最近、私はそのことをよく考えます。
人生は有限ですし、いつか誰もが、この人生を卒業する日が来ます。
そのとき「私は何を手に入れたか?」よりも「私は何を残せたか?」
そのほうが、大切なのではないかと思うようになりました。
世の中には「もっと給料がほしい」「もっと評価されたい」「もっと楽をしたい」そんな "受け取ること" に意識が向きやすい時代があります。
もちろん、それが悪いわけではありません。
生活は大切ですし、家族も守らなければなりません。
でも、それだけを追い続けても、不思議と満たされない人がいます。
一方で、誰かの役に立てたとか、子どもの成長に関われた、後輩が育った、地域が少し良くなった…など、そんな小さな積み重ねに喜びを感じている人もいます。
私は、後者のほうが人生を楽しんでいるように見えます。
教育もまた、同じです。
勉強とは、本来、自分だけが得をするためのものではありません。
身につけた知識、経験、技術…
それを誰かのために使えるようになって初めて、本当の価値になります。
ですので、私の塾でも「いい大学へ行くこと」だけを目標にはしていません。
その先で「この人がいてくれて助かった」と、そう言われる人になってほしい。
そんな思いで、塾生たちと向き合っています。
もうひとつ、私が大切にしていることがあります。
それは、批評家ではなく、プレイヤーでいること。
世の中を見渡せば、人を評価する言葉はたくさんあります。
「あの人は違う」「やり方が悪い」「もっとこうすればいい…」
でも、その言葉を口にする人が、自分では何も挑戦していないことも少なくありません。
挑戦しなければ失敗もしませんし、責任も負いません。だから安全です。
でも、それでは人生は変わりません。
未来を変えるのは、いつだってプレイヤーです。
小さくても行動する人ですし、失敗しても立ち上がる人です。
誰かを批評する時間より、自分を成長させる時間を選ぶ人です。
子どもたちにも、いつか社会へ出る日が来ます。
そのとき私は「何をしてもらえるか?」ではなく「自分には何ができるだろう?」そう考えられるオトナになってほしいと思っています。
与えられることを待つ人生より、自分から価値を届ける人生。
そのほうが責任は増えるかもしれませんし、恐らくは苦労もあるでしょう。
でも、その分だけ「ありがとう!」という言葉に出会える回数も増えます。
そして、その積み重ねこそが、人を幸せにするのだと私は思います。
人生は長いようで、驚くほど短いものです。
なので、私は残された時間を、できるだけ多くの価値を誰かに渡す時間にしたい。
教育という仕事も、そのひとつです。
子どもたちが自立し、社会から必要とされ、今度は誰かを支える側になっていく。
そんな未来を想像すると、私はこの仕事に大きな意義を感じます。
人は、何を持っているかではなく、誰に何を残したか。
その積み重ねが、人生の豊かさなのかもしれません。
私は、批評するより、挑戦する。受け取るより、与える。
そんな1日を、積み重ねていきたいと思っています。
